【 STILL 】
                         ――― Still in love ―――


日本から南へ向かうこと およそ7000km。
南半球にあるオーストラリアは 6つの州とノーザンテリトリー、首都キャンベラのある特別地域とから成る。
その大陸の北東部に位置するクィーンズランド州には 世界でも有数のリゾート地があり、日本から来る観光客のほとんどは この州で一度は降り立つ。スキューバーや素潜りなど 海が目的の人々はケアンズ空港へ。サーフィンや観光、娯楽が目的の人々はブリスベン空港へと振り分けられる。
そのブリスベン空港からハイウェイに乗り、車で1時間ほど南へ下った所が 俺の住むゴールドコーストの町だ。
太平洋に面した海岸線は43kmにも及び、どこまでも白い砂浜が広がっている。抜けるような青空と 潮の流れによって様々に描き出される青のグラデーションは 遙か水平線までも続き、空と大地が一つに溶け込むようだ。
サーファーズパラダイスとその名が示すように ここのビーチには、太平洋が作り出す高波がいつも押し寄せる。若者達はサーフボードを手に、せっせと海へと繰り出す。
初心者は波に乗り切れずに 押し寄せる波頭に石ころのように揉まれ、うまく波を掴んだ者は 颯爽とその勇姿を白い波間に滑らせている。
そして、そこから車で少し北へと寄ったところがサウスポート。
ここに俺の職場がある。
湖のような運河が前を横切り、運河の向こう、海に向かって前方を望めば 彼方にはシーワールドが見える。シーワールドのある島のような半島が荒々しい波を遮り、前に流れる運河は穏やかで 家族連れや子供達の格好の海水浴場となっている。
運河を縁取る砂浜には バーベキューエリアが設けられ、休日ともなれば多くの人々でにぎわう。
暇潰しの釣り人も 釣り糸を垂れながら 好んでこの場所で家族達とゆっくりと一日を過ごす。それを当て込んでと言うわけでもないが 俺の働く釣具店、「シーパラダイス」がバーベキューエリアの端、緑の続く芝生の上に ぽつんと一軒だけ建っている。
三角屋根に青い塗料は 遠目には まるでジャンクフードの店のようだ。入り口の前に カニを捕るための大きな籠が 無造作に積み上げられているのを見逃せば 誰もここを釣具店だとは思わないだろう。
釣具店に「シーパラダイス」なんて名前は 安直すぎると思うが、何事にも陽気でストレートなオーストラリア人のオーナー、ケビンの顔を思い起こせば それもすぐに納得する。
俺がここで働くようになったのは ゴールドコーストにあるイングリッシュスクールで 講師のジャンに紹介されたからだ。
初めてケビンと会ったときに
「ケビンだ。ケビンコスナーのケビン。よろしく。」
と、手を差し伸べながら わざわざその著名な俳優の名前を口にしたのが印象的だった。
そう、目の前のオージーからはケビンコスナーは遙か遠く、どこか似ているところを探せと言われれば 最近のケビンコスナーは額が秀でている。そのことぐらいだろうか。
100kgぐらいは優にあるだろうと思われるせり出したお腹に 人の良さそうな満面の笑みを ちょこんと丸顔に浮かべていた。
いくらか英語を話せると言っても 気の利いたジョークや 専門的な英語までにはほど遠いレベルだが、俺を雇ってくれたのも ケビンが希に見る日本びいきだからに他ならない。
俺の名前が刀を指す剣という文字を使い 実家が京都だと知ると 
「オオ、サムライ。」
と言って、雇用契約はそれだけで決まった。
ケビンは 学生時代に一月ばかり日本に滞在したことがあり、その時に京都の寺の美しさに魅せられたのだそうで、今は休日に自分の家の庭を 日本風にアレンジするのが楽しみなのだそうだ。
いくら京都に住んでいたと言っても 俺も寺に詳しいわけではない。有名な寺や神社は 遠足やデートで行ったきりだ。それでも、俺から京都の生活、町並みなど日本に関する情報をいくらかでも引き出せると思ったのだろう。土日、休日を除いては 店はそれほど忙しいわけではないから、いわば、ケビンの話し相手だ。日本では釣りをする暇などもなく 忙しい毎日を送っていた俺に 釣り具に関しては 追々覚えていけばいいと言ってくれた。
腰掛けのつもりで働きだしたのが 気づけばすっかりこの町が気に入り、もう4年近くになろうとしている。今では俺も馴染みきってしまい、気持ちも生活もまったくオーストラリアナイズされてしまった。


「シーパラダイス」は 一歩店内に入ると 海の底を思わせる。
それは壁一面に塗られたマリンブルーの塗料が 連想させるのだろう。
外から見るよりも中は広く、100坪ほどの店内には ありとあらゆる釣り道具が置かれている。それらは一つの意図の元、種類別に並んでいるはずなのだが、どこか雑然としたおもちゃ箱のような楽しさがあり、未知への期待感がそそられる。
2段違いの棚に整然と並んでいる釣り竿などは 一見するとゴルフクラブが並んでいるようにも見える。別のコーナーには、色とりどりの疑似餌が袋に入れられ 壁一面のフックに架けられている。そのどれもが色鮮やかで 魚のフィギュアが並んでいるようだ。
中には高価な物もあり、それらはガラスケースに鍵を掛けられて 並んでいる。
だが、高い物ほどよく釣れるということがないのが 魚の世界のようで その辺りに並んでいる木製やプラスチックに彩色されただけの安物の方が 魚の食欲をそそったりするから、所有欲を満たして喜ぶのは どうやら人間だけということらしい。
いい歳をした大の男が 魚以上に目を輝かせ、ガラスケースのルアーを覗き込む様は まるで子供がおもちゃを物色するようで 見ている俺も つい微笑んでしまう。
そして、それは海底で おっとりと泳ぐナポレオンフィッシュが とびきりのエサを物色しているところを いつも俺に連想させてしまう。
店内の醒めた青と宝物の入ったおもちゃ箱、それらがシーパラダイスの持つ独特の雰囲気を 醸し出す役割を担っていた。



真夏を迎えようとしている陽射しは さんさんと照り輝き、日陰だった店内から一歩外へ出ると まぶしさに目が眩む。貫く陽射しを避けようと俺は手をかざし、通りを行く車の切れ目を 目で追っていた。
昼の休憩時間を シーパラダイスから通りを隔てたカフェテリアで過ごし、店へと戻る途中だった。
100mほど向こうにある信号は青を示していて さほど多くはないが間を縫うには間隔の狭い車の往来は なかなか途切れそうにもない。まばらに走る数台の車の後、観光客を乗せた赤いバスが 横切っていった。その冷めた赤色を目の端に残した頃、ようやく車の列は途切れた。
店に戻るとカウンターの中に入り、昼食を取るために待っていたケビンと交代をした。
店の中には2,3人の客が居るだけで 思い思いの商品を眺めているだけだ。特に相手をすることもないと 俺は伝票の束を繰り始めた。
しばらくすると 出入り口に取り付けられてあるカウベルの音が響いて 客の来訪を告げ、俺は伝票から目を上げた。
日本人だ。
重いガラス戸を押し開けて入ってきた青年を見て 俺はそう直感した。
中国人と日本人はよく似ている。そしてここの客は圧倒的に中国人の方が多かった。
それでも彼を日本人と判じたのは 彼自身が持つ雰囲気に どことなく懐かしさを感じたのかもしれない。
長い足を洗いざらしのジーンズに包み、黒のTシャツの袖を 肩までまくし上げて ディパックを提げている。その姿は この店を訪れる客とは少し異なるように見えた。
そして、その直感は正しかったようだ。
青年は中に入ってきて 初めてここが釣具店だと知ったようだった。壁際や棚に並んだ商品を何の目的もなく ぼーっと眺めている。
おおかたこの運河の縁を散歩していた観光客が この店をジャンクフード店と間違えて入ってきたのだろう。俺が立っているカウンターの横に並べられている ポテトチップスなどのスナック菓子の方が 彼の目的には合っていそうだった。
入ってきた扉口を戻るのかと思っていたら その青年は通路の中央に置かれている商品へと真っ直ぐに進んだ。ちょっと日本ではお目に掛からないその商品が 彼の興味を引いたようだ。
それは1m程の長さの銀色のパイプが 傘立てのような入れ物の中に 何本も立てかけられている。細長いパイプの上にはハンドルが付いていて 反対側はドリルの先のような形状をしている。
彼は興味深げな目で見つめていたかと思うと、その1m程の銀色のパイプを手に取り、上に付いているハンドルを回したりして構造を調べだした。それでどうやら作りは判ったようだが 何に使うのか迄は判らないようだ。しばらく首を傾げていたが きょろきょろと辺りを見回してカウンターの中に俺を見つけると その場から声を掛けてきた。
「なぁ、これっていったい何だ?」
全くの自然な形でその日本語は発せられた。だが、それはここが英語圏だということが 意識からすっぽり抜け落ちているものだった。顔かたちから俺を日本人だと思ったのだろうが、ここには日本人顔をした日本語の話せない人間など幾らでも居る。俺が中国人や韓国人だったらどうするつもりだったんだろうと思うとちょっと可笑しくなり、営業用とは異なった笑いを俺に浮かべさせた。
「それはエサのヤピーを取るための道具なんです。その先を砂の中へと突き刺して 上のハンドルを勢いよく押すと 砂と共にヤピーが取れるようになっています。」
「ヤピーって?」
「エビのような、シャコのような・・・そうですね、ザリガニと言ったら想像がつくでしょうか?」
「ザリガニをヤピーって言うのか?」
「ちょっと違うんですけど 似てますね。ヤピーは万能のエサと言われていまして 何でもよく釣れるらしいですよ。」
「へぇー。釣りをする前に まずエサから取んなきゃなんねぇんだ。」
「もちろんエサも売ってますよ。結構手間が掛かりますから。」
「ふぅん。こんなもんを売ってるなんて やっぱりここのヤツらはのんびりしてるんだな。」
臆面もなく、あけすけに言い放つその青年の的を射た感想に 俺は苦笑を零した。
その時になって 初めて彼は 俺が日本人だと気づいたようだった。カウンターの前へと歩みながら
「あれ? 英語じゃねぇな。俺、日本語喋ってるもんなぁ。どうも耳に馴染むと思ったぜ。」
と 苦笑を零している。
それでその青年が まったく意識せずに話していたことが判かり、更に俺の笑いを誘った。
「ここへはご旅行ですか?」
「ああ、そんなとこ。気の向くまま金の続く限りって感じでな。」
「学生さんですか? いいですね。」
「うん、まぁ、学生のような学生でないような・・・それよりさ、ちょっと教えてくんねぇか?」
「何でしょう?」
「この辺りのどこかに 腰を落ち着けて泊まれるいい宿がねぇかな? 俺、この街が気に入ったんだ。」
「ホテルですか?」
「ホテルなんて大層なものでなくていいんだ。見た通りの貧乏旅行だし。昨日、こっちに着いてバックパッカーに泊まったんだけど それがひどいのなんのって。」
「ああ、バックパッカーは当たりはずれがありますしね。でもそれなら私により旅行社で聞かれた方が・・・・」
「ああん、それが昨日こっちへ着いて旅行社に行って教えられたのが そのバックパッカーなんだよ。すんげぇいいとこだとか抜かしてたくせに 高いばっかりでよ。臭いわ、同室の野郎は変な目で見るわで 気持ち悪ぃんだよ。だから地元のことは地元の人間に聞くのが一番だろ?」
「そう言うことでしたら・・・そうですねぇ、どこがいいかな・・・」
俺は思い当たる滞在型のホテルの幾つかを 頭の中で思い浮かべ、ざっと滞在費をはじき出して比較をしていた。目の前に立つ、さほど裕福でもなさそうな青年の懐具合を心配してのことだ。そして、丁度、先週聞いたばかりの話を思い出した。
「別にホテルやモーテルでなくてもいいんですね?」
「って言うと?」
「普通の家の離れなんですけど。ゲスト用の離れを貸したいって仰ってる方がいらっしゃって 釣り客でも誰か居たら声を掛けてくれって伺ってるんですけど。」
「へぇー。ゲスト用の離れってどんな感じなんだ?」
「ええ。この辺りの少し大きい家ではみんなゲスト用の部屋を持っているんですけど そこの家は 母屋とはプールを挟んで造られているようで あまり気兼ねもしなくていいと思いますよ。何でもパースに居た娘さん夫婦が滞在するために 少し改造を加えてあるとかおっしゃってましたね。でも、娘さん夫婦はアメリカへ引っ越されたようで もうあまり用もないので誰かに貸したいっておっしゃってて。小さなキッチンとリビング、それにバスルームに寝室だと伺ってます。洗濯は母屋の洗濯機を利用してもいいそうです。」
「あっ、それいい感じじゃねぇか。費用は?」
「リゾートホテルを利用されるよりは安いんじゃないかと。それに儲けよりもお年寄り二人で寂しいので 誰か話し相手がいればと考えて居られるようなので 交渉次第で かなり安くしてくれるんじゃないかと思いますけど。」
「ってことは、英語も教えてもらえるってぇわけだ。うってつけじゃねぇか。よし、それに決めた! 是非紹介してくれよ。」
目の前の青年は カウンターへと身を乗り出して、嬉しそうに笑顔を零した。
笑うと白い歯がこぼれ、目元に険のある表情が一変する。彫りの深い顔に 涼しげな目が柔和に和み、彼が相当な男前であると この時初めて気がついた。
言葉遣いは乱暴だが 悪いヤツじゃなさそうだ。そう思った俺は カウンターの中にテープで留められている数々のメモの中から 電話番号を書いてある一枚を剥がして 手に取った。
青年の名前を聞き取り、
「相手の方はラッセル スタンレーさんとおっしゃいます。」
受話器を耳に当てながら 相楽左之助と名乗った青年に 素早く相手の名前を告げた。
メモに書かれた番号をプッシュした後、耳の奥で鳴るコールの数を数える。
1,2,・・・・7,8,・10を数えたところで 受話器を置いた。
「どうやらお留守のようですね。多分この時間だから、買い物か何かで出かけていらっしゃるんじゃないでしょうか?」
「ちぇっ、留守か・・・旅行とかってんじゃねぇだろうな?」
「さぁ?そこまでは・・・でも、昼過ぎには大概、奥さんのお供で買い物に行かなきゃならないからと いつも午前中にこの店へは顔を出されますからね。夕刻にはお帰りになっていらっしゃるとは思うんですが・・・」
「そっか・・・じゃぁ、夕方にもう一度連絡をしてくれねぇか?」
「構いませんよ。」
「ん、じゃぁ、俺、出直してくるわ。」
「分かりました。今日は火曜日なので 店は4時半までとなっていますので それまでにお越し下さい。」
「ああ、分かった。世話を掛けてすまねぇな。んじゃ、よろしく。」
軽く手を挙げ、青年は来たときと同じような気軽さで 出口へと向かっていった。
ぞんざいな態度だが 不思議と悪印象は残らない。
その後ろ姿を見送りながら、俺は彼のことを そう受け止めていた。


店のシャッターを降ろし、口々に今日のこの後の予定を語りながら スタッフ達と分かれた。
閉店時間の4時半になっても まだ相楽左之助と名乗った青年は 現れていなかった。
俺は店の片付けを始めた 4時過ぎになって 自分の過ちに気がついた。
日本ならば4時半の閉店と言えば 4時半から片付けをはじめ、シャッターを降ろすのは
だいたい5時近くか。だが、ここオーストラリアでは4時半に閉店と言えば 4時半にはシャッターが完全に閉まり、スタッフ達が「さようなら」を言う時間だ。
連絡の取れない彼を案じ、仕方がないと 俺は店から一番近いベンチに腰掛けて 待つことにした。
スタンレーさんにはまだ電話をしていない。
もし、彼がこのまま現れなかったら とんだ恥を掻くことになるからだ。
カウンターから剥がしたメモを 指先で弄びながら 俺はその青年が現れるであろうバス停の方角を 見つめて待った。
5時前になって 大きな荷物を肩に担ぎながら 息せき切って走ってくる彼の姿が遠目に見えた。
肩に乗せた荷物は 彼の歩調に合わせて揺れ、その振動の大きさにずり落ちそうになっている。それでも彼は構わずに 一目散にシーパラダイスの入り口へと向かって ひた走っていた。やがて、シーパラダイスを正面に望める位置に達したときに 彼は立ち止まり、ガックリと肩の荷物を地面へと降ろした。シャッターが閉まっているのが見えたのだろう。
肩を落としたその姿は 必死で走ってきた努力が無駄になったと 憔悴しているように見える。
「おーい、君、相楽君、こっちだ。」
気の毒になった俺は 彼の方へと歩み寄りながら 大きな声で叫んだ。
俺の声に気づいた彼は パッと明るい表情になり、また荷物を持ち上げて 小走りに駆けてきた。
「悪りぃーー!!バスを乗り間違えちまった!」
駈けながら切れる息の間から 言い訳をする彼の声には 嘘はないようだ。先ほどからの慌てようを見ていた俺は 彼に更なる好感を持った。
「4時ぐらいには着くようにって宿を出たんだけどな。気がつけばバスのヤロー、違う方角へと走っていやがんだ。どこでどう乗り間違えたんだか・・・すまねぇ。」
俺の前へと辿り着き、正直に言って頭を下げる彼に 俺は微笑を返した。
「5時まで待って来なかったら 帰ろうかと思っていたんだ。会えて良かったよ。」
そう告げた俺の言葉に 彼は腕のGショックを覗き込み、
「やべぇー! 後、5分じゃねぇか。待たせて悪かったな。」
と、もう一度頭を下げた。
店の外だということと彼の気軽な物言いに 俺もいつの間にか 営業用の言葉を捨てていた。
「ところで、その荷物・・・」
彼の全財産とも見える大きなリュックを見て 俺は言葉を失った。
「あん? ああ、いいところを紹介してもらえんなら あんな所に長居は無用だと思ってな。引けてきた。」
まだ、先方の了解も取っていないのだ。もし、ダメだったらどうするつもりなんだろう?
何とも気の早いヤツだと 溜息が漏れた。
「まだスタンレーさんには 連絡を取っていないんだ。君の顔を見てからと思っていたから。」
「あっ、うん。だったら、早速頼む。ちゃっちゃと連絡をして さっさと行こうぜ。」
相手の意向を全く無視して 勝手に決めてしまっている。その図々しさに またもや溜息と苦笑が漏れた。
尻ポケットから携帯を取りだし、その場でスタンレーさんへと連絡を取ってみる。だが、コールは鳴り続けるばかりで 誰も出る気配はない。
「どうしよう? まだ帰ってきていないみたいだ・・・・」
「まだかよ!? 長ぇ買い物だな。」
口唇を尖らせて そう言った彼は、いい案が浮かんだとばかりに微笑を乗せて 俺に向き直った。
「なぁ、あんた、この後の予定とかあんのか?」
「いや、べつに・・・」
「だったら、飯食いに行かねぇか? 待たせた詫びに奢るからよ。」
「詫びなんて 気にしなくていいよ。」
「あん。だけど、俺、走ってきたせいか 腹減っちまって。美味いところを紹介してくれよ。」
「そうだな。じゃぁ、そういうことなら・・・」
どうせ気楽な一人暮らしだ。急いで帰ったところで 待つ人も居なければ 何かをするアテもない。乗りかかった船だと思い、彼に付き合うことにした。
シーパラダイスから続く芝生のバーベキューエリアを通り過ぎると パーキングがある。停めてある車へと向かって 俺達は歩き出した。
俺の背丈より頭一つ分は 背が高い。彼は首を擡げて 覗き込むように俺に名前を聞いた。
「なぁ、あんた、名前は何て言うんだ?」
「俺? 剣心。緋村剣心って言うんだ。」
「剣心? ナリに似あわねぇ 古くせぇ名前だな。」
「左之助なんて名前を持つヤツに 言われたくないね。」
遠慮もなく、あけすけに言う彼に 俺はちょっとムッとした。だが、彼はお構いなしに アハハと大声で笑う。
「ちげーねぇ。お互い古くさい名前だ。古くさい同士、よろしくな!」
なおも大声で笑いながら 俺の背中を気安く、バンバンと叩く。
まったく他意はないようだ。屈託なく笑う彼の横顔を見て 出逢ってからの何度目かの溜息を 俺は気づかれないように零した。
 


ゴールドコーストハイウェイを南下して 車をブロードビーチへと向かわせる。
ゴールドコーストでは 様々な国の料理を楽しめるが、まず、美味な物を食そうと思えば 他国のシェフが居る店に限る。
美味さと安さで 店のスタッフ達と何度か訪ねたショッピングセンター、オアシスの中にある中華料理店へと 案内することに決めた。途中、建物群のあちらこちらに点在する コンドミニアムの看板へと 目を走らせる。
クリスマスの休暇までにはまだ間があるというのに 手頃で小綺麗なコンドミニアムは どこも「No Vacancy」の看板が提げられている。
もし、スタンレーさんの部屋が取れない場合には そのどこかへ この男を放り込もうと思っていただけに 当てが外れた。
しかし、サーファーズパラダイスの方へと廻れば 空室が見つかるかもしれない。あるいはケビンに尋ねたら 気持ちのいいモーテルを紹介してもらえるかもしれない。
そんなことを考えているうちに オアシスへと到着した。

建物の中央には イベントなどのための広場が取ってあり、クリスマス前の今は 舞台が設えられていて サンタクロースが 立派な椅子に腰掛けている。
夏の盛りのこの気温の中、おなじみの赤い服に真っ白な顎髭は 見ているだけでも暑苦しい。この国に来て、何度目かのクリスマスになるが、どうもこの景色だけは馴染めない。いっそのことアロハシャツを着てくれていたらいいのにと いつも思ってしまうのは 北半球で育った人間だからだろうか。
そう思いながら、サンタの前に並ぶ子供達の皆神妙な顔つきを眺めていると 胸の内と同じ感想が 隣から漏れてきた。
「うへぇー。夏でもやっぱ、あの服かよ。暑くねぇのか?」
「暑いだろうな、きっと。でも、サンタはあのスタイルと決まっているから 仕方がないんじゃないのか?」
「子供の夢を壊さねぇようにするのも 大変だな。ところで、何で子供が並んでるんだ? 何かプレゼントでも配ってるのか?」
「いや、並んでもらえるのはあめ玉1個だけだよ。ああしてサンタの膝に腰掛けて クリスマスには何が欲しいかを サンタに言うんだ。で、後で、サンタが母親に コッソリそのプレゼントの内容を教えるんだ。」
「だから、母親も神妙な顔つきをしてんのか。子供が高価なプレゼントをねだらねぇかと 心配で仕方がねぇって顔だもんな。」
「ああ、俺も時々思うんだけど 子供が本物の飛行機が欲しいとか 虎を飼いたいとか言ったらどうするんだろう?と思うよ。」
「ちげーねぇ。あのサンタは偽物だったのよ と言うわけにもいかねぇだろうしな。」
サンタクロースの耳元で さも大事な秘密を打ち明けるといった表情の子供を 舞台の裾で心配げに見つめている母親の顔を盗み見て 俺達はくすくすと笑って通り過ぎた。

広場の両サイドには 様々な店が建ち並ぶ。 ブティックと雑貨店の間にある狭い階段に 中華料理のポスターが貼ってある。気をつけていなければ 見逃しそうなその店への階段を上がった。 踊り場に設えられた扉を開けると 中は予想以上に広い。そして、店は今日も多くの中国人で 賑わっていた。
ウェイターに案内されて 席に着く。自分の周りをきょろきょろと見回して 左之助が呟いた。
「何か、オーストラリアから 急に中国へ来たみてぇだな。中国人ばっかりじゃねぇか?」
客も中国人なら 店の者も中国人だ。店内は 中国語で溢れかえっている。それだけにこの店では 本場の味が楽しめる。
「うちの店の中国人のお客さんが言うには 本国より美味いって。」
中国語のメニューを 左之助へと渡しながら 俺は請け負った。
「へぇー。んじゃ、期待大だな。」
何にするかなと呟きながら 目を輝かせている。スープは要るかとかチキンがいいかなと言いながら 早くも3品ほどは決まったらしい。それで充分だろうと思った俺は 注文のためにウェイターを呼んだ。が、途端に左之助からクレームが来た。
「おい、まだ3品しか決まってねぇって。お前は何がいいかも まだ聞いてねぇし。」
「俺は君の注文したものでいいよ?」
「そんなんじゃ全然足りねぇじゃねぇか? おっ、泥蟹だってよ。カニもいいねぇ。」
「えっ? この上にまだマッドクラブも頼むのか? いくら何でも食えないぜ?」
「カニの1匹や2匹、どうってこたぁねぇって。」
左之助はかなり軽く考えているようだ。日本ならばそれでいいかもしれない。しかし、ここはオーストラリアだ。人も大きければ その胃袋も大きい。当然、出てくる料理の量も半端じゃない。これは説明する必要がありそうだと 左之助へ出入り口近くにある水槽を見るように促した。
「あそこの水槽にカニが居るだろう? あれ1匹、まるまる出てくるんだぞ? あの1匹だけで 充分に腹が一杯になる。ついでに隣のテーブルも見てみろよ。あの皿に載っているのは 一人前なんだぞ?」
「えっ? マジかよ??」
両の手を一杯に広げても まだ乗り切らない大きさのカニを見て驚き、ついで、隣のテーブルの皿を見ているその目が点になった。
円卓を囲んで10人ほどが ワイワイとお喋りをしながら 料理をつついている。それで左之助は その皿の料理の量は てっきり2,3人前だろうと思っていたらしい。
「スープだって二人で分けたら 2杯以上は飲まなきゃなんないし・・・こっちに来てレストランとか行かなかったのか?」
「ああ。まだ行ってねぇ。一人でレストランって行きにくいじゃねぇか。だから、ファーストフードばっかり食ってた。」
「3品でも充分すぎるのに この上なんて絶対に無理だって。頼んでみて、まだ食べられるようだったら 頼めばいいって。」
俺の忠告を 今度は素直に聞く気になったらしい。だが、どうしてもカニは食べたいと言う。ならばと無理矢理チキンを諦めさせた。

唐揚げにした後、チリソースでほどよく調理されたマッドクラブは 絶品だったし、八宝菜のような野菜の炒め物も シーフードがたっぷりで言うことはなかった。アヒルのスープも競争のように お代わりをした。
左之助は よく食った。この細い身体のどこに納められるのかと思うぐらいに 見る間に皿を平らげてゆく。しかし、さすがの大食漢も途中からは 苦しい、苦しいと言って、ジーンズのベルトを緩めた。それでも、残さず食べきったのには かなり驚いた。
「よく全部食ったよなぁ。すごい・・・・」
俺は驚異の眼差しで 左之助を見つめた。
「お前が食わなさすぎんだよ。」
椅子にふんぞり返り、腹を突き出して 左之助が笑った。
美味い料理で話も弾み、食事が終わる頃には 俺達はすっかりうちとけていた。

充分に時間を掛けた食事も終わり、そろそろスタンレーさんも帰っているかもしれないと
店を出て電話を掛けた。
スタンレーさんはようやく 家に戻ってきていた。
俺は相楽左之助という日本人が 部屋を借りたいと言っていると用件を手早く告げたが、生憎、昨日、友人の紹介で 部屋を貸してしまったということだった。明日にもシーパラダイスへ行って そのことを告げようと思っていたのだと 人の良い老人はすまなさがって 何度も電話の向こうで詫びていた。
「残念! 昨日、部屋が埋まったらしい。クリスマス休暇にかけて ここで過ごすって人に貸しちゃったって。1ヶ月後なら空くって言ってたけど・・・」
「えぇーー! 俺、メチャメチャ期待してたんだぜーー!」
左之助は落胆を隠せない。途方に暮れた顔で 俺を見つめている。
ここへ辿り着くまでに見たコンドミニアムは どこも満室だった。サーファーズパラダイスをくまなく探すか、あるいはバーレイヘッズまで行けば どこか見つかるかもしれないが、すっかり仲良くなってしまったこの男を 今更、体よく追い払う気にはなれなかった。それに腹が一杯で 動き回るのも億劫だった。
普段なら絶対にこんな提案はしないだろうと思うのに 人なつこい彼のペースに すっかりのせられてしまったようだ。
「俺の部屋で良ければ 貸してやるよ。」
情にほだされて つい言ってしまっていた。
「えっ!? いいのか? すんげぇ助かる!」
この世の終わりのような顔をしていたのに 俺の提案を聞いた途端に 天国へと舞い降りたような表情に変わった。感情が すぐに顔に出るタチらしい。
クルクルと変わる表情に まるで百面相のようだと 俺は笑わずには居られなかった。



そうして左之助は 俺の2LDKのタウンハウスの一室を 占有することになった。
誰か他人と一緒に暮らすことに窮屈さを覚えるかとも思っていたが 2杯分の朝のコーヒーを点てることは 何となく楽しい気分だった。
それは彼が同じ感覚を持つ日本人だからかもしれない。
ここへ住みついてから 誰かと同じ感覚を共有するということを すっかり忘れていたことに気づかされ、その発見は小さな喜びに繋がった。
例えば、ウナギの蒲焼きを食べたいと言えば オージー達は それはどんな食べ物だと興味を持って聞いてくれるが 香ばしい醤油の焦げる匂いや 口の中に含んだときの とろけるような舌触りなど その食感を幾ら説明をしたところで共有する術などなく、梅干しにいたっては 酸っぱそうな顔をするだけで そんな物をわざわざ食べるなど信じられないと みんなオーバーアクションで首を横に振った。
それは食べ物だけでなく、文化や生活習慣にまで些細な感覚の違いがあり、そんな時には 自分は海の向こうの小さな島国の住人だったと思い知らされ、異国人なのだと疎外感を覚えたりする。
だが、左之助とはそれがない。
そして、そんな感覚以外にも左之助とは よく気が合った。
ガレージに置いてある俺のホンダのバイクを見て左之助は目を輝かせ、そして自分も日本ではカワサキに乗っていると その特徴やツーリングの話などをした。二人の趣味に共通することは多く、俺達の間に話題が尽きることはなかった。
俺達は時間の許す限り 様々な話をした。
時に十台の無鉄砲さも顔を覗かせたりしたが、それはそれで左之助らしいと俺に思わせたし、若さ故のパワーだろうと 俺にとっては好ましく思えた。
話せば話すほど 左之助は気持ちのいいヤツだった。
それはお節介にも見ず知らずの他人に 部屋を貸してもいいと俺に思わせた 最初の印象そのままだった。