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「あれは3日前のことでござった。」
 覚悟を決めた剣心が おもむろにその口を開いた。
「妙殿に誘われて 薫殿が亀戸天神へと藤の花を見物がてらに お参りに行ったのでござるよ。」
「3日前ってぇと、俺が先に顔を見せた翌日のこったな?」
「ああ、そうでござる。」
 剣心はもっともらしく答えたが 左之助にすれば 何故そこから話が始まるのかわからない。
 嬢ちゃんのことなんかどうでもいいから お前の夢の話を聞かせろやと思うのであるが、自分が顔を見せなかったここ数日の間に 何か事件があったのやも知れず、あるいは剣心と薫の仲が 急速に進展したなどということも 考えたくはないが、あるやも知れず、先を急ぎたい気持ちをぐっと堪えて聞き入った。
「で、嬢ちゃんがいったいどうしたってぇ?」
「その日も今日のように 春らしい天気の良い日でござった。そぞろ歩きをするには 何より気持ちの良い浮き立つようなうららかな陽射しで、薫殿は一面に咲く藤の花を 妙殿と思う存分楽しめたのだそうでござるよ。
 それで、せっかく参詣に来たのだからと おみくじを引いたのだそうで、その結果が大吉で、『西方に良縁有り。願い、叶う。甘い物に幸運有り。』となっていたそうでござる。そこで、妙殿が それなら帰りに『菊壱堂』の『蓬莱饅頭』を買いに寄ってみよう、今日なら買えるかもしれないと進言したそうで 薫殿も運試しにと向かったそうでござる。
 この『菊壱堂』の『蓬莱饅頭』は近頃、巷では大層な評判で 蓬莱山の麓より 飛び出でたる鳥を模して考案されたらしく、その馥郁たる薫りや色合いは当に絶品。食せば不老長寿、滋養強壮、美肌に効果がありやと 連日のように長蛇をなして 皆が買い求めているのでござるよ。」
「ああ。『蓬莱饅頭』なら 妙が騒いでたのを聞いたことがあるぜ。えれぇ人気だそうじゃねぇか。」
「うむ。販売も数が決まっているらしく、1日、300個限定なのだそうでござる。並んでも なかなか手に入らぬらしい。」
 剣心は どれほど素晴らしい饅頭なのか 勿体ぶって話したが、左之助にすれば 薫が大吉を引こうが 『蓬莱饅頭』に人気が集まろうが 知ったことではない。大事なのは剣心の夢なのだ。
「俺も。」「拙者も。」と言い合って 二世でも三世でも良いから 契りを交わしたい。
 そこへと到達するまでの前置きが やけに長いじゃねぇかと気を揉んだが、腕を組み、重々しくしたり顔で話す剣心に そんなことはいいからと 軽くあしらえる雰囲気ではない。
 仕方なく「それで?」と 促した。
「うむ。で、薫殿は運試しとばかりに 饅頭を買いに行ったのでござるが、どうせもう売り切れているだろうと諦めていたそうでござる。ところが、どうしたわけか、『菊壱堂』の前にはほとんど行列はなく、無事、薫殿と妙殿は饅頭を買うことが出来たのだそうでござるよ。
 何故今日に限ってと よくよく聞いてみれば、『菊壱堂』は 饅頭が売り切れになると 店を閉めてしまうらしいのだが、その日は店の者の手違いで 売り切れたと思っていた饅頭が 50個ばかりまだ残っていたそうでござる。いったん店を閉めてしまったので お客達は今日はもう買えぬと諦めて立ち去ってしまい、再び店が開いたところに薫殿達が行き合ったと こういうわけだったらしいのでござる。」
「へぇー。そりゃ、嬢ちゃん達ぁ、運が良かったな。天神様のお陰だか何だか 知んねぇけど。」
 天神様でも、八百万の神でもいいからよぉ。ちったぁ、俺の方にも早く運を向けろよ、と左之助は思う。
「それで、薫殿はせっかくだからと 拙者達の分まで買い求めてきてくれたのでござるよ。」
「ほぉー、それは豪儀じゃねぇか。あの饅頭って高けぇんだろ? 大吉一つで 財布の紐も緩むってか?」
「うむ。普段の薫殿なら ちょっと考えられぬ事でござるな。」
「ってぇことは。オイッ! 俺の分は?」
「えっ!?」
「オイ! まさか、嬢ちゃんは俺の分までは 買ってこなかったってんじゃねぇだろうな?」
「あ、いや・・・連日のようにお主は 顔を見せていたでござるからな。その日もきっと来るだろうと 薫殿は買って来てたでござるよ。」
「そうこなくっちゃな。へへ・・大吉様々だな。」
 先ほどまでは、蓬莱饅頭がどうしたと 剣心の話を苛々して聞いていたのだが、自分の分も用意されていたと聞かされては 色気よりもまずは 食い気が先に来る。巷で評判の饅頭を 賞味するのも悪くない。そして、それをかじりながら、剣心の愛の告白を聞くというのも また乙なものだ。
 今日という日は なんとツイているんだろうと 薫以上に左之助は 亀戸天神に感謝した。
「それが、その・・・昨日の朝までは・・・・」
 剣心が 消え入るような小さな声で言った。
「えっ!??」
「すまぬ、左之!!」
 がばっと畳に両手をついて 剣心が頭を下げた。
「すまぬって、俺の分は? もしかして・・・ないのか?」
 気落ちしたような表情で問う左之助に 剣心がコクコクっと頷いた。
「いったい・・・どういうこった? あーーーーっ! まさか弥彦が 食っちまったってんじゃねぇだろうな!?」
「いや、弥彦ではござらぬ。その・・・昨日の朝までは 確かにお主の分は 取ってあったのでござるよ。しかし、お主は来ぬし、その・・・饅頭があまりにも良い香りを放っていたので、つい・・・」
「ってぇことは・・・もしかして、お前が食っちまったってか?」
「すまぬ。この通りだ。」
 剣心は畳に額をこすりつけんばかりにして 小さい身体をより小さくしている。
 左之助は呆然としながら、
「その・・・弥彦や嬢ちゃんが食っちまったてぇなら話はわかるが、お前が食っちまうなんて・・・」
 と、信じられない。
「いや、もう、魔が差したとしか言いようがないのでござるが・・・・昨日も弥彦と薫殿は留守で 拙者一人が、この家に残っていたのでござるよ。それで、お昼近くになり、残り物と冷や飯で昼を済まそうと 水屋の中を覗いたら、お主の饅頭が皿の上でひとつ 寂しそうに残っているのが目について・・・・気がついたら腹の中というわけで・・・」
「腹の中って、口に入れた時とか 喉の辺りで気がつかなかったのかよ!??」
 思わず未練が 口に出た。
「それが、いっこうに・・・・」
 剣心は しれっとして答えた。
「我を忘れて食っちまうなんて・・・そんなにその饅頭は美味かったのか?」
 左之助は 半泣き状態だ。
 饅頭への未練が捨てきれず、食い損ねた饅頭の味が気に掛かる。
 そんな左之助には無頓着に 剣心は夢見るような表情で語り出す。
「ああ、それはもう。どう言えばよいのでござろう。拙者も今日まで生きてきて あんなに美味い饅頭を 食べたのは初めてでござった。表面はもち肌で柔らかく、食せば舌の上で蕩けるようで。甘すぎず、それでいて口の中に ほんわりと良い香りが広がるのでござる。幸せとは ああいう時に 感じるのでござろうな。」
 と、その味を思い出したのか にこにこと微笑んだ。
 左之助はゴクッと唾を呑み、身を乗り出した。
「そうか・・・そんなに美味かったのか・・・・」
 思わず恨めしそうな声を出した左之助に 剣心が慌てて笑みを引っ込めた。
「あっ、いや。これは申し訳ない。」
 重ねて頭を下げる剣心を 左之助は恨みがましく見つめていたが、これは待てよと、じっと考えた。

 饅頭は惜しいが、食っちまったもんはどうしようもねぇ。
 それよりここで恩を売っておいた方が 後々何かと印象がいいに違げぇねぇやな。
 饅頭1個にこだわって 俺の株を下げちまったら 元の木阿弥のコンコンチキ。
 ここはひとつ度量の大きいところを見せンだろ、んで、俺の男ぶりを上げるってぇのも 手なんじゃねぇか?
 それに、饅頭を食っちまった剣心を 俺が頂いちまえば 俺が食ったも同じこったぁ。
 そうだ、そうだよ。うひひひひ・・・
 蓬莱饅頭もなかなか味が良かったようだが、なーに、剣心の方が美味いに決まってんぜ。
 剣心に比べりゃ 饅頭の1個や2個、どうってこたぁねぇ。
 よぉーし!

 左之助は そう思い極めると ニッコリと微笑んだ。
「食っちまったもんは仕方がねぇ。いいよ、いいよ。気にすんな。お前が食って幸せを感じたんなら 俺はそれで充分満足なんだからよ。だから、もう、謝ったりすんなって。」
 と、鷹揚に答えた。
「左之!」
 思わず名前を叫んだ剣心は 左之助の言に感じ入った様子だ。
「お主がそれほどまで 度量の広い男とは・・・・拙者は、拙者は・・・・」

 うひひひ・・・・効果覿面じゃねぇか。
 おう、おう、剣心のヤツ、あんなに俯いちまって、感激してやがんぜ。

 左之助は自分の考えが 的を射てたと思い すっかり満足した。
 剣心はしばらくじっと俯いていたが 不意に顔を上げると
「左之。お主のその男気で もう一つ聞いて欲しい。」
 と、言った。
 剣心は 感激していたのではなく、言うべきか言わぬべきか 迷っていたのだ。 だが、しおらしく頭を垂れた姿は 左之助の目には 感に堪えない風情と映る。それで、
「おうっ。何でも遠慮なく話してみな。」
 と、胸襟をこれでもかというぐらいに開いて 答えていた。
「その、言いにくいのでござるが・・・饅頭のことは、お主が昨日やってきて 食べて帰ったことにしてくれぬか?」
「ああん? 何だってぇ? いったいどうしたわけでぇ?」
「実は、昨日の朝のことでござるが、拙者が思わず食べてしまうほどの饅頭でござるから、当然、弥彦も薫殿も あの饅頭のことは気に掛けていて、薫殿が『左之助、来ないわね。出稽古から帰って来たら、私が頂くことにするわ。』と言って、弥彦と饅頭をめぐっての喧嘩になったのでござるよ。そこまで二人が気に掛けていた饅頭を 拙者が留守中に食ってしまったとも言えず・・・・」
「俺が食って帰ったと、こう言ったのか?」
 剣心が コクンと頷く。
「しまったと思った時には もう時、すでに遅く、慌てて饅頭を買いに走ったものの、やはり、売り切れだったのでござるよ・・・それで、つい・・・・重ね重ね、申し訳ない・・・」
「いいよ、いいよ。わかったよ。乗りかかった船だ。俺が食ったことにしといてやるよ。」
「左之。誠にかたじけない。お主にまで このような雑作をかけてしまって・・・」
 申し訳なさそうに目を上げる剣心がいじらしく、左之助は目尻を下げつつ、
「いいって事よ。」
 と、請け負った。
「いやぁ、持つべき物は友人でござるなぁ。」
 それを聞いて ホッとしたのか、剣心の顔から満面の笑みが零れた。
 左之助も剣心に調子を合わせて ニッコリと笑った。 
 離れには 二人が相打ち解けた 和やかな雰囲気が漂った。

 これだけ饅頭の話を聞いてやったんだ。
 充分に恩も売った。
 俺への想いも 更に募ったんじゃねぇのか?
 でへへへへへ・・・・
 万全のお膳立てだぜ、これは。
 へへへ・・・・
 んじゃ、そろそろ本題の夢の話を 聞かせてもらうとしようじゃねぇか。

 お互いニコニコと微笑み合っていたが、左之助がひとつ大きく相好を崩すと ポンと膝を叩いて身を乗り出した。
「ところで、剣心。饅頭のことはわかったがよぉ、その・・・夢の中で俺の名前を呼んでいたってぇのは どういうわけでぇ?」
 さぁ、ここからが勝負だとばかりに 左之助の丹田に 力が入る。
「ああ、そのことでござるか。」
 やっと思い出したというように 剣心がのんびりと返答した。
「人間、悪いことは出来ぬ物でござるな。目が覚めたら、お主の顔が目の前にあって じっと拙者を見つめているし・・・・今回はつくづくと思い知らされた。」
 そして、述懐するように 空を見つめてそう言った。
「あん? いったい何がでぇ?」
 問い返したものの 言葉の最後には含み笑いを隠せない。

 来たぜ、来たぜ。いよいよだぜ。
 悪いことだってよ。うへへへへ・・・・
 悪かねぇ、悪かねぇって!
 俺は多いに歓迎するからよ。
 そんな夢なら いつだって見てくれていいんだぜ。
 いや、夢だけじゃねぇ。
 本物が ちゃーーんとここに居るんだからよ。
 これからはいつだって 俺に声を掛けて呉れりゃ いいんだぜ。
 目覚めた時のような 空しい思いは決して味あわせないつもりだからな。うひひひ・・・

 真顔で居るつもりが、ぐひぐひぐひと ついつい頬の力が抜けてしまう。胸の中で己の両頬を パシパシと叩いた。
 そして、あらたまると 耳はウサギよりも長く伸ばし、目は炯々、爛々と輝かせて 胸一杯に期待を膨らませて ごくりと唾を呑み込み、剣心の次の言葉を待った。

「こうして心にやましいことがあると たちまちに天罰を食らうでござるよ。ついうたた寝した夢の中で あのように責められるとは・・・・本当に怖い夢でござった。」
「あん?・・・・・・・・??
怖い夢ぇーーーーーー!????」
「ああ。拙者のウソがバレてしまったのでござるよ。薫殿は夜叉のようになって『恨めし剣心』と 爪を研ぎ始めるし、お主は鬼のような顔になって『コイツを血祭りに上げようぜ。』と、ニタリと笑うし。拙者は必死で逃げたのでござるが すぐに捕まってしまって 木に括り付けられてしまったのでござる。
 足下には松明に火が点り、その横では弥彦が 小鬼になって 踊り狂っている。
 そうこうしているうちに お主が拙者へと迫ってきてな、首をぎゅうぎゅうと絞めるのでござるよ。
 その苦しいこと、苦しいこと。
 何とか逃れたいと思っても 腕には全く力が入らぬし、藻掻いているうちに だんだんと息が苦しくなってきて、もうこれまでと 意識もなくしかけた時に お主に起こされた。
 目の前には張本人のお主の顔でござろう? だから、驚いたのなんのって、もう、ビックリ仰天でござったよ。」
「えっ? えっ? えっ? えっ?? んじゃ、左之、そのようなってぇのは・・・」
「ああ、きっと、お主が『血祭りに上げようぜ。』と、笑った時でござろうな。」

 そんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぁあーーーーー!!!
 じゃ、じゃ、あの色っぺぇと思った声は あの時の声じゃなくって、断末魔の苦しみの声だったってぇか????
 頬に赤みがさしてたのも、爪をカリカリ言わせてたのも、俺に犯られてたんじゃなくって、マジに殺られてたってぇ????
 そんな、そんな・・・・・・・・・
 あ、あ、あんまりだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぁ!!!!!!
 俺の春は・・・・
 俺の春は・・・・
 何処に行っちまったんだよぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぉ!!

「左之にこうやって すべてを聞いてもらった故、心も軽く、晴れ晴れとした気分でござるよ。」
 剣心は心からくつろいで 嬉しそうに笑った。そして、
「左之! 持つべき物は 『友!!』でござるな。」
 そう言って 「これからも よろしく頼む。」と、左之助の肩を ポンと叩いた。


 離れの外にはすっかり乾ききった洗濯物が 薫風に吹かれて ひらひらと気持ち良さげに漂っていた。
 陽の高くなった太陽が いまだ中天で煌めいている。
 季節は 誰しも浮かれる春真っ盛りだ。
 左之助は 胸の中で 男泣きに泣いていた。


                               了   2006.2.