【エピローグ2】



「もし、もし、大丈夫でござるか?」
誰かが優しく俺の頬を叩く。
此処は冥府か極楽か?
地獄の使者の声にしてはやけに優しい。
しかし、天国に行けるほど徳を積んだ覚えはねぇ。
えぇい、ままよと目を開けてみれば、誰よりも逢いたかったその人の顔が 気遣わしげに俺を覗き込んでいる。
「剣心!!」
「おろ? いかにも拙者は剣心という名でござるが 何故ご存じでござるか?」
「えっ? 何言ってんだよ、お前! どうかしちまったか?」
「はて?・・・以前何処かでお会いしたでござろうか?」
「はぁ〜? 俺だよ、左之助だよ。忘れちまったのか?」

俺は一体何処に迷い込んだんだ?

不安がよぎり、回りの景色を見回してみる。その時俺は自分の下半身がやけに涼しいことに気が付いた。
案の定素っ裸で河原の砂利の上に寝転んでいた。
がばっと起き出し、戸惑う俺に 剣心が笑みを浮かべながら俺の問いに答えるように話し出した。
「お主は湯当たりされたようでござるな。拙者が此処に着いた時には 好い声が聞こえていたのでござるが、急に止んだと思ったらそこに倒れていたのでござるよ。それで拙者が引き上げたのでござるが・・・」
「湯当たり?」
「ああ、里の者に聞いたのでござるが、此処は別名『幻惑の湯』と言うのだそうでござるよ。」
「幻惑の湯?」
「秋のこんな日、金木犀の香りが最も漂う頃には 旅人に幻を見せるそうでござるよ。」
「幻なのか・・・?」
現実だか幻だか 今やさっぱり理由が分からねぇ俺に 諭すように優しく語りかける。
「どうやらお主は本当に幻を見たようでござるな?」
そう言って笑う剣心は やはり紛れもなく剣心で、俺は狐につままれたような気になった。
「幻か・・・・」
頭を振って呟く俺に
「良い幻でござったか?」
藍色の瞳を大きく見開き、さも興味深げに俺を覗き込む。
苦い切ない思いを胸にしまい込み、唇だけで笑ってみせる。
「俺にとって一番大事なもんを教えてくれたよ。」
「ほぉ、幻も時にはよい物でござるなぁ。」
当の本人が関係しているとは全く思いもつかない表情で 俺の話に頷いている。

いったい今までの経緯を話したら お前はどんな顔をするのか、一人笑う俺にいっこうに合点のいかぬ剣心は 不思議そうな顔をしている。
「はて?」
「アハハハ・・・気にしないでくんな。何か世話掛けちまったみたいで済まなかったな。俺は相楽左之助。左之助って呼んでくんな。どうでぇ? お近づきの印に一杯?」
「左之助・・・左之助でござるか・・・・・何か口に馴染んだような名前でござるなぁ。」
「ああ、何せ400年だかんな。」
「400年? 何でござろう?」
「その辺の話も含めて一杯行こうぜ。」
「そうでござるな。拙者もいささかその幻とやらを聞いてみとうござるよ。」
「よし、決まった。剣心、どうせなら宿も引き払って 俺の泊まっている別荘へ来いよ。その方がゆっくり出来る。」
「いや、それではあまりにも・・・」
「いいって事よ。どうせ相部屋で夫婦もんに当てられてんだろ?」
「どうしてそれを?」
「アハハハ・・・それもまたゆっくりとな。」
何をどう話せばいいのか、何処から話せばいいのか 俺の胸の内はその算段で忙しい。

山間の人里離れた小川に注ぐ滝の音が 二人の再会を祝っているようだ。
涼やかな風が金木犀の香りを運んできて 笑う俺の鼻孔を擽る。


俺を恋い慕ってくれた剣心を 俺は生涯忘れねぇだろう。
その剣心と今、目の前にいる人物とが 同じかどうかは分からねぇが 巡り会った偶然は偶然ではなく 400年前の俺たちの心が 今の俺たちを引き合わせたと思いたい。
今度こそ、共に歩むために・・・・・

秋の日の澄み渡る青空の中で金木犀の香りに包まれて 俺は静かに喜びを噛みしめていた。




                                   了

            
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