< 1.3.4.5.6 > 


雑然と散らかった2DKのマンションを ダイニングの椅子に腰掛けながら 左之助は物珍しそうに見回した。
「へぇー、お前のことだから もっと片づいてるのかと思った。もっとも俺の部屋よりは綺麗だけど。」
新聞や書類、雑誌などが床に散らばり、脱いだ服はそのまま椅子の背に重ねて掛けてあるその様を見て、左之助は遠慮無く言う。
「普段は寝に帰るだけだから。月曜日に来ればもっと片づいてるんだけど。」
男同士だから散らかった部屋を見られてもどうと言うこともないが、身体の大きな左之助に書類やカタログを踏まれては後が困る。言いながら散らかった物を手早く纏めて隅へと寄せる。
「じゃ、日曜日に片づけとかすんのか?」
「ああ、昼迄寝て、起きたら洗濯とか片づけで1日が終わる。」
手にした雑誌を重ねながら剣心が答えた。
「デートとかは?」
「そんな相手がいるかよ。」
「だろうと思った。」
「何だよ、そのだろうって。どうせ俺はモテないよ。」
少し口を尖らせて振り返り、遠慮のない左之助をにらみ返した。
「そう言う意味じゃねぇって。お前ってニブいじゃん? だから雪代も安心してんだろうけどな。」
長い腕を椅子の背にもたせかけ頬杖をついて 左之助はニヤニヤと笑っている。
「はぁ? 縁がどうしたって?」
「だからニブいって言ってんじゃねぇか。お前ってそう言う人の機微には疎いのな。」
「何馬鹿なこと言ってんだよ。縁はただの従兄弟。アイツも変な冗談は好きだけどな。俺が嫌がるから喜んでんだろ?」
「これだからな、ンとに。敵ながら同情してやるぜ。」
左之助はさもやりきれないとばかりに腕に載せた顎を持ち上げ これ見よがしに大きな溜息を吐いて見せた。
「何だよ、その溜息は。それに敵ってどういうことだよ? お前、アイツと喧嘩でもしたのか?」
矢継ぎ早に問いかけ、手にした雑誌を置いて剣心は左之助へと歩み寄った。椅子に座った左之助を上から見下ろして あの高慢な縁とだったらあり得ると気遣わしげに大きな目をしばたかせている。その目があまりにも見当違いな心配をたたえ、純真で 左之助に胸にせり上がる想いにドギマギさせているとは 露ほども気づいていない。おまけに小首を傾げてみせたりするから 左之助のゲージは一気にMAXへと向かいつつある。
心臓がバクバクと脈打ち 口から飛び出しそうで慌てて視線を外し、「いや、そう言うわけじゃねぇ。」と、消え入りそうな声で呟いた。
左之助の頬が僅かに染まっている。
だが、そんな些細な変化には気づかず、急に威勢を沈めた左之助を剣心は不思議に思っただけだった。そして、なおも気遣わしげに見下ろし続けている。と、左之助が急に顔を上げて 思いきったように言った。
「なぁ、さっきの約束忘れちゃいねぇよな?」
切れ長の二重に縁取られた瞳が 何かを訴えている。
縁の話をしていたのに急にプレゼントのことを持ち出されて 何だか意味が判らない。おかしな事を言うヤツだと思いつつ、「ああ、忘れてないけど?」と 緩やかに微笑んだ。
「じゃぁさ、今、くれよ。」
「今って、何? 何かこの部屋に有るものなのか? 何が欲しいかお前全然言ってないけど?」 
頬を紅潮させ 左之助は切羽詰まったような表情だ。それとは対照的に 左之助の胸の内を知らない剣心は 自分の持っているものなら何でもやろうと思い、余裕の笑顔だ。
左之助の唇が微かに震え、言葉を吐き出した。
「キス・・・したいんだ・・・・」
「えっ!?」
「さっき、褒美は何でもいいって・・・」
「ちょっ、ちょっと、待てよ。お前、悪酔いしすぎだぞ。」
「酔ってなんかいねぇよ。」
語気荒く言い放つと左之助は立ち上がり、これ以上にないぐらい真剣な表情で剣心を見つめた。
ここまで来たらもう後へ引くわけにはいかない。次のチャンスなど一生回ってこないのかもしれないのだ。たった今証明されたように 剣心の鈍さと来たら相当なものである。
左之助はその目にありったけの想いを込めた。
が、剣心は戸惑うばかりだ。

何だってんだよ! いったい・・・
それとこれとは話が違うだろ。
俺は自分をプレゼントするなんて言った覚えは これぽっちもないぞ。

胸の内で左之助の言葉を反芻すると 驚きと焦りと腹立ちが一度に押し寄せてきた。心地よく回っていた酔いもいっぺんに吹き飛びそうだ。が、おちおち考えに浸っていられない。向かい合った左之助の腕が延びてきて 剣心の肩を掴んだからだ。
「男と男の約束だって言ったじゃねぇか・・・」
左之助は必死だ。
もし肩を掴まれていなかったら、剣心はたじろいでそのまま壁際まで後退していただろう。が、左之助の腕がそれを許さない。
「や、あっ、でも・・・・」

お、男とキスなんて・・・
いや、そりゃ、前に一回したけどさ。
でもアレは お前が突然掠めていっただけで・・・・
お、俺は男だし、お前も男だし。
俺にはそんなケは 髪の毛の先ほどにもないんだし・・・
ああ、弱ったなぁ。
そんな目で見られたって、俺、困るんだよ。

冷や汗を内心タラタラ流しながら 剣心は胸の中で問答を繰り返す。
「それともあれは デタラメだったのかよ?」
言葉を重ねる左之助の黒い瞳が 悲しげな影を帯びて揺らぐ。
その目は真っ直ぐで真剣そのものだ。
「えっ、いや、その・・デタラメというわけでは・・・・」

弱ったな。
そんな目で見つめられたら 嫌だって言えないじゃないか・・・・
きっと男にキスなんかされたら 鳥肌が立つ。
前の時みたいに 気分がぞわぞわとして 思い出したくもない出来事になるんだ・・・

「剣心・・・・」
逡巡する剣心に 囁くようなか細い声で名前を呼び、左之助は最後の砦を越えようとする。
真摯な目で見つめる左之助の瞳には 酔いの影などどこにも見あたらない。いつも陽気で明るい瞳が 今は拒絶にあう怖さに哀愁の色さえ浮かべている。
前屈みに頭を落とした左之助の熱い息が そこまで近づき頬に掛かりそうだ。

あっ、やっ、ちょっと待て。
えっ、その・・・・・

焦るばかりで左之助を押し止めるうまい文句も言い訳も浮かばない。
左之助の顔がゆっくりと近づいてくる。

ええい!
俺も男だ。
キスしたからって 減るもんじゃなし。
男同士の約束を破って 嘘つき野郎にされるのもムカつくし。
それでコイツが納得するんだったら ちょっとの間我慢すればいいんだ。

ようやく剣心は心を決めた。
「じゃ、1度だけ・・・」
頬に触れそうな左之助の息を避けるため俯き加減でそう言った。それから ぎゅっと目を瞑り口唇を突き出して もう一度上を向いた。

左之助の顔がゆっくりと降りてくるのが気配で分かる。
大きな手が頬を撫で、そして両手で包み込まれると心臓がドキドキして 剣心はゴクッと唾を呑んだ。
左之助の熱い息が口唇に掛かったと思ったら ふれるように重なり、包まれ、優しく口唇を吸われた。
花びらの一枚一枚をいとおしむように 交互に舌先で舐められて、口唇で押し包む。やがて、舌で口唇を割られ、左之助の舌が剣心を求めて彷徨い始めた。

うわっ!
なんてキスするんだ。
すっごく優しくて、とろけてしまいそうな・・・・
女とだってこんなキス、したことがないぞ・・・・

心臓は更にドクンドクンと高鳴り、身体中の血液が全身を駆け巡り、頬がかぁーっと熱くなる。そして、頭の中が痺れたようになって すべての力が抜けていくようだ。

男なのに・・・
男とキスしてるのに・・・・
なのに・・・

口唇から左之助の優しさがが伝わってくる。
いつもがさつだと思っていた左之助が こんなに細やかで優しいキスをするなんて・・・
触れる口唇は熱さを増し、絡む舌は剣心の意識を奪って行く。
その熱は 左之助の想いを伝えているようだ。
寄せては返す波のように 荒々しいかと思えば優しく、深くと思えば浅く、幾度も幾度も繰り返す。そしてその度に繊細な動きを見せて 剣心の心の襞まで一つ一つなぞってゆく。

あっ、俺、ダメかも・・・・・・

相手が男だと意識したのは それが最後だった。
それから後はもう夢中で、身体中の力をすべて左之助に預けた。
息を殺し、頬を赤らめ、そしていつしか剣心も左之助の背を抱きしめていた。

尽きぬ名残を惜しむように 左之助の口唇は軽くふれては口唇を包み、そしてまたふれる。
それを何度も繰り返し、零れた唾液を綺麗に舐めとって ゆっくりと口唇は離れた。
それでも剣心は余韻でぼぅーっとし、まだ左之助の胸の中に身体を預けたままだ。
左之助もまた剣心の肩に顔を埋め 熱い息を吐いた。
左之助の大きな手が剣心の頭を 愛しそうに包み込む。
「剣心・・・・」
「ん?・・・・」
「一度だけって言ったけど・・もう1回、いいか?・・・」
耳元で優しく名を呼ばれ、すり寄せる頬に 胸の中で眠っていた何かの感情が溢れてきそうだ。こんな気持ちは全くの予想外で その正体が分からない。
熱い吐息の中で求められて 夢うつつで剣心は素直に頷いた。

再び重なった口唇は 先ほど以上に激しくて、またも剣心の脳髄を冒し始める。
零す息は熱く、絡む舌は優しく、極上の酒よりも剣心を酔わせる。

俺、どうしちゃったんだろう・・・
ちっとも嫌じゃない。
それどころか、もっとコイツを知りたいって思ってる。

広い胸に抱き締められ、優しい熱に包まれて剣心は我を忘れた。そして左之助の首に腕を回して 夢中になって口唇を重ねていた。

再び口唇が離れた時、もう一度左之助が囁いた。
「もう1回・・・」
「ん・・・」

また口唇は重なり、二人の口づけは更に熱を帯びる。
「もう1回・・・」
「ん・・・」

それから何度口唇を重ねたことだろう。
気が付けば 続きはいつの間にかベッドの中で行われていた。
「剣心、俺、優しくするから・・・・」
優しい口づけとたくましい腕に包まれ、左之助のその言葉を譫言のように聞いていた。が、熱に冒された意識に 何かが引っかかる。

優しく・・・・?
何、それ?
えっ!? もしかして もしかすると もしかすることか!?
うわっ! お、俺は男だー!
あっ、どこさわってんだよ。
やめろ、やめろってば・・・・・・
あっ、ああ・・・・
や、やばっ・・・

唇はふさがれたままで思ったことを言葉に出来ず、抗おうとする手は左之助の指が絡んでいる。もごもごと喉の奥で繰り返すうちにしっかりと左之助に組み敷かれ、電流のように駆け巡る快感に意識も朦朧と掻き消えて行く。そして、再び熱い目眩の中に落とされた。


そうして過ごし、浅いまどろみから目覚めた時に 剣心は思った。

結局俺って、コイツに嵌められたんじゃないのか・・・・?
数字は苦手って言ってたけど もしかしてすべて計算づくだったとしか思えないよな?

昨夜、飲みに行った時からこうなることは全部仕組まれていて 左之助の一人勝ちのような気さえする。
耳元で何度も名を呼ばれ、くどいほど愛していると囁かれた。その幻覚のような中で いつの間にか左之助を受け入れ、想いをぶつける左之助を愛しいとさえ思った。それはまるで麻薬に酔っているようでさえあり、そうなることを望んでいたようでもある。
すべてが夢の中のような出来事で、隣に眠る左之助を見ても まだ信じられない。
あの相楽と! なんて・・・・

結局俺、いつのまにかコイツを好きになっていたんだ・・・・
いや、惚れさせられたと言うべきだろうか?

明かりを落とした薄暗がりの中でぼんやりと浮かぶ左之助の寝顔を 剣心は不思議な生き物を見るような目で見つめた。
暗闇の中でもくっきりと影を作る彫りの深い目元、すんなりと通った鼻筋、そして今はしどけなく綻ばせている口元。
こうして見るとかなり端整な顔立ちをしている。
縁も綺麗な顔をしているが、透けるようなその優美な印象から 神話に出てくるペガサスを連想させる。だが、今目の前にある顔はまったくその対極にあり、しなやかでたくましく生きる野生の肉食獣のようだ。
いずれにしても女性の好むところで 縁がデートを断るのに忙しいように 皆が放っておくわけはないだろう。
そんなことをぼんやりと考えていて 剣心はふとあることに気が付いた。

そうだよ。
忘れていたけど コイツって無類の女好きだったんだ。
前のキスの一件からこっち 俺にそれらしい態度も見せたこともないし、さっきの店での会話だって 普通の同僚としての会話に他ならないし・・・
そんな素振りは毛ほども見せてなかったじゃないか。
山中さんの所に通っている間は忙しくて しばらくそんな名前も聞かなかったけど そう言えばついこの間も 今日はいちごさんに会いに行くとか確か言ってたよな?
いちごって 今度の相手は水商売かよ?
まったく、次から次じゃないか!!
縁のように女を利用してるワケじゃなさそうだけど この女好きは病気じゃないのか?
・・・・・・・・
ちょっと待てよ・・・・
と言うことは・・・
もしかして俺って つまみ食いされたのか?
好きだ好きだとか言ってたけど アレって男の常套手段だよな?
・・・・・・・・
うわーー!
何だってんだ!
ガキみたいにそんな言葉を本気にして コイツにいいようにやられちゃったのかよ。
何やってんだ、俺!
まずいぞ、非常にまずい!
俺って、コイツの上司だし、それを遊ばれたとなったら面目もクソも有ったもんじゃない。
コイツの意味深なニヤニヤ笑いに また悩まされるんだー。

そこまで考えが辿り着くと つい今し方まで好ましいと思っていた気持ちは腹立ちに変わり、剣心は隣で太平楽に寝ている左之助を殴りたくなった。それを堪えて今は憎らしいその顔を眺めつつ、取りあえず落ち着こうと自分を叱咤する。

ああ、何か考えなきゃ・・・・
とにかくこんな所でおちおち寝てられないな。
さっさとパジャマに着替えて 何食わぬ顔で居てやるか。

その考えは剣心の気に入るところとなった。
何も自分だけがあたふたと泡を食う必要はないのだ。
左之助がその気なら こっちもそれに合わせればいいのだ。

そうだよ。
そっちがその気なんだから 俺だって別にいいんだぞ。
さっきは酔いもあったし、熱に浮かされて 何がなんだかよく分かんなかっただけなんだからな。
ちょっと人並み外れたことはしてしまったけど、俺だって大人だし。
きっと綺麗さっぱり割り切れる。
遊びだと思えば サラッと忘れてみせれる。
好きだって気持ちを引きずるほど もう子供(がき)じゃないんだからな。

考えが纏まると 左之助の隣から抜け出そうとした。腹に回されて抱き寄せられていた腕を持ち上げ、そぅっと自分の身体を動かす。左之助が寝ている間に 事は音便に運ばなくてはならないのだ。もし、目を開けてこんな所を見られでもしたら その生意気な口が 何を言うか知れたものではい。
自分のプライドを保つためにも すべてを夢の中の出来事として 処理しなくてはならないと思った。
ようやく自分の身体が 重い腕から解放され、その腕を左之助の身体に添えた途端、腕は伸びて再び剣心を巻き込みベッドに縫いつけた。
「どこ行くんだよ?」
夢の中で悟ったのか 左之助の寝ぼけた声がする。
「ど、どこだっていいだろ!」
慌てた剣心は つい言葉が尖る。その投げつけられた言葉の鋭さに 半分夢の中だった左之助の意識は すっかり目覚めてしまった。
「あん? 何怒ってんだ? 俺、寝てる間に何かしたか?」
少し身体を起こし、腕に頭をもたせかけて剣心の方へと身体を向ける。薄暗がりの中で剣心の表情を見極めようと目をこらしてみるが、目覚めたばかりの瞳には輪郭をぼんやりと映すだけで 剣呑な雰囲気だけが伝わってくる。
「べ、べつになんにも・・・とにかく離せよ。」
すっかり予定の狂ってしまった剣心は 今は左之助の腕から逃れることだけに気を取られ、巻き付いた腕を何とかふり解こうと 両の腕を絡ませて力の限りに押したり引いたりを繰り返しているが 左之助の腕はびくとも動かない。
余裕で腕を巻き付け、理由も解らないまま何やら怒っていそうな剣心の顔を見ようと 左之助は空いた方の腕を伸ばして枕元のスタンドを点けた。
途端に眩しい光が目の奥で明滅する。
片方の眉を上げ、薄目を開けて見た剣心の眉間には しっかりと縦に皺が刻まれていた。
ここで逃せばどんな最悪の事態になるとも限らない。
左之助は本能で悟った。
緩め掛けた腕にもう一度力を込める。
「いやだね。お前、何か怒ってるみてぇだし。理由を聞くまでは離してやんねぇ。」
「だから、怒ってないって言ってるだろ!」
「それが怒ってるって言ってんだよ。何かおかしいぜ、お前。俺の寝てる間に何があったんだよ?」
「何にもないって。もう、いいから離せよ。」
出来る限りの力を込めて左之助の腕を取り除こうとするが そうすればするほど左之助はしっかりと剣心を抱き寄せようとする。
腕の中でもがきながら理由も言わず 急によそよそしくなった剣心に 左之助の胸にも軽い怒りが沸々と湧いてきた。それが左之助にストレートな言葉を言わせた。
「ぜーってぇおかしいって! さっきまであんなにあんあん言って俺にしがみついてたのによ。」
それは今は一番聞きたくない言葉だった。
その言葉に剣心はぶちキレた。
すかさず伸ばした腕は 見事左之助の顎を直撃し 鈍い音がした。
「いってぇーー! 何すんだよ!」
「俺は、俺はお前の遊びに付き合うつもりはない!!」
拳を握りしめたままで 剣心は真っ赤な顔をして言い放つ。
「遊びだーーー!? 何言ってんだよ、お前。俺が何時遊んだって?」
「だってそうじゃないか! とっかえひっかえ女と付き合ってるくせに。だのに俺に口先だけで 好きだとか何とか言ってちょっかいかけて。」
もう言い出せば言葉は止まらなかった。だが、それを聞く左之助は青天の霹靂(へきれき)だ。
「はぁーー?? 俺が何時女をとっかえひっかえしたって言うんだよ!」
「だって、いつもいつも女の名前を言ってるじゃないか。『ふとっちょのレイコさんは攻略が難しい。』とか、『愛嬌のいいナナちゃんを今日こそ脱がすぞ。』とか、聞いてるこっちの方が恥ずかしくなるようなことを 平気で言ってたじゃないか。女と付き合うその合間に ちょっと珍しいからと男と遊んでみたかっただけなんだろ!?」
怒りと興奮のために頭に血が上り、上気した顔を見せながら剣心は一気にまくし立てた。
そして言い終わると口唇を噛み、険悪な表情で左之助を見つめる。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてそれを聞いていた左之助は ぽかんと口を開け、それから突如バカじゃないかと思うほどに笑い出した。
「何が可笑しいんだよ。図星を指されて笑うしかないのか!?」
「違う、違う。あー、可笑しい。」
涙を零さんばかりに大口を開けて笑う左之助を意味も判らず、剣心は呆然と眺めるしかなかった。しかし、口はしっかりとへの字に曲げたままだ。その剣心へとむかって左之助は 相好を崩し嬉しそうに語りかけた。
「だって、アレ、全部機種の型番だぜ?」
「型番?」
「ああ。俺、数字は苦手って言ったじゃねぇか? アルファベットと数字の羅列の型番なんて 見るだけで眠くなっちまわぁ。でも、覚えないと仕事にならねぇし。藤崎の親父さんにはどやされるし。で、苦肉の策で思いついたのが 全部女の名前にしちまうって事。ふとっちょのレイコさんはFT005型。愛嬌のいいナナちゃんはAK1177型。こうしておけば俺だって忘れねぇし、おまけにそれぞれの面構えだって覚えられるし。なっ、いいアイデアだろ?」
「じゃぁ、攻略とか脱がすって・・・・」
「言葉通りだぜ。FT005なんか調整を覚えるのに かなり時間食っちまったし、AK1177は なかなか中身を触らせてもらえなかったんだよ。」
「はぁ・・・ややこしい覚え方しやがって・・・・」
剣心は一気に身体中の力が抜けた。
もしかしたら愛しいなんて思ったのは自分だけで、左之助に体よくからかわれただけなのかもしれない。あれやこれやと巡らした想像は 悪い方へとばかり進み、藤崎から聞いた話も山中から聞いた話も 疑心暗鬼になった剣心からは すっかり抜け落ちていた。だいいち好きだって気づいたこの気持ちは 今更どうしてくれるんだよ! と それを認めたくないばかりに 腹まで立てていたのだから。
それもこれもまったくの独り相撲で 余計な心配だったらしい。
「俺、お前のこと好きになってから 女と全然付き合ってねぇよ。」
急に怒り出したのには驚かされたが 剣心が妬いて居たのだと思うと 嬉しくって仕方がない。
だらしなく鼻の下を伸ばし、ニコニコと笑って左之助は言った。
「えっ、だって、いつかデートをすっぽかされたとか何とか言ってたじゃないか?」
自分の怒りがまだ間違いだったと認めにくい剣心は 他の心当たりも左之助にぶつけてみる。
「そりゃ、従兄弟と飯を食いに行ったり、同級生達とカラオケ行ったりすることはあるけど それだけ。お前堅そうだからな。」
「堅いって?」
「ああ、だって、愛想はいいけど いつも誰も寄せ付けなさそうで なんていうか、難攻不落って感じでさ。すっげぇ真面目そうじゃん? 男なんてとんでもねぇって思ってたろう? それに俺のこと、あんまりいい印象で見てねぇようだったしな。だから何とかして 俺を認めさせてやりてぇって思ってたんだ。でも、念願かなってめでたくお前と付き合えたとしても もし女の影でも見えたら いっぺんに冷たくあしらわれそうじゃねぇか。そうなりゃ本末転倒で俺の一途な思いは どうすんだよ!ってなるだろ?」
「否定はしない・・・・」
今し方、そう思ったばかりだ。
「だろ? だから、入社するときにキッパリ女は断った。俺、いつでもお前と付き合えるように 準備だけはしっかりしてたんだぜ?」
どうだ、エライだろう? と左之助は胸を張る。その胸を涙のにじむ目で笑って「ばかっ!」と叩いた。その拍子に左之助の腕が 剣心の身体をしっかりと捉えて自分の胸に抱き寄せた。頬に触れた温かな広い胸に 剣心はくすんと鼻を鳴らす。そして、その腕の中から左之助を見上げ、まだ不安の残る目を向けた。
「でも、お前、名前を付けるぐらい女が好きなんだろ? なのに何で・・・」
「男と生まれて女の嫌いなヤツなんているかよ? お前だって女、好きだろ?」
左之助の笑顔には 微塵も悪びれたところはない。ごく当たり前のことを 当たり前に言ってるだけとしか思えないほど 剣心へと優しい目を向けている。
「そりゃ、まぁ・・・恋の相手に普通、男は選ばないよな・・」
「うん。でも、俺にとっては好きだと思ったお前が たまたま男で、女よりも何倍も惚れちまったんだから仕方ねぇじゃねぇか。これでも俺、悩んだんだぜ?」

嘘をつけ!
お前の悩んでいる顔なんて見たことがないぞ。
と、剣心は思う。
でもそんなことはもうどうでも良くて、冷めた熱がまたぶり返し、頬を火照らせるのが分かった。
「相楽・・・」
「相楽なんて名字で呼ぶなよ。なんか会社にいるみてぇじゃねぇか。」
「じゃ、何て・・・?」
「左之助。名前で呼べよ。俺だって名前で呼んでんだし。」
「じゃぁ、左之。でもお前は 緋村さんとかマネージャーって言え!」
「やだね。剣心は剣心。俺の長げぇ間の苦労が実ってやっとこうして捕まえたんだ。公然と呼べるんだぜ? だから・・・俺の剣心・・・・って、思ってもいいよな?」
髪を撫でながら目を覗きこみ、後の言葉を少し不安げに消え入るような声で問いかけた左之助に  自信たっぷりにあんなキスをして抱いたくせに その実、ずっと不安な気持ちを抱えていたのだと思うと なんだか可笑しくなって それからすごく安心した。
左之助への愛情が穏やかに胸に広がる。
頬の下にある左之助の滑らかな野生の肌と体温を感じ、包まれている心地よさにうっとりと目を閉じる。
それから僅かに頬を染めて 剣心はしっかりと頷いた。
「やっりー! 愛してるぜ! 剣心!」
思わず叫んだ左之助に 嫌と言うほど力一杯に抱き締められた。
それからまた優しい眼差しに見つめられ、星の数ほどのキスをして、愛してるの言葉を子守歌に聞きながら 剣心は極上の夜を左之助の腕の中で眠りに落ちた。
二人を包んだ夜のしじまは朝陽を浴びて しだいに頬を染めたかのように紅く染まる。そして幸せな未来を約束したかのように 緩やかに明けていった。





翌朝は二人で共に出勤したが、会社が近づくにつれ、剣心は寡黙になる。
駅で偶然出会い、たまたま並んで歩いていたと誰が気にするわけでもないのに そう周りに装いたいと思っていた。
だが、横に並ぶ左之助はご機嫌な様子で 何かと話しかけてくる。
「いいか、左之。俺は上司でお前は部下。会社の中では二人は何の関係もないんだからな。」
前を向いたままで歩調を緩めず、剣心が左之助に念を押した。
「何で? うちの社って社内恋愛は法度じゃねぇだろ? 男と男だからって誰が気にするわけでもねぇし。」
「する!! する、する、する! ぜーーーーったいに気にする!! そんなことを気にしないのはお前ぐらいだ!」
「そうかなぁ? 思い過ごしじゃねぇの?」
剣心の剣幕を余所に 左之助は至って呑気なものだ。
「思い過ごしじゃない! そんなことが知れたら お前も俺も笑い物になるだろ。いいか! 俺達は会社ではただの上司と部下! わかったな!?」
「へいへい。お前がそう言うんならそういうことにしときますか〜・・・・」
左之助はポケットに手を突っ込み 口笛でも吹いていそうなぐらいの軽い返事だ。
気負い込んでいた自分がバカのようで 剣心はがくっと力が抜けた。
どうも左之助はその辺りの考えが甘いように思う。
それとも自分が気にし過ぎなのだろうか?
消えたと思った頭痛のタネが また再発し、胃が痛むような気がした。そして、まだ破るには早かったのじゃないかと 鞄の中に仕舞っていた白い封筒の表書きが 頭の中を掠めて行った。


社に着き、3階の部署へと向かう。すれ違う誰もが爽やかな朝の挨拶を返し、リビルドサービスは今日も活気に満ちていた。
昨夜左之助から「みんなお前を頼りにしてるんだぜ。お前って誰からも慕われてること 知らねぇだろ? だからニブいと言ったんだぜ。」と、聞いたせいか、誰もが自分に向かって好意的に微笑んでいるようにさえ見えるから 我ながら現金なものだと思う。
ただし、女性社員からも陰で騒がれていることは 左之助は黙して語らなかった。

始業時間が近づくにつれ、交わされていたそれぞれの私語は 今日の仕事のことに変わり、納品書や、仕切り書が部署の中を飛び交って行った。カタログを寄せ集め、部品の検討に入り、得意先の注文を確認する。整備のための工具が鞄の中にしまい込まれ、PCのキーボードを叩く音や電話のベルがひっきりなしに鳴りだした。
それらに一つ一つ指示を出しながら 剣心はてきぱきと仕事をこなしてゆく。
そして、一段落し、自分の席に着こうとして腰をかがめたところで 下腹部に感じる違和感に思い切り顔をしかめた。
椅子に座ってそぉーっと左之助の顔を伺う。
その拍子に目と目が合った。
思わず渋面になる。その表情は誰の所為だと目が物語っている。
左之助はPCの間から顔を覗かせたまま、それに応えるように顎を指で撫でて さも嬉しそうにニヤニヤと笑っていた。

何だ? 何だ、何だ? その笑顔は!
笑うなーーーー!!

剣心はまたも左之助に悩まされる日々を想像して 今日も朝からがっくりと肩を落とした。



                             了 (2005.1)



P.S
後で判ったことだが 来週が左之助の誕生日だなんていうのは 真っ赤な嘘だった。
やっぱり剣心は しっかりと左之助に嵌められていた。      
でも、幸せなんだからいいよね?(笑)               おしまい