【こんなにも3】                           〈 2.3.4
〈奴はデビル〉


夜の8時過ぎ、バイトの帰り道。
いつものように足取りも軽く、楽しい我が家へと左之助は急ぐ。
剣心と暮らすようになってから帰宅のこの時間が心弾む。
毎日顔を見ていても 少し離れれば恋しくなる。およそ恋愛という物には そんなに執着をしたこともない左之助だが、人間何処で転ぶかは判らないものだ。何をどう間違ったのか剣心にはとんでもなく惚れ込んでしまった。
まるっきり重症だと自分でも思うのだが、日々色んな表情を見せる剣心に新しい発見があったりで いつまで経っても飽きがこない。
今は生活費の半分も剣心が負担してくれるし、逢いたい恋人は家に居る。デート代が嵩むわけでもないし、以前のように小遣いに不自由することもない。だから深夜のバイトは辞めて ガススタンドのバイトも夜の8時には引け、最愛の恋人とルンルン気分で毎日がバラ色だった。


部屋に辿り着くと明かりが消えている。今日は出かける予定も聞いていないし、携帯にも剣心から何の連絡も入って来なかった。せっかく剣心と映画を見ようとレンタルショップで借りてきたのに、と舌打ちして冷蔵庫の中を物色する。
欠食児童の左之助の為に剣心がいつも何かしら手早く口に入る物を 買い置きしてくれているのだ。冷凍庫の中には温めるだけの鍋焼きうどんが2個とチャーハンが入っていた。
深夜まで開いているスーパーへわざわざ出かけるのも面倒くさくて 今夜の夕飯はそれで済ませることにした。
テレビのスイッチを入れ、どの番組もつまらないとリモコンのチャンネルのボタンを押しまくっている間に コンロに掛けた鍋焼きうどんは煮上がった。手早く炒めたチャーハンを皿に盛り、冷蔵庫からビールを取り出して、箸を銜えたところで恋しい待ち人の剣心が勢いよく部屋に駆け込んできた。

「左之!!大変だ! 親父が来る!!」
慌てて走ってきたのかハァハァと息を切らしている。帰るなり慌てふためく剣心に 意味も判らず左之助はうどんの端を口から垂らしたまま問いかけた。
「親父って、何でまた?」
「嫌がらせだ。」
「嫌がらせーー??? 何だそりゃ?」
言うに事欠いて嫌がらせとは まったく意味が飲み込めない。
「アイツはそういうヤツなんだよ。逃げよう!左之!!」
「逃げようって、何なんだよ。いったい何処へ行くってんだ?」
口に頬張ったうどんの端を吸い込みながら 左之助が目を丸くして問い返す。
「そんな悠長なことを言ってたらアイツが来てしまう。何処でもいいからしばらく姿を眩ませよう。」
剣心はと言えば地団駄を踏みそうなぐらいに慌てている。
「ちょっと待てよ、剣心。お前の親父さんが来るってだけなんだろ? 嫌がらせって意味がよくわかんねぇけど、来るってんなら挨拶ぐらいした方がいいだろ?」
「お前はアイツを知らないから・・・・・」
どっぷりと暗く落ち込んで うんざりした表情で剣心は溜息を吐いた。その表情に嫌な予感が走り、左之助も急に不安になる。
「もしかして俺達を引き離しにか?」
「イヤ・・・でも、結果的にはそう言うことにも成りかねないんだよ。アイツは・・・」
「結果的って、じゃぁ、別に俺達のことを反対しているってわけでもないんだろ?」
「ん、まぁ、その辺は俺もお前も大人だし、好きにすればいいと思ってるみたいなんだけど。」
「だったら俺とお前の気持ちだけじゃん? どんな茶々を入れられようが俺は大丈夫だぜ? とにかく座ってゆっくり話せよ。」
こういう時には年下のくせに 妙に包容力があって左之助は頼もしい。
左之助に促されようやく剣心はダイニングの椅子に腰掛けた。
「飯は?」
「ん、まだ。とにかく早く知らせようと思って慌てて帰ってきたから。」
「じゃぁ、お前もうどん食うか?」
「ああ、親父のことであんまり食欲が湧かないけど。」
冷蔵庫からビールを1本取りだし、剣心へと放ってやる。凍ったうどんのパックを取り出しコンロに掛けて左之助は再び席に着いた。剣心は一気にビールを煽り喉を潤すと幾分落ち着いたようで 左之助の食べるチャーハンを見て口を開けて待っている。スプーンで掬い口に入れてやると礼代わりににこっと笑ったりする顔が これまた可愛いと左之助の鼻の下も伸び放題だ。重要な用件があったことなどコロッと忘れ、新婚夫婦よろしく顔を見つめ合って笑顔を交わしたりする場面は 赤の他人が見ていたとしたらずいぶん馬鹿馬鹿しい光景だ。何度か繰り返している内に左之助は やっと切羽詰まった用件があったことを思い出した。
「んで、何で親父さんが来ることになったんだよ?」
「ん、あ、そうそう。税金の事やら保険のことでちょっと親父に電話したんだよ。そうしたら話があるからマンションに帰って来いって言われてさぁ。昼からちょっと寄ってみたんだよ。そうしたら就職はどうなってるんだ?って。悔しいけどまだ決まってないって言ったら いつものように俺の仕事を手伝えって言い出してさぁ。」
「お前もいい加減諦めて手伝ってやれば?」
「ヤだ。せっかく親父と離れて暮らしてるってのに 何が悲しくて親父に扱き使われなきゃならないんだ?」
「でもお前も親父さんには育てて貰った恩があるわけだろ? いい恩返しじゃん?」
義理に篤い左之助は 自分なりの論理を持って剣心に諭してみる。
「ああ。でもそれはそれ。これはこれ。アイツがよぼよぼになって今の勢いが無くなったら面倒は見てやるつもりだけど、今からなんて俺、不幸すぎる!」
「でも何度も手伝ってくれって言ってんだろ? よっぽど困ってんじゃねぇのか?」
「うん、あの性格だろ? なかなか人が居着かなくってさぁ。ずっと昔から細々とした面倒を見てくれてた藤村さんって親父さんが居るんだけど もう年だから仕事を辞めて息子と一緒に暮らしたいって言い出したらしいんだ。この間も一人辞めてその穴埋めをしてくれていたらしいんだけど とうとう誰も居なくなっちゃうみたいなんだ。」
「だったら余程困ってんだぜ? 何とか考えてやれねぇのか? だいたい孤児のお前を血は繋がってるって言っても 独身の身で引き取って育ててくれたんだろ?」
「うん、まぁ、それは感謝してるんだけど・・・でも育て方にもよるよなぁ。」
「育て方って・・・片親だからか? お前って他に親戚とか居ないわけ?」
「イヤ、居るよ。本当の親父の方にも兄弟が居るから。」
「んじゃなんで独身の身で今の親父さんが引き取ることになったんだ?」
「俺の両親は飛行機事故で亡くなったんだ。何か友人の結婚式に出るとかって俺だけ親戚に預けて出かけちゃったんだけど その帰りに飛行機が落ちたってわけ。んで、葬式の夜に誰が俺を引き取るかって話になったんだけど、みんな子供も居て生活が大変だからとか何とか言って押し付け合いになったんだ。いたいけな子供なのに可哀想に俺、盥回しだよ。」
人ごとのようにしゃあしゃあと言う剣心に左之助が思わず吹き出した。
「自分で言うか?」
「だって本当に可哀想だったんだぜ? 親も亡くして悲しんでるって言うのにさ。で、今の親父が『テメェらいい加減にしろ!』って怒鳴ったわけ。そうしたらみんな『じゃぁそう言うならあんたが引き取れ。』って事になってさ。俺の聞くも涙、語るも涙の人生が始まったんだよ。」
「何かすげぇ親父そうだな・・・・」
「あっ、でも今の話にはオチがあってさぁ。両親が保険に入っててその保険金と飛行機事故だから補償金が出たんだ。そうしたら押し付け合いをしていた奴らがわんさか親父の所に来てさ、『是非剣心ちゃんをうちで面倒見させてくれ。』って言うんだぜ? 大人って現金なもんだ。」
自分も今や大人であることなどすっかり忘れて 冷蔵庫から2本目のビールを取り出して 一口煽って「お前と話してると落ち着いてきた。」とにこりと笑う。その笑顔に少々鼻の下を伸ばして うどんにがっつきながら左之助も笑顔で続きを促した。
「当然親父さんは怒ったんだろ?」
「ああ。今でも覚えてるけど すんげぇ恐かったぜ。『お前らのような金の亡者に渡せるか!』って。でも親戚の方も負けてなくってさぁ、『その遺産を使い込む気だろう?』とか何とか。汚いもんだよ。だから親父が『俺は金には困ってねぇ。コイツの遺産はビタ1文使わずに育ててみせる。』って啖呵切ってさ。本当にその金をそのまま残してくれたんだ。お陰で俺、少々金持ちなんだ。」
「へぇー、俺、そう言う男気のある人って好きだぜ。で、オイ、いったい幾らでお前を取り合いになったんだ?」
「ん? 左之になら教えてやってもいいかな? 1億ちょっとぐらい。」
「い、1億ーーーー!?」
思わずうどんを吹き出しそうになった。学生の左之助には途方もない金額だ。イヤ、学生でなくっても夢のまた夢だ。それでやっと見つけた就職も言い寄られてはすぐに殴り倒して辞めていたのかと納得する。尤も我慢して貰っちゃ左之助が多いに困るのだが。
「だって当然だろ? 両親それぞれの保険に飛行機事故だからな、一人頭、3千万の補償だぜ?後、家を売った金と・・・」
「そりゃ、親戚が放っておく理由ねぇな・・・でもそこまでして貰ったんなら尚更じゃねぇのか?」
「そこが難しいところなんだけど、だけどなぁ・・・・お前も親父と会ったら解るよ。あの意地の悪い性格が。」
もしかしてそれって親譲りか?と 左之助は心の中でこそっと呟いた。
「で、話は戻るけど何でわざわざ親父さんが来るんだよ?」
「うん、何時までも俺がウンと言わないもんだから強硬手段に出る積もりらしくてさ。お前の前で俺を苛めれば音を上げて手伝うって言うと思ったんじゃないか? それと丁度いい暇潰しなんだろう。アイツ、俺を苛めるのを生き甲斐にしてやがるみたいなところがあるからな」
「なんだかんだ言ってやっぱりお前のことが心配なんじゃねぇの?」
「まさか!! アイツがそんな殊勝な心がけを持ってるかよ。そりゃ、就職の世話とか適当に面倒は見て貰ってるし、俺のことをそれなりに気に掛けてるとは思うけども、心配してってことはない!絶対にない!きっと何か憂さ晴らしをしたいようなことがあったんだ。人が足りないって他に・・・だから久しぶりに俺を苛めようという魂胆なんだよ。きっとそうに決まってる・・・」
「お前・・・・相当被害妄想だな・・・・」
「妄想じゃなくって現実なんだってば。きっとお前にもすっごく迷惑を掛ける。」
剣心は今まで比古と暮らした中で有った数々の災難を思い描きながら力を込めて左之助に訴えたが どうやら左之助の頭の中には比古=いい人の図式が出来上がってしまったようだ。別に反対されてるわけでも無し、単に息子の所に遊びに来るだけなら、これからも剣心とヨロシクやっていくためには気に入られた方が面倒が無くて済む。俄然左之助は勢い込んだ。
「いいよ。俺は。お前の親父さんなら俺にとっても親同然だもんな。遠慮なんかするなよ。」
少し照れながらさらっと言った左之助を 剣心がこれ以上にないぐらいに大きく目を見開いて驚いた表情で見つめた。
あっ、感激してやがる。やっぱ、悪口言ってても親だもんな。息子としては嬉しいよな。でも今のセリフはちょっとクサかったかな、などと左之助は心の中で鼻の頭を掻いてみる。
剣心は大きく頭を振り、左之助をまじまじと見つめ直し、そして深い溜息を一つ吐いて言った。
「お前って、信じられないほど脳天気だな。きっと後悔するぜ。」
剣心のセリフは意に反して冷たかった。


ダイニングのテーブルに肘を突いて頬を支えながら 剣心はぼうっと考えてみる。
来るの逃げるのと騒いでいても仕方がない。比古のことだ。今日は姿を眩ませて何とか無事に過ごしたとしても この先、ことある事に呼び出されいびられるのは目に見えている。
「手伝え。」「イヤだ。」「絶対に手伝え。」「絶対にイヤだ!!」の応酬の果てに
「で、何だな。俺の助けは借りねぇ、自分で探すとか大口叩いておきながら、未だに働き口も見つけられず 十も年下の、それも男に面倒見て貰っていい体たらくだな。」
と嫌みたっぷりにニヤリと笑われ、
「面倒見て貰ってるって、俺、生活費の半分はちゃんと出してますよ。女と暮らしてるんだったら良かったって言うんですか!」
と言う反論に
「ああん? 俺は別にかまやしねぇ。男だろうと女だろうとお前のケツだ。お前が好きにしたらいいじゃねぇか。」
とあからさまに赤面させるようなことを言ってからかわれた昼間の言動を思い出すとかなりムカつく。
「だが、そんな年下の頼りないヤツにケツを貸すぐらいなら 今までに言い寄ってくる中にもっとマシなのが居たんじゃねぇのか?」
「ほ、他のヤツなんかてんで話にならない。少なくともこの間親父が持ってきた見合いの相手なんかよりは 人間として左之の方が何倍も上だ。」
「ほぉー。えらい言いようだな。そんなに可愛がってくれるのか?」
「べ、別にそんなんじゃないけど・・・」
目を細めて更に意地悪そうに笑う比古の前で 耳まで真っ赤になりながらしどろもどろにさせられたことが 見事比古の策中に陥ったようで腹立たしい。
「ふーん・・・お前にしたらえらく逆上せてるじゃねぇか・・・こいつは面白ぇ。一度そいつの顔を見てやるか。」
「な、何で!」
「俺はむしゃくしゃしてるんだ。憂さ晴らしにこんな面白い話を逃すって手はねぇよな。言い寄る奴らを退けて年下の男に入れあげたお前がどんなヤツを選んだのか 後学の為にもとっくりと拝見しようじゃねぇか。何とかって言ったな、お前がヨロシクやってるヤツ。そいつにお前が寝小便たれてた話でもゆっくりしてやったらさぞかし楽しいんじゃねぇのか。」
と、まるっきり自分達のことをバカにしたような言い方が癪にも障る。
それにそんなことをされてはこれから先、ことある事に左之助にからかわれ、年上としての自分の威厳もプライドもぐちゃぐちゃだ。
これは絶対阻止だ。何としても食い止めなければ・・・・

しかし、ちょっと落ち着いてみるとあの面倒くさがりのそして人嫌いの比古が 幾ら自分をいびる為と言っても 知らない他人の家にわざわざ来ると言うのもかなりの疑問符が付く。あれはその場限りの嫌がらせだったのかもしれない。きっとそうだとそこまで考えが及ぶとやっと剣心は人心地が着いた。
そうなると急に空腹を覚え、左之助が剣心の目の前へと置いてくれた煮上がったうどんを食べようと箸を手に取った。その瞬間に 玄関の呼び鈴がけたたましく鳴った。
「まさか!」
「お出ましか?」
蒼い顔の剣心とは対照的に左之助は落ち着いた足取りで玄関へと向かう。その間も呼び鈴はこの上もないほど忙しく鳴り続けている。
「左之! やっぱり開けちゃダメだ!」
「何言ってんだよ。この期に及んで。子供じゃあるまいし居留守なんか使えるかよ。」
笑いながら軽く受け流して左之助は玄関の扉を開ける。外にはたくましい体格の比古が大きな紙袋を抱え、薄ら笑いを浮かべて立って居た。
「おぅ、来てやったぜ。」
「あっ、いらっしゃい。どうぞ中へ。」
左之助は剣心の養父だと思うと至極愛想がいい。
「左之!ダメだ。中へ入れるな!」
左之助の後ろに立った剣心はまだジタバタと慌てている。
「お前も相変わらず往生際の悪いヤツだぜ。」
玄関先から剣心へと一声掛けると「構わねぇよな?」と左之助に同意を求めて 主が頷く前にそのままズカズカと上がり込んできた。座れとも言わないうちに剣心が座っていた椅子に腰掛け、部屋の中を眺め回す。
「狭い家だな、ここは。犬小屋か?」
等と挨拶の前に遠慮会釈もない。
「本当に来るなんて。何だってんだ。」
「言ったはずだぜ。俺はそこの坊主とお前の思い出話でもゆっくりするってな。」
そう言って剣心を見て比古はニヤリと意地悪く笑った。
「あっ、ちなみに俺は相楽左之助。坊主じゃねぇんで。よろしく。」
ガキ扱いされたことにちょっとムッとしながら それでも一応はにこやかに左之助は自己紹介をする。
「ん? ああ。話は聞いてると思うが、俺はこのクソ生意気なガキのやりたくもねぇのに一応義理の父親ってことになってる比古だ。洟垂れのガキのツレは坊主で充分だろ。よろしくな。左之助クン。」
クンと言うところに妙なアクセントをつけて バカにしているのか横柄なのか底光りのする目でニヤニヤ笑っている姿は 何とも気後れを感じさせる人物だ。
以前ホテルで剣心の肩を抱いている姿を見かけた時は ビシッと決めたスーツ姿に毛皮のコートを羽織り、大人の男性を感じさせてとても自分じゃ太刀打ちできないと思ったものだが、こうして目の前で改めて見てみると 筋肉質のたくましい体格に何を考えているのか一向に読めない表情は なかなか一筋縄ではいきそうにないと また違った意味で左之助を心中不安にさせる。

「コンビニの鍋焼きうどんか。お前ら貧しいもん食ってるな。まっ、突然に来たんだ。仕方がねぇ。」
こちらの思惑など素知らぬ振りで 比古は側に置いていた箸を掴み、剣心が食べようとしていたうどんをつつきだした。
「ああー! 俺の夕飯を!! 親父、勝手に食うなよ。」
「うるせぇ。お前が昼間からガタガタ言うお陰で飯も食えずに過ごすハメになったんだ。お陰で俺は猛烈に腹が減ってんだ。我慢して食ってやってんだから文句を言うな!」
睨み付けて一喝する姿は 食事を邪魔された猛獣が牙を剥いて吼えてるようだ。その迫力に左之助は唖然とする。だが、誰の表情などお構いなしで全くのマイペースで比古はうどんを口に運びはじめる。
「左之〜〜〜。」
これから起こる災難を想像して剣心が泣きそうな声を出した。
初めて聞く助けを求める剣心の情けない声に 世の中には上には上が居るもんだと 左之助はただ呆然とうどんにがっつく比古を見つめていた。


うどんを平らげた比古は幾分腹も落ち着いたと見え、「ふぅー。」と満足感を顕すと 下げてきた紙袋を開けて大きな瓶を取り出した。
「忘れるとこだったぜ。一応、名刺代わりの手土産だ。」
そう言って左之助が手渡されたのは 日本酒の1升瓶だ。
「わっ、越乃寒梅じゃないっすか! 俺、飲んだことねぇんだ。ありがとうございます。」
銘酒に感激をしている左之助の肘を突いて剣心が言った。
「左之。礼を言うのは辞めておけ。どうせ俺らの口に入るのは杯1杯分がせいぜい関の山だからな。」
「可愛くねぇガキだな。」
「ふん、どうせ。」
「おらっ! 何をボケッとしてやがる! 酒を飲むんだ。さっさとつまみでも出しやがれ!」
横柄な態度で顎で指示されて、剣心は仕方なく冷蔵庫の中に転がっていたエノキと残り物の明太子でも和えようと まな板と包丁を取り出した。
後ろのテーブルでは比古と左之助が向き合って座っている。
「それじゃ、左之助クン。お近づきに一杯どうだ?」
と相変わらず、妙なアクセントは残したままだが、比古は左之助に酒を勧めている。
偏屈の比古にしては何となくいい雰囲気のようだと後ろの気配に全神経を集中して ひとまず安心する。
「んで、こんな可愛くねぇガキの何処が気に入ったんだ?」
と、これまた遠慮のない単刀直入な質問に剣心の耳はダンボになる。
「えっ? そんなことないですけど。かわいげはあるし俺には優しいし。」
突然の親からの質問に少々照れながら 当たり障りのないところで左之助は返事を返す。
「ふーん。タデ食う虫も好きずきってヤツか・・・・お前よっぽど女に不自由してんな。」
なにっっっーーーーーーーーー!!!
エノキを切っていた剣心はぷるぷると震え、気が付けば思わずまな板に包丁を突き立てていた。


その後も比古はハラハラするような質問を左之助に浴びせかけ、嫌そうな顔をする剣心を見て これ以上の喜びはないといった笑顔で杯を傾ける。左之助はと言えば比古の質問を適当に躱しながら 自分の知らない剣心の一面を知るチャンスだとばかりに 昔話を比古から引き出そうとしている。酒が入るほどに左之助クンから小僧や坊主に呼び名が変わったが 最早左之助も逆らう気力はなくしている。そんなことで比古の機嫌を損ねるよりは 笑顔でもてなして此処で点数を稼いでおいた方が得策だ。
機嫌の良い比古に反比例して剣心の機嫌は悪くなる一方だった。
「で、コイツがあまりにも壊れた笛のようにピィピィピィピィ泣くもんだから 心の広い俺はコイツを抱いて一緒に寝ることにしてやったんだ。」
「えっ? 小さい頃ってそんなに泣き虫だったのか? 何か信じられねぇ。」
「あ、あれは両親が死んですぐだったから 仕方がなかったんだよ・・・それに親父が苛めるし・・・」
「フン! 俺の地球よりも大きな愛を持ってしてだな、お前がたくましく成長するように鍛えてやったんだろうが。心を鬼にして叱った俺の気持ちが判らねぇのか?」
「フン、鬼そのものじゃないか・・・・」
「これだからな、まったく。親の心子知らずとはよく言ったもんだぜ。それを象徴するかのような事件は確かその3日後の夜のことだったな。」
そこで比古は言葉を句切って わざわざ剣心を見てさも意味ありげに笑う。その笑顔の裏に隠された意味を察知して さっと剣心の顔色が変わった。
「親父。そろそろ帰ったら?」
「ああん? バカを言え。話はこれから佳境に入るんじゃねぇか。」
「いいじゃねぇか。剣心。せっかく来て下さったんだし。」
曰くありげな話に先を聞きたい左之助が二人の間に割って入る。
「こう言ってんだ。今夜はゆっくり話そうじゃねぇか。」
比古は我が意を得たりとまたニヤリと笑う。
バカ左之ーーー! 
何で引き留めるんだよと剣心は心の中で拳を振るわせた。何とかおねしょの話だけは阻止しなければと頭の中は忙しい。
「じゃぁ、最近の親父の作品の話でも聞かせてくれよ。」
咄嗟に話をすり替える。
「ん? お前、確か焼き物には興味はなかったんじゃねぇのか?」
話を逸らそうとする剣心の意図を汲み取って ニヤリニヤリと比古は笑う。
「そうだぜ。焼き物の話しよかさっきの続きの方が俺も聞きてぇ。んで、その事件って?」
せっかく話の風向きを変えようとしているのに 剣心の気持ちも知らず左之助は続きを比古に促す。剣心はその左之助の後頭部を思い切り殴りたい衝動にかられ、思わず叫んだ。
「バカ!! 聞くな! そんなつまんない話・・・・」
「ふーーーん。お前、よっぽど知られたくねぇんだな。そうか、そうか。」
慌てる剣心の様子を見て、顎を撫でながら今や比古は喜びの絶頂に達した表情だ。それがまったく剣心の癪に障る。
それを横目で見ていた左之助は 比古の態度に更に興味を引きつけられた。
「何だよ!? そう言われりゃ余計に聞きたいじゃねぇか。」
「いいから聞くなって言ってるだろ!!」
「何でだよ?」
「うるさい!!!!!」
ボカッッ!!
怒り絶頂に達した剣心は とうとう左之助にパンチを食らわせた。
「痛ぇなーーー。このヤロー。何で殴んだよ!」
「聞くなって言ってるだろが!!」
急に殴られムカついた左之助も応酬しようと拳を握りしめ臨戦態勢に入る。
「いいじゃねぇかよ。親父さんが話してくれてんだから!」
「良くない!!」
「おいおい。お前ら。痴話喧嘩なら外でやってくれ。」
喧嘩の元凶の比古は 至極のんびりと二人に声を掛ける。さすがに親の前だと気づいた左之助が 振り上げ掛けた拳を降ろした。
「あっ、すんません。つい。」
謝る左之助に比古が言う。
「おう。喧嘩するほど仲がいいってよっく判ったぜ。取り込み中で忙しそうだから話は今日はこれぐらいにして じゃぁ、そろそろ俺は寝るとするか。」
「じゃぁ!?? 何でじゃぁなんだよ!? 寝るって泊まる気かよ?」
腹立ち以上に驚いた剣心が 目を丸くして比古に問いかける。
「お前は俺を飲酒運転で帰らせる気か? それにそこの坊主に楽しい話をまた日を改めてゆっくりしてやらなきゃなんねぇからな。そう言う理由だ。」
頭から湯気を発した剣心の表情など 一向に気にとめる風もなく、比古は余裕綽々だ。
「んじゃ、おやすみ。」
くるりと踵を返すと隣の部屋へ行き、一つしかないベッドへと何の戸惑いもなく大の字になってひっくり返った。
クソ親父ーーーーー! この鬼ーー! 悪魔めーーーー!!
心の中で大声で叫びながら真っ赤な顔をして剣心はブルブルと両の拳を振るわせた。


いつもなら酒盛りの後の散らかったテーブルの片づけなど 左之助も一緒にするのだが、先ほどの喧嘩が尾を引いているらしい。何も言わずに洗い物をする剣心の横をすり抜けてバスルームへと消えていった。

まったくなんて日だ!
13日の金曜日の仏滅の三隣亡のようだと 人生のすべての災厄が一度に襲いかかった気分になる。
やはりあの時に逃げ出しておくべきだったと後悔しても今更遅い。
比古が来れば大なり小なり揉め事は起こるだろうと 想像は着いていた。
きっと左之助はあの比古の態度に呆れ、自分への想いも離れてしまうのではないだろうか。
深い溜息を吐いて、シンクの中の流れる水を眺めながら、殴ってしまって悪かったな、などとまったく比古のペースに乗せられてしまったことをちょっと後悔した。
シャワーを浴びて出てきた左之助はまだ怒っているのか 剣心に声も掛けずに比古の眠るベッドールームへと入って行く。
ちょっと反省していただけに 剣心もその態度に新たな怒りが湧いてきた。
ベッドを占領されてどうするつもりだろうとは思ったが、勝手にすればいいと思い直して自分もシャワーを浴びに行った。
さっぱりするとちょっと気持ちも落ち着いた。だが、さし当たっては今夜の寝る場所だ。
比古が眠る左之助のセミダブルのベッドの他はこの部屋には剣心が持ってきたシングルの寝具ひと組きりだ。スペースもキッチンか荷物だらけのロフトしかない。床に直に寝るには四月の気温は身体に堪える。きっと左之助は剣心の布団にくるまっているだろう。どうしようか迷ううちにロフトにシュラフが転がっていたのを思い出した。
そうっと隣の部屋の扉を開くと 薄闇の中にベッドで気楽に大いびきを掻く比古と 空いたスペース一杯に敷いた布団にくるまった左之助が見える。
布団の端を足で探りながら 踏まないように一歩中へ踏み込んだら左之助から小声で話しかけられた。
「剣心、寝るんだろ?」
「まだ起きていたのか?」
「ああ、待ってた。こっち来いよ。」
そう言って布団の端を持ち上げて 身体をずらして剣心の入れる場所を確保してくれる。その仕草が優しくて素直に左之助の横へと滑り込む。小さな布団の中でピッタリと身体を寄せ合うと なんだか急に甘えたい気分になった。
「あの・・・さっきは悪かったよ。殴ったりして・・・」
「いいよ、もう気にしちゃいねぇ。誰だって聞かれたくねぇ事って有るもんな。俺もつい調子に乗っちまって悪かったよ。」
やっぱり左之助はいいヤツだ。横で大鼾の比古をたたき起こして自慢をしたいぐらいだ。
「ううん、俺の方こそ・・・お前がせっかく親父の相手をしてくれてたのに・・・お前の気持ちも考えないで・・・」
「うん? だって、ほら、お前の小さい時って知らねぇし、何かお前のこともっと知りたくってさ・・・・」
そう言って抱き締められると胸の中が熱くなって このまま左之助の胸に顔を埋めて甘えていたいと思う。
「でも、お前がイヤならもう聞かねぇよ。」
「うん、ゴメンな、左之。」
どちらからともなく真っ暗な中で瞳を見交わせてする仲直りのキスは 心を溶かすほど甘かった。押し包むように口唇を重ねられ、惜しみない愛情表現をされると剣心の零す吐息もつい艶めく。それがやっぱり左之助に火をつけた。
いつものお決まりコースへと手を滑らせる左之助の手首を掴み、剣心が押し止める。
「左之、親父が横に居るんだ。」
「構わねぇって。こんなに大鼾なんだぜ? 気づくもんか。」
「そう言う問題じゃないだろう? それに親父は油断ならないし。」
「でもよぉ、昨日も一昨日もツレが来てたり、お前が腹痛いって言ったりで、もう4日もお留守なんだぜ?」
「バカ。もう一日ぐらい我慢しろよ。」
「だって、お前がこんなに可愛いのに?」
そういう言われ方をすると剣心も無下には怒れない。酔いしれそうな口づけを受けながら
「ん・・明日・・・なっ・・・・んっ・・・」
と 断っているのか誘っているのか判らない声が零れる。当然左之助の顔は頬から項へと滑った。

ボカッ!!
「いってぇーーー。」
その左之助の頭に突然大きな衝撃が走った。
見れば比古の太い腕がベッドの上から左之助の頭を直撃している。
「綺麗な女の声なら聞いてて楽しいもんだが、そんなクソガキの声など俺は聞きたかねぇ。夜は黙って静かに寝ろ!」
そう言ってくるりと体の向きを変えたかと思うと また大鼾だ。
暗闇の中で剣心は足の先から頭の先まで真っ赤になり、左之助はこぶの出来た頭をさする。
掛け布団を引き寄せ、布団の中に潜って左之助がひそひそ声で剣心に囁いた。
「寝てんのか起きてんのかどっちだよ?」
「だから言ったろ? 親父は油断ならないって。」
剣心の災難は左之助にとっても災難だと思い始めた夜だった。


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