〈 1.2.3.4.6.7



諸星精密の工場設置が終わるまでの2ヶ月間は 剣心は昼食を取る間もないほど仕事に忙殺された。
駆り出された4人の穴埋めを 残りの17人で手分けをして修理、整備に当たったのだが、勝手の違う得意先の注文にうまく添えない部下からの問い合わせで 日に何度となく剣心の携帯は鳴り、その度にフォローに走り回っていた。
また、リビルドサービスのメンバーに至っても 受け持ちが増えたことで誰もが忙しく、文字通り駆けずり回ることとなった。田中などは 真剣に猫の手が使えないものかと 自分の飼い猫の手を見て研究したとか言って、他のメンバーを笑わせていたりした。
そんなさなかに 左之助に手を掛けて教える時間など取れるはずもなく、不定期のシフトの元、以前のように二人で出かけることも、ゆっくりと話す時間も取れなかった。
左之助と言えば その間もほとんど残業もせず、定時に引けていたようだ。
他のメンバーよりはどうしても遅く戻ることになる剣心が帰社した時には すでに左之助の顔が見えないことが多かった。が、作業報告書には自分のやるべき事はきっちりと書き込まれていたから 業務時間の間に相当飛ばして仕事を片づけていたものと見える。少々荒削りで手抜きの部分もあったが それもきっと藤崎の元に通うためだろうと思って剣心は咎めもしなかったし、逆に微笑ましく思っていた。

それぞれのメンバーから上がってくる作業報告書には 必ず毎日目を通していたが、やはり左之助は 教えたこともない機種の整備までこなしていた。
現場で手早く書き込まれた複写のページに 所々判読不可能の文字がのたうっているのはいつもと変わりはないが、修理箇所に使われた部品もその手順も 何一つ間違っているところはない。

アイツ、頑張ってるな・・・

それを見るたびに若鶏が雄々しく成長するようで 剣心の頬には微かな笑みが零れる。藤崎に怒鳴られながら汗を掻いている左之助の顔が瞼に浮かび それが微笑ましく、応援してやりたい気持ちに我知らずなる。

だけど何で俺に内緒にしてるんだろう。
ここに書けば内緒にしていたって バレるじゃないか。
それとも、俺に聞かれたら 片山に指示を受けたとでも言い逃れするつもりなんだろうか?

そんなことを何とはなしに想像しては くすっと笑う。
一人残業する深夜、気づけば左之助のことを考えて 時間を過ごしていることが度々あった。
そして、作業報告書を見ることが すっかり楽しみになっていた。





そうこうして過ごしている内に2ヶ月間は瞬く間に過ぎ、諸星精密の岡山工場の起ち上げも無事終了した。
課のメンバーの誰もがその日を待ちわびていたことは 駆り出された4人の顔が見えた時、それぞれが肩を叩いて歓待したことでも明らかだった。
4人の留守の間、目立ったトラブルはなかったものの 上から決められていた月間残業時間は ほとんどのメンバーが大幅に越えていたし、慣れない取引先相手に誰もが神経をすり減らしていた。それらからやっと解放されるとの期期待感で 一様に安堵の色を浮かべているのも当然のことと言えた。
通常の業務形態に戻すのに 今まで左之助に任せきれずに剣心が面倒を見ていた機種を持つ取引先の幾つかは 左之助に任せることにして、その辺りで僅かなシフトの変更はあったが、ほとんどの掛け持ち先はまた前任者の担当に戻され、通常の業務に戻った部署には やっと穏やかな空気が流れだした。
しかし、通常の業務に戻っても 何故か左之助の顔には疲労の色が浮き出ている。
忙しい間は誰もが疲れた顔をしていたので さほど気にも留めていなかったが、剣心自身にも心にゆとりが出来るとどうにも気に掛かる。
機械いじりが仕事のため、この部署のメンバーは営業1課ほど身綺麗にしているわけではないが、とりわけ左之助はこのところくたびれはてた感がある。髪の毛はボサボサで櫛を入れたのかどうかも判らない状態だし、スーツはずっと着たきりじゃないかと思うほどよれよれだ。夜をどこかで過ごし、そのまま朝帰りで出社したのではないかとさえ疑がわせる。
そこまで根を詰めて藤崎の教えを受けているのだろうかと、残業をする夜更けに居残りが剣心一人になると 工場の見える向かいの部署へとそっと忍び込み、窓から覗いてみたりしたが、期待に反して明かりが点いていた例しはない。
「しばらく来られないからと言っていた。」と 藤崎からは聞いたように思うが、あれから2ヶ月ほど過ぎている。
ある程度のレベルにまで達したと 藤崎の元へと通うのはもう辞めてしまったのだろうか。そう思うと 少し気落ちがする。が、その割りには左之助は 定時には退社しているのだから、自由な時間はあるはずなのに いつも寝不足の疲れた顔を見せているのはどういう理由だろう。

左之助の顔を盗み見てはそれとなく考えてみる。
若いんだし、結構男前だし、無類の女好きときているから 彼女の一人ぐらい出来てもおかしくないよな、と 一番に思いつくはずの理由は どこかしら心がざわつき、その居心地の悪さに知らずに棚上げにして 家族の誰かが病気にでもなって看病しているのだろうかなどと いたずらに想像を巡らしてみる。だが、社のことなら大抵のことは知っているおしゃべり好きの女性社員の口の端にも そんな噂は上らない。
結局堂々巡りを繰り返し、心の中に小さな棘のようにそのことが突き刺さったまま日にちを重ねていた。
そんな日を幾日か過ごし、思いあまってある朝、
「どうした? 疲れた顔をして。夜遊びが過ぎるのか?」
と 出社した左之助の肩を叩いてみた。
冗談めかしてでも胸の内の一端を見せてくれれば 何か力になってやれるかもしれないと思ったからだ。
当たり障りのないように装って にこやかに軽く訊ねたつもりだったが、意に反して左之助は これ以上ないと言うほどの不機嫌な顔をして「そんなんじゃねぇよ。」と つっけんどんな返事をする。
いつもなら軽く受け流して冗談の一つも言うだろうに そんな余裕すらも持ち合わせていないようだ。
いったい何が左之助を睡眠不足にし、このような不機嫌な態度を取らせているのだろう、もしかしたら左之助の直面している困難は深刻で 冗談にも夜遊びなどと言ってはいけなかったのだろうかなどと思うと 思いやりのない言葉だったと落ち込み、剣心の心を悩ませる。
左之助の拒絶するような冷たい態度に それ以上何も問えず、冴えない顔色の横顔だけが 網膜に焼き付いた。

思い出してみるとこの二ヶ月程の間、左之助の笑い声を聞いた覚えがないような気がする。いつも明るく、誰彼となしに冗談を言って部署を賑やかにしていたものだが、今見る左之助は目の下に隈を作り、欠伸(あくび)を噛み殺している。そして、外回りの準備が整うとさっさと出て行き、5時きっかりには退社する。
左之助と以前のように話すきっかけもなく、不機嫌そうな表情だけを眺める日々は 剣心に寂寥感をもたらせた。 

乱暴な言葉遣いでハラハラさせ、取引先とも上手くやっていくのだろうかと危惧したあの日々や、上司だとも思ってもらえず、馬鹿にしていると落ち込む原因の一つでもあったあの馴れ馴れしささえも 今となっては懐かしささえ覚える。
藤崎の話には驚かされ、こそばゆいような照れくさい思いを感じたが、左之助を頼もしく思い始めた途端、その気持ちはすれ違ってしまったようだ。
半人前で人一倍手の掛かるやんちゃ坊主は 気が付けば立派に一人立ちしようとしていて もう自分の手は必要ないのだろうかと思うと 胸を掠める寂しさに溜息が零れた。



二人の状態は変わることなく、左之助の目の下の隈も一向に消える気配は見せないまま、日常の業務に追われるだけで日にちは過ぎていき、山中製作所へと納品してからかれこれ3ヶ月が経とうとしていた。
あれから担当の左之助には何度となく山中製作所のことは訊ねているが、その度に「親父さんは元気に働いてるぜ。大丈夫だろ?」と 短い返答しか返ってこなかった。
剣心も何度か訪ねてみようかと思ったが、責任者である自分が行けば 支払いの催促をしているようで 向こうもいい気はしないだろうと思い、左之助に任せきりだった。
もちろん他のメンバーにも不二電気の息の掛かった得意先の噂などは すぐに報告するように言ってあった。
危ぶんでいた得意先の1件が 翌月には早々に不渡りを出し、倒産した。もう1件も芳しい噂は聞かない。そして、山中製作所は 倒産してから一月程後に聞いた噂では 近所のガソリンスタンドへの支払いも滞っているらしいということだ。もしや、いよいよかと危ぶんだものだが、それから後の情報はまったく入っては来ず、変わらず営業しているとしか判らなかった。

1週間後には手形の期日を迎える。
賽の目がどのように転がるのか最も気にかかる2ヶ月余りだったが、ここまで来れば自分にも山中を助けることが出来るかもしれないと思え、希望の光が見えるような気がした。


その日、剣心はいつものように外回りの準備をし、営業車に乗り込むと真っ直ぐに銀行へと向かった。そこで端数を除けた預金の全額を引き出し、一まとめに封筒に放り込むと鞄に仕舞い、山中製作所へと直行した。
国道を北上して川を越えると隣町に入る。
古くから製造業で栄えた町には大小様々な工場が建ち並び、ガレージを改装しただけのような所も有れば 大型トラックが何台も出入りするビルもある。数軒おきに並ぶ色も鮮やかな貸し工場の隣には 軒も崩れそうな古い家屋で昔のままに営業している工場があったり、或いはその中には数千万円の機械が並んでいたりする。
新津機工の発祥もこの町で 現社長の代になってから手狭になったことを理由に 隣町へ移り変わったと聞いている。だから、この町には古くからの馴染みが多く、そのほとんどの取引先を リビルドサービスが受け持っている。
歩道で立ち話をしている気さくな町工場の経営者が 世界のトップシェアを誇る企業の社長だったりするから この町は面白いと剣心は思う。
日向ぼこがてら世間話に興じている数人を横目で見ながら 赤茶けたスレートの屋根を数軒超すと 山中製作所の古びたタイル張りの3階建てのビルが見えてきた。
山中製作所も以前は今のビルから5分ほどの所に有ったが、剣心が入社して2年目に 丁度手頃な物件があったからと中古で買い求め引っ越した。
発條屋や機械工具を売る店を過ぎ、工場の前に設けられた僅かな駐車スペースで いつものように剣心は車を停めた。
アルミ製の横開きの戸口の横には 以前の工場でも使っていた「山中製作所」と書かれた金属プレートが時と共に黒ずみ、薄ぼんやりと来訪者に知らせている。それは ここの歴史を物語っているようでもある。
それとは対照的にそこだけが新しいアルミ製の銀色の戸口に手を掛けた時、剣心は小さな違和感を覚えて手を止めた。いつもなら微かに聞こえてくる機械の音が まったく耳に届かない。しんと静まりかえった建物は 心なしか廃墟のようにさえ思えてくる。
今日まで訪ねる日を延ばしていたのには 剣心なりの理由があるのだが、やはり来るのが遅かったのだろうかと 不安な気持ちで戸口を睨む。だが、()りガラスの向こうは何も見えず、霧の中に消えてしまったような気にさえさせる。
先ほど引き出したなけなしの900万かそこらで山中の危機を救えるとは 剣心も最初(ハナ)から思っていない。だが、不二電気の支払いはおそらく手形だろうと踏み、山中製作所の支払いも大きな買い物は自分の所に回ってきたように やはり3ヶ月の手形だろうと想像がつく。で、あれば、2ヶ月間を持ちこたえてくれれば、もしかしてこの金が役に立つのではないだろうかと考えた。もし、それ以前に破綻したのなら損金の額が大きすぎ、もう自分にはどうすることも出来ないと言うことだ。
だから今日までの日を 祈るような気持ちで待ち続けた。1週間後の期日に無事役だってくれれば、山中の当面の危機は救えるだろうし、左之助の取引にも傷を付けずに済む。山中のためだけでなく左之助のためにも役だって欲しいと願うのは、都合が良すぎるかも知れないが 自分に出来る精一杯のことだから 一石二鳥の道を選んだ。

深呼吸をして、止めた手に力を入れて横に引いてみると きっちり締まっていた戸口は音もなくすんなりと開いた。
「おはようございます。新津機工です。」
声を掛けてみるが、工場の中は薄暗く、いつも居る数人の従業員の姿も見あたらない。しばらくすると奥から人の動く気配がして やっと山中がいつもの笑顔と共に姿を見せた。
「やぁ、すいません。ちょうど奥で図面を睨んでいたものですから。」
そう言って老眼鏡の奥から ニコニコと笑顔を見せる。工場の暗さとはちぐはぐなほど山中の表情は明るく、その笑顔に幾分ホッとした。
「緋村さん、丁度良かった。実は近々あなたを訪ねようかと思っていたところですよ。」
そう言って山中は 歓待する様子まで見せた。そのことに幾分戸惑いながらも 剣心も自分の用件を切り出した。
「そうなんですか。山中さん。実は私も今日はぶしつけなお願いがあってやって来ました。」
「さて、私に願い事とは何でしょう? 取りあえずこんな所で立ち話もなんです。2階でゆっくり話しましょう。」
そう言うと山中はいつものように 剣心を2階の事務室へと誘導した。階段を上がる時に工場の奥へも目を走らせたが やはり従業員の姿は 誰一人見あたらなかった。それは事務室のソファに腰を掛けた時も同じで いつもお茶を運んでくれる女性事務員の姿も見えなかった。その代わりに山中自らが給湯室に向かい、手盆で茶碗を二つ運んできた。その姿を見ると胸が詰まり、何を話していいものか思案に暮れ、思わず、「静かですね。」と 馬鹿正直な感想を言ってしまっていた。他に言いようもあるだろうにと思うと 自分の気のきかなさに嫌気がさす。山中はそれには軽く笑い、
「みんな辞めてもらいましたから。」
と 寂しげな笑顔を見せた。
「不二電気のことはお聞き及びと思いますが、うちもかなりのあおりを食らいました。もともと業績が悪くなってからパートに切り替えていたものですから、無給で働かせるわけにもいかず、暇を取ってもらったんです。」
閑古鳥が鳴いているそのわけを 薄い茶を啜りながら山中は静かに言った。
日頃はこの事務室で話していても 下から何らかの機械の動く音が絶えず聞こえていたものだ。吐く息の音さえ聞こえそうなほど静まりかえった事務室に 近隣の工場から出る金属の響く音が もの悲しく耳に届いてくる。
黙っているといたたまれなくなり、剣心も山中の煎れた茶を一口啜り、居住まいを正すと 穏やかなその目をしっかりと見据えて用件を切り出した。
「実はそのことについて 今日はお願いが有ります。大変勝手な言い分だとお思いでしょうが、何も言わずに黙ってこれを受け取って頂けませんか?」
そう言って鞄に仕舞ってあった封筒を取り出し、山中の方へとテーブルごしに差しだした。一目でそれが何であるのか悟った山中は 驚いたように眼鏡の奥で数度目をしばたたかせ、
「何なのでしょう?」
と 穏やかに訊ねた。
「決して怪しいお金じゃありません。私が今日まで働いて貯めた分で 900万有ります。ですから誰に後ろ指を指されることもないと思います。それだけじゃ足りないだろうとは思いますが 私に用意出来るのはこれが精一杯なんです。」
「つまり、これで新津さんへの支払いをしろと言うことですね?」
「ええ。少しでもお役に立てて頂けたらと・・・私が横から口出しをするのはお門違いだとお思いでしょう。ですが、相楽が初めて取ってきた大きな仕事に傷を付けたくないんです。契約を頂けたことを 本当に心から喜んでおりました。その思いを大事にしてやりたいんです。本当にこんな時に自分の立場だけの勝手な言い分だとは思います。ですが、お願いします。黙ってお納め下さい。」
そう言って、剣心は深々と頭を下げた。
山中の人柄に甘え、自分勝手な言い分を理由として押しつけようとしている恥ずかしさに 俯いた頬が上気するのがわかる。だが、これが自分が上司として左之助にしてやれる最後の仕事であり、また自分がしたことへのけじめだと思うと 一歩も引くわけにはいかなかった。
「緋村さん。」
山中の優しい声が 響いた。
「ありがとう。あなたの気持ちは有り難く頂戴しますよ。でも、これを受け取るわけにはいきません。」
「お気持ちは充分お察しします。ですが。」
「いえ、誤解しないで下さい。あなたが相楽君を思いやる気持ちを理由に 私どもへの有り難い心遣いを下さってることは 充分承知しているつもりです。ですが、これ以上してもらっては罰が当たります。」
山中のその言葉に 剣心は目をしばたいた。
これ以上とは何を指すのだろう? 
山中は何に恩義を感じているというのだろう?
しかとした理由は分からなかったが、剣心の脳裏に左之助とやり合ったあの日の記憶が ちらっと浮かんだ。
しかし拒絶されては剣心も困る。何としても支払いの役に立ててもらい、無事に手形を落として欲しい。
その気持ちを察したのか 山中はすぐに言葉を継いだ。
「新津さんへのお支払いは間違いなくさせて頂けると思いますよ。ようやく何とかメドも立ちました。それについては あなたにもお礼を申し上げねばなりません。
先ほど私があなたを訪ねようと思っていたと言いましたね。そのことについて 先に私の話を聞いて頂けませんか?」
山中の人柄だから怒り出すことはないだろうと思っていたが、間違えばかなり気分を害させることになる。誤解の無いようにと 言葉を尽くして話を進めるつもりだったのだが、先んじられてしまい、その上出過ぎた真似だと叱るでもなく、穏やかな声で返って礼まで言われ、剣心は意味が飲み込めずにいた。その剣心へと優しい笑顔を向けて 山中はにこにこと微笑んでいる。その柔和な目元に自分への親愛の色を示している理由を知りたくて 剣心は山中の口元を黙って見つめていた。
山中は静かな動作で湯呑みを口元へと運び 喉を潤した。そして、再び緩やかに微笑むとゆっくりと語り始めた。
「あれは不二電気が倒産して 翌週のことだったと思います。相楽君が飛び込んできたのは・・・・」


―――――山中は工場の2階にある事務室で 電卓を叩きながら暗い顔をしていた。
先週、一番の取引先であった不二電気が倒産をした。バブルがはじけてからは注文も減っており、業績の不振は山中も身をもって感じていた。だが、四菱銀行が受け皿になると聞き及び、よもや倒産などするとは思っていなかった。
だからといって 不況を甘んじて受けていたわけではない。
不二電気だけに頼っている危うさを感じ、方々へと営業の働きかけもした。不況の折りに新規参入は難しかったが、丁寧な仕事と山中の人柄が認められ、掛け合った何社かは少量ながらも注文を呉れた。その積み重ねの信用が この度の大岩電機産業からの大量注文と成っていた。
これで山中製作所も安泰と息を吐いたのも束の間、不二電気の倒産の日がこんなに早く訪れるとは予想外だ。
受取っていた手形は半年分。
現金収入の目減り分は 自分の預金の取り崩しと銀行からの借り入れで賄ってきた。それも手にしている手形が 半年後には現金になるという計算が有ってのことだ。紙クズ同然となった今は 今月の支払いさえ危うい。

倒産を知ってすぐ、四菱銀行へと山中は走った。新たに借り入れることになっていた資金の振り込みの確認と支払いの相談のためだ。
だが、対応に出た係の者の反応は冷たかった。その上、審査も通り、振り込まれるだけになっていた借り入れは突然に止められた。
「そんな! 何度も念を押したじゃないですか。この2,3日中には下りることになっていると確約ももらっていたはずです。」
縋るように言いつのったが、長年、山中の工場と取引をしていた銀行は 内情を知りすぎるほどに知っていた。どこからも収入のあてが無くなった今となっては 銀行が損失を抑えようとすることは道理と言えば道理だ。それでも山中は 借り入れのために説明していた新規取引のことを 再びくどいほどに説明を重ねた。充分に注文はもらっていること、無事納めれば次も注文をもらえると言葉を尽くして説明をした。
今、融資を止められたら新津機工への支払いは完全に出来なくなる。振り出した手形は空手形となり、山中製作所は倒産するしかない。
山中は必死だった。だが、どんなに言葉を尽くしても係員は首を横に振るばかりで あげく、不二電気の事後処理で忙しいからと 態度だけは丁寧な素振りで追い払われた。
ならばと 普段断っても断っても借りてくれと言っていた信金や地銀行を回ってみたが、いったん窮地に落ち込むと どこへ行っても手のひらを返したように返答は冷たかった。
それからは毎日思い当たるだけの銀行を回ったが、資金のメドは立たず、知人や親戚を回っても借りられた額は ほんの100万足らずだった。
完全な八方塞がりだった。
工場は担保に入っており、ローンが残っている。長引く不況で身銭を切り、売って金に換える物など何も残っては居なかった。
倒産の道しか残されていないのなら せめて周りに迷惑をかけぬよう工場を売り、その残金で廃業に運べないものかと電卓を叩きながら、山中は手にした数字を追いかけていた。その没頭のさなかに左之助が飛び込んできた。
「親父さん! 何で機械が動いてねぇんだ! それに従業員はどうした!?」
勢いこんで訊ねる左之助に 山中は面食らった。
「相楽君、不二電気のことを知らないわけじゃないでしょう?」
「ああ、知ってる。」
「だったら、うちがどういう状態だかおわかりでしょう?」
「諦めちまうのかよ! 親父さん、この工場は息子みたいなもんだって言ってたじゃねぇか。奥さんと二人で手塩にかけてここまでしたんだって。死ぬまで機械の音を聞いていてぇって言ってたじゃねぇか!」
食い下がる左之助に山中はくしゃりと顔を崩し、悲痛な面持ちで左之助へと告げた。
「そうしたいですよ。出来ればそうしたい・・・ですが、紙クズの束を持った工場に貸し出しをしてくれる銀行など1社もありゃしません。跡を継いでくれるとがんばっていた息子のためにも ここは残してやりたかった・・・今、私に出来ることはなるべく取引先の皆さんにご迷惑をおかけしないように 工場を閉じることだけですよ。」
静かに語らいながら山中は2本の指で目頭を押さえた。
「それでいいのかよ! 新しい取引先から注文ももらったって言ってたじゃねぇか。それを納品して金にすれば その後の方策は考えられるんじゃねぇのかよ。」
「相楽君、君の気持ちはありがたいけど 無理なんですよ。頂いた注文をすべて納品するには3ヶ月はかかります。それが現金になるには キャッシュでとお願いしたところで 振り込まれるのは1ヶ月先。到底手形の落ちる日には間に合いません。それにすべて納品したところで600万ほどにしかなりませんからね。」
今更隠し立てをしたところで始まらないと 山中は正直に左之助に内情を打ち明けた。
事実、電卓を叩きながら なぜ新津機工に納品をあんなにも急がせてしまったのかと山中自身、後悔していたところだった。晦日に納入日を決めてしまったのは紛れもなく自分で 後一日延ばしていたら月初めになり、支払いは1ヶ月延長されるはずだった。もう1ヶ月あったなら何とかなったのではないかという未練な気持ちが 心の奥底で澱のように湧き上がり、今更馬鹿なとその度に打ち消していた。
「親父さん!! だったらまだ何とかなるぜ! 見てくれよ、この図面。親父さんのところで出来るだろ?」
そう言って左之助は 手にしていた図面を 山中の眼前へと差し出した。
「これは・・・何の部品か分かりませんが、薄板加工ですね? これならうちではお手の物です。」
「だろ!? 俺の叔父が信州で台所の用品を扱う会社をやってんだけど、サンプルを納入して気に入ったら注文してもいいって確約を取ってきたんだ。これを1万個、そしてこっちが5000個。小せぇほうが1個100円で、大きい方が400円。しめて300万だ。この値段で親父さんところで作れるか?」
「計算してみないと分かりませんが、もう少し安くできると思いますよ。」
「んとか? だったらこの先、叔父んとこの注文は取ったも同然だぜ! なぁ、サンプルを作るのに何日かかる?」
「2日も有れば出来ると思いますが。ですが、これだけの注文をこなすとなると最低1ヶ月はかかるんじゃないかと思いますね。ですが、せっかくだけど相楽君、それまでここが保ちませんよ。」
「何で! さっきの注文が600万だろ? んで、これが300万。すべて納入すれば900万の金になるじゃねぇか。叔父んところは納入したらすぐに現金をくれるように 話はつけてきた。すでにある注文も納入したら即金で支払ってくれって頼んだら・・・」
「計算上はそうでも人手が足りません。いつも来てもらってたパートには暇を出しましたしね。私と息子の二人じゃ到底期限には間に合いませんよ。」
「だったら俺が働く! 会社が引けたらまっすぐにここへ飛んでくるから。徹夜だってかまわねぇ。もちろん金はもらわねぇ。だから!!」
「相楽君、そんなバカな! よその会社のために何でそこまで君がしなきゃならないんですか。」
山中にすれば必死の形相の左之助を見ても 自分のためにそこまでしてくれるという左之助の好意が信じられなかったし、そんな厚かましい人間でもなかった。と、突然左之助がその場に手をつき土下座をした。
「頼む! 親父さん。諦めないでくれ。俺、働くから。すべての商品を金にするまでがんばるから。だから、頼む! 相楽左之助、一生の願いだ。」
「相楽君、何でそこまで・・・・」
「親父さんだから全部ぶちまけちまうけど、俺、知ってたんだ。不二電気が危ないってな。聞いたのは倒産する数日前だけどよ。でもあそこは四菱銀行が受け皿になるって聞いてたから それを聞いてもにわかには信じられなかったんだ。んで、うちのマネージャーに納期を延ばせって言われて喧嘩になった。俺がイヤだって言い張ったからだけどよ。でも、アイツ、上司だし、権限もあるし、俺がどう言ったところで止めようと思えば止められたんだ。だのに、それでもを黙ってハンコをついてくれて・・・
ああ、やっぱりコイツも俺と同じ気持ちだったんだと思って ただ単純に俺一人で喜んでた。でも、一昨日見ちまったんだ。アイツの机の中に辞表が入ってるのを・・・
バカみてぇだけど 俺はそこまで考えちゃ居なかったんだ。
だけど考えたらそうだよな。知っていながらみすみす損失をかけるようなマネを責任者がしたんだもんな。
最終的な判断をしたのがアイツだとしても アイツを追いこんじまったのは俺だと思った。俺が素直に聞いてりゃ、アイツにそんなマネをさせなくても済んだんだ。
でも、俺、どうしても親父さんのところがつぶれるようなことはしたくなかったんだ。あの機械がなきゃ新しい仕事ができねぇって聞いてたからな。もし、不二電気が倒産してもまだ一縷の望みがあんなら、それに賭けてぇって思ったんだ。
だけどアイツにも辞めて欲しくねぇ。あんな上司はどこを探したって居ねぇんだ。
アイツ、自分ではみんなから慕われてるなんてちっとも知らなくて、それでもいつも自分を犠牲にしてまでみんなのフォローをしてまわってて・・・みんな頼りにしてるんだ。アイツが居るからこそ俺たちの部署は快適で順調にまわってるってみんな知ってる。
だから・・・
親父さんのところが潰れねぇで ちゃんと支払いが出来たら、俺もアイツも間違ったことをしたわけじゃねぇだろ? 普通の取引をしていつも通りに支払いをしてもらえた。何の手落ちもねぇだろ?
なっ、頼む!この通りだ。親父さん、会社をたたむなんて言わねぇでくれ。俺を助けてくれ!」―――――


「そう言って何度も何度も頭を下げるんですよ。
緋村さん、そのときの私の気持ちをおわかりいただけますか? 
私は不二電気が倒産してから初めて人前で泣きました。どこへ行っても冷たくあしらわれるばかりで この歳になってイヤと言うほど世間の冷たさを味わいました。その私にこんなにも思いをかけて下さる人たちがいらっしゃるんだと。あなたにしろ、相楽君にしろ、ご自分の都合を口実にしてらっしゃいますが 元を正せば私への思いやりから出たことです。
ありがたいと思いました。
先代の社長がここへ来て 作業中によく武田節を口ずさんでいらっしゃいましたが、「情けは味方仇は敵」という精神が 今も新津さんには息づいて居るんだと つくづく感ぜられました。
あなた方の恩に報いるためにも その私がここでへこたれるわけにはいきません。ダメだダメだと思わずに 出来る限りのことをやってみよう、諦めるのはそれからだという気になりました。」
その時のことを思い出したのか 山中は目頭を押さえて鼻を啜った。

一度思いを極めるとその人々の態度によってか 或いは運を呼び込むのかすべてが好転に転じたという。
普段ならばどうあっても断るところだが、非常事態のこの時に 左之助の申し出はありがたかった。人手不足は左之助の好意に甘えることにした。学生時代にその叔父のところでバイトもしたことがあるという左之助は いくつかの機械には慣れていたし、何より自分が売っている製品のコンピューターへの製図の書き込みは 山中が手がけるよりも数段早かった。ただし、左之助にすれば数字の入力には非常な忍耐を要したとは 後日本人から聞いた。
それ以外にも山中は 自分勝手を承知で暇を出したパートに復職を持ちかけたところ、その内の一人は戻ってくれた。
それからは山中とその息子、左之助、従業員の4人で夜を徹して仕事に明け暮れた。
4人の目標は まずは新規取引先である大岩電機産業の1枚目の注文書を 締め日前までに仕上げることとした。翌月は大岩電機産業の2枚目と左之助の叔父の分を並行して進める。
しかし、言うは安く実際その通りに進めるとなると かなりのオーバーワークを覚悟しなければならない。
通常ならばすべての仕事を片付けるのに4ヶ月以上は要する。それを2ヶ月あまりで仕上げようというのだし、次の注文に繋げるためにも製品の質は落とすわけにはいかない。
誰もが必死だった。
毎夜、2時3時まで機械はフル回転で動き、土曜、日曜も音が止むことはなかった。左之助はその言葉の通り、会社が引けた後は山中製作所へと駆け込んできて 深夜遅くまで働き続けた。連日の無理に山中が たまには休憩を取るように勧めても 「丈夫に出来てるから。」と言って、ほとんど休み時間も取らずに仕事をこなし、終わると倒れるように事務室のソファーで睡眠を貪り、翌朝は新津機工へ出社をするという生活を続けた。
その甲斐あってか まずは最初の目標を何とかクリアー出来た。
そこで山中は出来上がった製品を大岩電機産業へと運び、担当者へと恥を忍んで支払いは 商品と交換でもらえないだろうかと持ちかけた。大岩電機産業ではおおよその所は察していたらしい。だが、窮地にあっても納期を守り、製品の質は落とさない。その山中の心意気と人柄を汲んでくれ、また、何より山中製作所の製品の質の良さに満足をしていたから 「上にも計ってみましょう。」との返事をもらうことが出来た。それで山中の胸にも大きな希望が湧いた。
何度も頭を下げ、感謝の気持ちを顕して辞してから その担当者からの返事を心待ちにした。数日後、今回の注文に限り、そのすべてについて納入してから 支払い準備の整う3日後に支払ってもいいとの返事が来た。
山中製作所で働く4人は 肩を抱いて喜び合った。そうなれば何としても受けている注文を仕上げなければならないと 前にも増して結束を固め、体力の続く限り機械を動かし続けた。
大岩電機産業から現金が振り込まれ、資金が回り出すと それが功を奏してか倒産防止掛け金からも500万円の借り入れをすることが認められた。

「ですからお心遣いを頂いたこのお金に手をつけなくても 何とかやりくりをするメドが立ったんです。仕入れ先にも待ってもらい、ずいぶんと迷惑を掛けましたが、来月にはすべて支払えそうです。今、息子が最後の注文分を大岩電機産業へと納品に行っています。約束通り、3日後には現金を頂けますし、借入金も先週には降りてきました。後は相楽君のおじさんの所から頂いた残りの注文分をこなすだけですが、こちらの方は私どもだけでやりくりをつけられますので 相楽君には昨日までで引き取ってもらいました。うちのパートにも今日は一日休むようにと 暇を出しています。今頃はきっと泥のように眠っていることでしょう。」
そういって山中は嬉しそうに静かに微笑んだ。
老体に鞭打って不眠不休で働いたその苦労が報われたと 山中の笑顔には疲れよりも成し遂げた満足感が今は漂っている。
「ここまで何とかこぎ着けられたのは ひとえに新津さんのお陰です。緋村さん、あなたが自身の進退をかけてまでレーザー機を納入して下さったこと、昼夜を徹して働きづめに働いてくれた相楽君に どんなに感謝をしても感謝しきれません。お陰でこの工場を手放さずに済みました。本当にありがとうございました。」
テーブルに手をつき、山中は深々と剣心へと頭を下げた。
寝耳に水で あの左之助が自分の知らない内にそんながんばりを見せていたと思うと 感動さえ覚える。
が、呆然とその話に聞き入っていた剣心は 山中に頭を下げられておおいに慌てた。
「よ、よしてください。私が勝手にしたことですし、山中さんに礼を言って頂くような事じゃありません。第一、何の力にもなれなくって かえって恐縮しているんですから・・・」
言いながら総身から汗が噴き出すような気がした。
今日の今日まで気になりながらも様子を伺い、のこのこと現金を持参してきただけの自分の思い上がりが 左之助を思えばやりきれなかった。
自分に出来ることはただ一つとさっさと結論を出してしまい、静観している内に左之助は断然たる行動を起こしていたのだ。
だが山中は、剣心がそんな気持ちだとは知らず、レーザー機を納入してくれた思いやりとその上現金まで用意をしてくれたことが嬉しかったらしく 何度も何度も礼を言う。
礼を受けるのは左之助であって自分ではないと剣心が言っても聞かず、倒産を免れた喜びと感謝を何度も口にする。そんな純粋な態度が山中らしいと言えば山中らしいのだが、今はそれがいたたまれない。純粋に山中のことだけを考えたわけではないと言う思いが 卑怯なようにも感じて、吹き出す冷や汗を何度も拭い、恐縮しながら工場の再出発の祝いを述べた。そして、メドが立ったと言っても内情は苦しいだろうと 断る山中に引き出した現金を押しつけて早々に前を辞した。

逃げるように山中の工場を後にしてきたが、すぐには次の得意先へと回る気持ちにはなれなかった。進むべき進行方向とは逆の方角へと車を進める。来るときに越えてきた川沿いの堤防をしばらく走ると 整備された河川敷公園が見えてくる。
工場地帯の真ん中にある川は お世辞にも綺麗だとは言いがたいが、雑然と建ち並んだ工場群の真ん中で そこだけがぽっかりと空が開けていて 近隣に住む人々のために憩いの場所を提供している。
河原にある遊歩道には犬を散歩させる人たちの姿が見え、遊具の側には子守がてらにおしゃべりに花を咲かせている主婦達が集まっていて 工場の喧噪をしばし忘れさせる。
そののどかな風景は ぐちゃぐちゃになって思考の纏まらない今の気分を 幾分落ち着かせる作用がありそうだ。
剣心は堤防の少し広くなった部分に車を停めて それらを一望出来る柔らかな草の上に腰を落とした。
晩秋の日差しは ここが工場地帯だと忘れさせるほど柔らかいのに 対岸に広がる空はスモッグの所為か 町と空の間が滲み、薄ネズミ色に靄が掛かっている。蜃気楼のように揺れるその色は 今の自分の心情のようにも思える。
自分の働く場所を遠くに見つめ、驚くことの連続だった山中の話をどう受け止めるべきか しばらく一人になって考えてみたかった。


山中製作所を訪れるまでは もう会社を辞めようと思っていた。
例え山中が自分の手助けを必要とせず、自力で再建出来たとしても退職するつもりだった。
会社のため、自分のためにと 縁のようにクールに割り切ることは出来ない。
それは 責任者としての資質に欠けているということだ。
それに妙に懐かれていると多少自惚れていた左之助にまで冷たい態度を取られて、つくづく自分には人望がないと思えた。一人で頑張ってみたところで所詮空回りで どう足掻いてみても 荷が重すぎたのだ。
そんなことを思いながら過ごした3ヶ月だった。
だが、工場を出る時に送って出てきた山中が 別れ際に言っていた。
「緋村さん、辞めないで下さいね。あなたに辞められでもしたら、私も頑張った甲斐がありません。。
世話になった相楽君に何の恩返しも今は出来ませんが、こうして工場の存続のメドが立ったことは あなたに責任を負わせるような事態を回避出来たということで、それは相楽君の心に少しは報いれたのではないかと思えて 嬉しく思っているんですから。」
その言葉に 左之助のみならず山中にまで胸の内を知られていては 抜き差しならないと思えた。
辞表を書いていたあの日、急に片山に触っていた金型の相談をされ、慌てて引き出しの中に仕舞った。それから用事に取り紛れ、2,3日の間は書きかけのまま引き出しの中に放置していた。その間にきっと左之助に見られたのだろうが そんな物を置いたままにしていたなんて 今思えばずいぶん間抜けている。
左之助に責任を感じさせるために 辞表を書いたのではなく、ましてや山中にまでその責任を感じさせていたなんて まるで本末転倒だ。
山中は温かい思いやりを貰ったと礼を言うが、思いやりを掛けてもらって居たのは自分の方だ。
「俺が何とかする!」
睨みあった会議室での言葉通りに左之助は実行して見せた。
あんなに疲れた顔をして 山中のため、自分のためにと睡眠不足の生欠伸を噛み殺していた。
その左之助のがんばりを思えば 今ここで辞めるわけにはいかないと思える。

左之助ほどまだ頑張ったわけじゃない。
自分のやるべきことはまだまだあるはずだ。
責任を取るのは やれるだけのことをすべてやってみてからだ。
そして、左之助の心に報いるまでは 音を上げるわけにはいかない。

左之助の気持ちに励まされて 剣心は自分の可能性を 少しは信じてみようという気になった。
目を上げてもう一度観た空は すっきりと抜けていて その向こうに左之助の笑顔が見えた気がした。



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