【 郷愁 】


「左之。」
凛と張りつめた声で お前が呼ぶ。
お前の目は 気遣わしげに 破れた印半纏を見ている。
「んな怖い顔すんなよ。」
振り向いた俺は 取り繕うようにお前に笑いかける。
「お前というヤツは・・・」
眉を八の字に下げ、呆れたような溜息を お前は零す。
「破落戸どもが言いがかりをつけて来やがったんだ。
それを黙って見過ごせる俺じゃねぇことぐれぇお前だって知ってるだろ?」
言い訳ともつかぬ言い訳をして 
バツの悪さに 俺はお前の前から姿をくらまそうとする。
その襟首を逆刃刀の柄で縫いつけて お前は俺を引き戻す。
「手当ぐらいはしてやる。こっちへ来い。」
怒ったような声を出して お前は離れへと俺を連れて行く。

ま新しいさらしと焼酎を用意して
「少し沁みるぞ。」
とお前が言う。
そんな傷ぐらい どうと言うこともないのに
「痛くねぇように頼むぜ。」
と 大仰に俺は気にしてみせる。
「そう思うのなら これから喧嘩はよすことだ。」
情け容赦のない声で お前がぴしりと言う。
「いてぇ!!」
たいして痛くもない腕をことさらに抱え込み、俯いて俺は痛がってみせる。
「大丈夫か? 左之。 すまぬ。」
お前は俺の顔を覗き込み、見上げるお前の方が 辛そうに眉を寄せている。
俺の嘘とも知らないで 
自分の傷には眉一つ動かさないくせに 気に病むその表情が 愛しくて
小さな頭を抱き寄せて 俺はゆっくりと口づける。
お前の息があがるまで お前が俺以外を考えられなくなるまで
俺は何度も口づける。
お前を形作るお前のすべてが 俺のものになるように
俺は何度も口づける。
やがてお前の小さな口唇が 切ない息を零し始める。
「ん・・・んふっ・・・」
「とても日本一の剣客には見えねぇ顔だぜ。剣心。」
「ばか!」
俺のからかう笑顔に お前は頬を赤らめてそっぽを向く。
目元に朱を刷いたその横顔が可愛くて、
歳に似合わぬ初さが堪らなくて
俺はいつまでも お前の横顔を眺めている。
「いつまで眺めているつもりだ。」
真顔になったお前が 横目で問う。
「さぁ、いつまでかな。とんと見飽きねぇ。」
少し意地になって俺が言う。
「穴が空くぞ。」
「空けてみねぇ。」
お前はとうとう笑い出す。
お前の笑顔につられて俺も笑う。
お前がそこに居るだけで 嬉しくなって俺は笑う。

やがて陽が陰り、お前の笑顔が見えなくなっても
俺の耳の中には お前の笑い声がこだまする。

俺の幸せだった頃の夢。

目が覚めて 仰ぎ見れば蒼い空。
お前の瞳と同じ深い蒼が 底の知れない広がりを見せている。
その空の向こうに
俺の記憶の中に
今は還らぬその笑顔を 思い描く。
俺とお前の他愛もない毎日。
あの日の幸せを追い求めて お前の影に語りかける。
「お前の笑顔が 何よりも好きだったんだぜ。」と。