〈 1.2.3


さほど遠くもない駅までの道のりが 果てしなく続くように思える。
腰から下が他人の物のようだ。歩く姿もぎこちない剣心に 笑いを噛み殺しながら「負ぶってやるよ。」と左之助が背中を差し出す。その背中を思いっきりはたいて
「いったい誰の所為だと思ってるんだ。ニタニタ笑うな!」
と、口をへの字に曲げる。その姿があまりにも可愛くて 左之助はとうとう声を上げて笑い出した。
「笑うなって言ってるだろ!」
「ゴメン、ゴメン。けどよぉ・・あー、可笑しい。」
腹を抱えて笑い転げる左之助に 剣心は腐りきった表情だ。
めっきり人の数が減った街には左之助の笑い声はよく響く。
その二人を 通りをちらほらと歩いているサラリーマン達が 酔っぱらいの学生達がはしゃいでいると顰蹙(ひんしゅく)の目を向けて過ぎて行く。
周りの目も気にせず豪快に笑い、笑いすぎて目に溜まった涙を拭き取りつつ、左之助は突然に剣心の肩を抱き寄せた。
怪訝な面持ちの剣心に向けた左之助の表情は 先ほどまでとはうって変わっていたって穏やかだ。少し前屈みになりながら剣心の目を覗き込む。
「じゃ、肩を抱いててやるよ。これなら酔っぱらいを介抱してるみてぇだろ?」
恥ずかしがる剣心を思いやって 左之助が優しい声で話しかけてきた。
ふわっと優しく抱き寄せられると 剣心の鼓動がトクンと一つ高鳴った。広い胸はあまりにも安心感に溢れている。少し小憎らしいと思っていた感情も笑いそうになる膝もすべてが熔けて行くようだ。そっと頬を寄せて、つくづく俺って左之助に惚れてるんだと思いながら その温もりを感じる。
「うん・・・」
いつもは気になる周囲の目も 今は何も気にならなかった。
ちょっと頬を染めながら 剣心は甘えるように左之助の胸に頭を預けた。


電車を降りるとマンションにほど近いコンビニへと剣心は向かいつつ、左之助に先に帰れと促した。
「コンビニの買い物ぐらいつきあってやるよ。」
と言う左之助に
「そうじゃなくって。ほらっ、俺達二人が雁首(がんくび)揃えて帰ると また親父からどんな嫌みを言われるか分かったものじゃないだろ? 『俺に留守番させてお前らは呑気にデートか? いいご身分だな。』とか何とか言うに決まってんだから。」
「いかにも親父さんらしい。」
「だろ?」
と比古の口ぶりを真似て剣心は眉を寄せる。
「それぐらいで済めばいいけど ニヤニヤ笑いながら『ははぁーん、お前ら、俺の置きみやげで火が点いたな?』なんて言われてみろ? どんな顔をすればいいんだ?」
赤の他人だと思えばそんな揶揄(やゆ)ぐらいはどうって事もないが、親で有ればどうにもこうにも面映ゆい。
(なり)だけは一人前だが だから何だと開き直ってしまえない、そんな二人の(うぶ)さが比古には堪らなく愉快らしい。何だかんだと絡んでは 照れさせたり怒らせたりすることが 暇潰しの娯楽と思っているようだ。
「わざわざ親父さんを喜ばせる必要もねぇな。」
「ああ。だから、俺とお前は今日は別行動だった。お前はバイト先のみんなと飯を食って帰ってきた。俺は先輩達と一杯やってきたってことで話を合わせろよな。」
「了解。」
「じゃぁ、先に帰っててくれよ。俺も朝のパンを買って10分ほどしたら帰るから。」
「ああ。わかった。ところで剣心。」
「ん?」
「くれぐれも歩き方には気をつけろよな。」
「バカ!! とっとと帰れ!!」
「アハハハ・・・んじゃなー。」
夜のしじまに笑い声を響かせて 片手を上げて左之助は剣心に背を向けた。



コンビニで牛乳や食パンを買い込み、数冊の雑誌を立ち読みしてから 剣心は帰宅の途についた。
マンションまでの数十メートルの間、比古がとっとと寝ていてくれたらいいのに、いや、それよりも留守番は馬鹿馬鹿しいとさっさと引き上げてくれていたらいいのにと 微かな期待をしつつ家路を辿った。
ドアのノブに手を掛けると テレビのニュースと比古の声が中から重なって聞こえてきた。
やっぱりまだ居たんだと落胆しつつ、ドアを開く。
「ただいま。」
「おっ、剣心。お帰り。遅かったじゃねぇか。」
比古の対面に座り談笑をしていた左之助が 打ち合わせ通りに白々しく声を掛ける。
「ああ、ちょっと飲んできたから。左之は早かったのか?」
「いや、さっき帰ったとこだ。」
「じゃぁ飯は済ませてきたんだな?」
「うん、バイトの連中とな。」
予定通りに二人が別行動だったと比古に印象づけておく。これで今夜は余計な冷やかしの言葉を聞く必要もないだろうと ちらっと目を見交わせて暗黙の了解をする。
「おい。俺の飯の心配はしないのか?」
二人の会話を聞いていた比古が 杯を片手に話の中に割り込んできた。手持ち無沙汰に杯を重ねていたのか ダイニングのテーブルの上にはスルメやピーナッツの空き袋が散乱している。
「今日は遅くなるから何か食っててくれって言っただろ? もう夕飯は済んだんだろ?」
「留守番をしてやった親に向かって 冷てぇ言い方だな。そうだ、剣心。立て替えておいてやったから払ってくれ。」
「立て替えるって何を?」
「俺の飯代。」
「はぁー?? 何で、俺が?」
「俺はお前の客人だ。お前がもてなすのは当然のことじゃねぇか? 今日は出かけるって言うから仕方なしに店屋物で済ませてやったんだ。その代金をお前が支払うのは至極当然。」
「どんな理屈なんだ・・・・・」
ふんぞり返って手を出す比古を忌々しげに剣心は睨んだ。が、比古は知らずとも自分達二人は比古を放ったまま遊んでいたのだ。そう思えば少し良心が咎める。仕方なしに剣心はポケットから財布を取り出した。
「幾ら?」
「12.800円。」
「はぁーー!!???」
「うへぇー!!!」
剣心と向かいで二人のやり取りを見ていた左之助が同時に声を上げた。
「親父、いったい何を食ったんだよ?」
「あん? 寿司だぜ? 駅前の寿司屋は結構マシだな。トロはなかなか旨かったぜ。(あわび)はいまいちだったがな。」
「トロ!!鮑!!?? 12.800円って何人前食ったんだよ。ホントに、もぅ!!」
トロと鮑と聞いて垂らしそうになる涎を喉の奥で飲み込んで 左之助はぞんざいに流し台の上に置いてある寿司桶を羨ましげに眺めた。
「何を言ってやがる。カウンターで食えばこんなもんじゃ済まねぇ。これでもお前の為に遠慮してやったんだぜ。」
澄まして言う比古に 漆塗りの寿司桶を剣心は恨めしげに横目で見た。寿司桶に罪はないが 「寿司政」と書いてある金色の文字が憎らしい。えらい散財だと渋々財布から2枚の1万円札を掴んで比古に渡す。その札をニヤリと笑って受け取り、比古は尻ポケットへと仕舞い素知らぬ振りをした。
「親父、釣り!」
「何だ? 釣りを取るのかよ? お前、ケチだな。」
「どっちが!!!」
帰宅した途端に早速始まった比古と剣心のバトルを 比古の向かいの椅子に腰掛けたまま左之助は呆然と見守る。
すげぇ・・・ぶっ飛んでるよな。この親父ってやっぱり剣心より何枚も役者が上だぜ。
呆れるのを通り越してただただ感心した。
勘の鋭い比古に自分達のデートのことは上手く隠せたようだ。自分もボロを出さないうちに寝てしまうに限る。先ほどホテルでシャワーは浴びたが まだ髪を洗っていなかったのと更なるアリバイ作りの為にも もう一度風呂に入るかと席を立ちながら比古に声を掛けた。
「あの、俺、先に風呂使っていいっすか? 何か疲れちゃって。」
「あん? また入るのか? 坊主は案外きれい好きだな。」
「いっ!!!!」
シラをきる前に驚いた左之助の心臓が 頬を引きつらせた。
「や、やだなぁ。俺、さっき帰ったばっかじゃないっすか。」
「何だ、図星か。お前ら同じ石鹸の匂いをプンプンさせやがって。至極わかりやすい。親に留守番させといてテメェらはいちゃいちゃと呑気にデートかよ? いいご身分だな。」
左之助の表情を細かに観察して 細い目を光らせて今夜の酒の肴を見つけたとばかりに 比古は意地悪く口元を綻ばせた。
ヒクヒクと頬を痙攣させながら どこかで聞いたセリフだと思う。比古の後ろでは引きつった左之助の顔をまん丸の目で見つめて 剣心は釣り銭を受け取ろうと差しだした手をそのままに固まっている。
その気配も充分に察しながら、比古は空いた杯に酒を注ぎ、上目遣いに左之助を見上げ、次第に青ざめる表情に満足し、そして更に頬を緩めてニタリと笑った。
「ははぁーん。そっか、お前ら、昨日の俺の置きみやげで火が点いたな?」
そこで言葉を句切った比古の肩が含み笑いで微かに揺れている。
「これだから近頃の若いヤツらは・・・ちょっとぐらい我慢出来ねぇのか? 節操のないヤツらだぜ。」
左之助の引きつった頬がぽかんと口を開けさせるのを嬉しそうに眺めて これ以上の喜びはないと比古の冷やかしの言葉は続く。
比古の後ろではがっくりと肩を落とし、ゆでたタコでも此処まで真っ赤にならないだろうと思うほど 頭の先から足の先まで赤く染めた剣心が 差し出した手を引っ込めて項垂れていた。
その剣心と勝ち誇ったように得意げな笑顔を浮かべる比古とを交互に見比べ、左之助はコンビニへと向かう途中でした会話を思い出した。
これってさっき剣心が言ったセリフそのままじゃねぇか・・・
そして、突然思いもかけない疑惑が左之助の脳裏をよぎった。
もしかしてこの親子って 反目し合っているように見えっけど 実はすんげぇ気が合うんじゃねぇのか?
対面に居る二人の姿へと交互に目を走らせてその恐ろしさに からからに渇いた喉にゴクッと唾を飲み込む。次第に疑惑が確信へと変わり、何とも言えない冷たい悪寒がゾクッと背筋を駆け抜けるのを感じた。



朝食と言うには少し遅めの時刻に取った食事の後かたづけを 剣心は鼻歌交じりにしていた。今朝は珍しく平和に朝食を済ませられたし、左之助にも顔をしかめさせることなく無事に講義へと送り出した。
すでに高い位置にある太陽は ダイニングへとさんさんと日差しを送り込み、明るい部屋はそれだけで気分を浮き立たせる。
剣心の目の前の椅子にどっかと腰を下ろし、新聞へと目を落とす比古の機嫌も悪くなさそうだ。葵屋の女将の噂話を切り出すには 絶好の機会だと剣心には思われた。
「そう言えばさぁ、昨日、街で偶然操ちゃんと会ったよ。」
テーブルを拭きながら横目で比古を盗み見る。比古はそれがどうしたと言わんばかりに 新聞から目を離さずにいる。
「操ちゃんのお袋に縁談が持ち上がったんだって?」
「らしいな。」
相変わらず顔は新聞へと向けたままだが、比古の目がちらっと走るのを見て これは脈有りだと剣心は胸の中で指を鳴らす。
「その相手って言うのがなんでも青山物産の社長だって言うから驚いたよ。青山物産って言えば一流企業じゃん? さすが何代も続く老舗旅館だよ。昔から政界や財界のお偉いさん方が出入りしていたものな。
で、その社長っていうのが操ちゃんのお袋さんに一目惚れしたらしくってさ、ことある事に理由をつけては通っていたらしいんだ。」
「ふん、世の中には物好きなヤツも居たもんだ。」
「だって操ちゃんのお袋さんって器量はいいし、しっかりしてるし、今までそんな話を聞かなかった方がおかしいぐらいじゃないか?」
「ふぅん、お前、えらく葵屋の肩を持つじゃねぇか?」
「別に肩を持ってるわけじゃないさ。俺はそのままを言ってるだけだよ。」
「まぁ、お前は色々とあそこの女将には世話になってるからな。」
「俺だけじゃなくって親父も。だろ?」
「俺は世話になった覚えはねぇぞ。」
「よく言うよ。何かと言ってはおかずを持ってきてくれたり、忙しいのに掃除をしてくれたりしたじゃないか。おまけに親父が俺の参観日に一度も来ないもんだから 不憫(ふびん)に思って代わりに顔を出してくれたり、数えればきりがないよ。」
「何を言ってやがる。俺は嫌々ながらもお前の参観日に一度だけ行ったぞ。そうしたらお前は馬鹿みたいに口を開けて寝てたじゃねぇか。先生に起こされても授業中最後まで寝たままで 他の親はお前を見て笑ってるし。あんな恥ずかしい思いは2度と出来るか。」
「あ、あれはまだ親父と生活を始めたばっかりで慣れてなかったし、前の日に山ほど薪割りなんかもさせられて疲れてたんだよ・・・・とにかく、そう言う面倒見のいい所とかが気に入ったらしいんだ。性格だってさばさばしてるもんな。」
「ふん、そうか? 俺には口うるさいだけだがな。」
比古と葵屋との付き合いは長い。何でも比古がまだ陶芸家として駆け出しの頃に葵屋の大主(おおあるじ)が ふとしたきっかけで比古の作品に目をとめて 気に入ったので自分の旅館で使うからと大量に購入してくれたのがきっかけで始まったらしい。老舗旅館の器として使われた作品は 比古にとってもいい宣伝になったようで 葵屋に出入りする客人からも贔屓(ひいき)にしてもらえるようになり、瞬く間に有名になったということだ。
それからは大主が時々碁を打ちに来たりしていたが、比古が剣心を引き取ると 女将が両親を亡くした剣心を不憫がって 何くれとなく面倒を見てくれるようになった。そして、その後、婿養子の主人が幼い娘を残して他界してしまうと比古も何かと相談に乗るようになり より一層近しく付き合うようになった。だから剣心にとっては親戚も同然で 人嫌いの比古が付き合いをする唯一の家族がその葵屋というわけだ。
竹を割ったような性格の女将は 比古の手荒い子育てにも横から口を挟み、この比古にまったく臆することもなく、ずけずけとものを言う。そんな女将は比古にとっては天敵とも言え、唯一頭の上がらない人物だろうと剣心は思う。
操から聞いた話だと『やっぱりうちのお母さん、比古さんのことが好きみたい。だから断ったんじゃないかな。』ということだ。なかなか世の中も捨てたもんじゃない。
葵屋の女将が比古の首根っこを押さえてくれるなら 剣心にとってこんなに心強いことはない。比古と女将をくっつけてしまうことは 願ったり適ったりというわけだ。自分の未来の為にも そしてちょっとだけ比古の幸せの為にも話を進めなければならない。
「それは親父が奔放すぎるんだよ。だから見かねて注意をするんだろう?」
「俺は注意をしてくれと頼んだ覚えはないぞ。」
「いつも気に掛けてくれて、あれで案外、親父に気があるのかもだよな。」
「何バカな事を言ってやがる。縁談が決まったんだろ? だったら俺とは関係のねぇ話だ。」
「それがキッパリ断ったらしいんだ。相手は旅館を続けててもいいとまで言ってくれたらしいんだけど、そんなつもりは更々無いって。いい縁談なのに何でだろ? やっぱり誰か好きな人とか居るのかな・・・・」
もう一押しだと新聞越しに比古を盗み見ては 剣心は発破を掛ける。比古から逃れる自由と左之助とのバラ色の未来はもうそこまで来てると ともすれば頬が緩みそうだ。
その剣心をジロリと睨み、眉間に皺を寄せて険しい表情で比古が新聞から目を上げた。
「オイ! 言っておくが葵屋の女将が誰と結婚しようが 誰に惚れていようが俺の知ったこっちゃねぇ。またお前はくだらねぇ考えを起こしたようだが 俺は嫁を貰う気はねぇし、今の生活を捨てるつもりもねぇんだよ。どうせあのじゃじゃ馬娘の話の尻馬に乗っかったんだろうが生憎だったな。むしろあんな跳ねっ返りの女将を貰ってやろうなんて物好きが居るんなら 俺の方から是非貰ってやってくれと後押ししてぇぐらいだ。そうすりゃあのうるさい小言を聞かなくっても済むんだからな。」
けんもほろろの言われようだ。剣心の胸算用はすっかり外れた。それでも眉一つ動かさない比古の表情から もしかしたらどこかに隠した本心が顕れないかと注意深く見守った。
「お前。俺を何とか追い出そうと藤村の爺さんから入れ知恵をしてもらったな?」
「えっ?」
何で知ってるんだ? 比古の性格を知りすぎている藤村さんが わざわざ比古に教えるはずもない、どこかでボロを出したかと自分の行動を顧みる。
「お前の考えそうなことだ。葵屋の女将の話を持ち出して 俺がほいほいと喜んで家に帰るとでも思ったんだろう?」
何でこうも次から次へと手の内がバレるんだろうと 剣心は動揺を隠せない。
「バカ息子の考えそうなことぐらいお見通しなんだよ。苦労して色々と情報を探ってきたようだが残念だったな。」
口唇の片方を持ち上げてジロリと睨みながら言う比古に 剣心は唇を噛んだ。
「だが、まっ、お前のその杞憂も今日限りだ。どのみち俺は今日帰るつもりだったからな。」
「えっ? 何で急に?」
「あん? 何だ。まだ居て欲しかったのか?」
「まさか!」
こんな機会を逃す手はない! 剣心はぶんぶんと頭を振る。
「まぁったく。ちぃっとも可愛げのねぇガキだぜ。」
誰が好きこのんでこの親父にいて欲しいと思うものか。そんなヤツが居たら 是非お目に掛かりたいものだと剣心は思う。
「お前らをからかうのは結構いい暇潰しになったが、それもいささか飽きた。それに俺は明後日から中国へ行くんだよ。その準備もあるからな、これ以上はお前らと遊んでられねぇ。」
それならそうと最初から言ってくれれば余計な苦労をしないで済むものを・・・こっちの気持ちを分かっていながらまったく人が悪いと いつものやり口に地団駄を踏む。そんな気持ちまでも見透かしているように 比古は緩やかに微笑を作った。
「こう言っちゃ何だが お前にはあの坊主が結構合ってるのかもしれねぇな。まぁせいぜい仲良くやんな。」
「おやじ・・・・」
思いがけない優しい言葉に剣心は目を見張り、そして少し感激した。
「いつまでもつかは知らねぇけどな。」
余計なお世話だ!!!
やっぱり感激は取り消した。



台風のような大騒ぎを残して ようやく比古は帰っていった。
(かさ)高い比古が居なくなると部屋の中も急に広くなったような気がして 久しぶりに剣心は手を伸ばして大きく深呼吸をする。思えばこの数日間、自分達の生活は比古に乱されっぱなしだった。やっといつものペースに戻れる。
ずっしりと重い荷物を置いたようで心が解放されるようだ。だが、それと同時に静かすぎる室内に 何となく物足りないような気がする。そしてそんな気持ちを感じたことに思わず顔をしかめた。

その頃比古は帰り道の車の中で、
「そうか・・・アイツ、縁談断りやがったのか・・・」
心中呟いてバックミラーに向かって密かにほくそ笑んでいた。
比古の運転する車は 飛ぶように山の家へと向かってひた走っていた。




比古が去った翌々日の休日、剣心と左之助は今までの疲れを取るように ゆっくりと部屋でくつろいでいた。
朝寝をし、目覚めればおはようのキスをして、午後は二人でテレビゲームの対戦に夢中になった。
ゲームの中の殴り合いが 熱が入りすぎて本物の殴り合いになりそうな緊迫した空気も2,3度流れたが、邪魔者の居ないくつろぎの空間は二人をすぐに仲良くさせる。
白熱したゲームの最中に玄関の呼び鈴が鳴った。
剣心が出てみると宅配便の荷物が手渡された。
「ん? 誰から?」
奥の部屋でコントローラーを握ったまま、左之助が声を掛ける。
「親父からだって。何だろ? 珍しい。」
「へぇ、また何で?」
比古からと聞いて左之助も玄関まで近寄ってきた。
「もしかして爆弾とか入ってたりして・・・・・」
「まさか。それはないだろ? 剣心、早く開けてみろよ。」
「うん、そうだな。」
左之助に促され、ミカン箱より少し小さい段ボールのガムテープを剥がしていく。中から出てきたのは小さな木箱と真新しいロープだった。
杉の香りのする箱を開けると出てきたのは一組の湯呑み、比古の作品だ。
「どうしたんだろう?」
剣心が訝しがって首を傾げる。
「おい、メモが入ってんぜ。なんか書いてある。」
左之助のつまみ上げた紙片には比古の文字で走り書きがしてあった。
「何々? ええっと・・・」

―――――色々と世話になったな。なかなか愉快だったぜ。
お前らの所にはろくでもねぇ食器しかなかったから、少しこマシなもんを送ってやる。二人で仲良く使いな。
それから坊主が気に入っていたようだから ついでにロープも入れといてやった。俺からのささやかなプレゼントだ。
また気が向いたら遊びに行ってやる。楽しみに待ってろよ。
                                 比古 ―――――

「ヒュー、親父さんって気が利くぅ! ちょっとだけならいつでも歓迎するぜ。」
「二度と来るな!!」
「えっ!?」
重なった声に同時に二人顔を見合わせる。眉を八の時に寄せて剣心がやれやれと言った表情を見せた。
「左之。お前も懲りないヤツだな。」
「えへへ、だってよぉ。仲良く使えってあるじゃん。やっぱ、親だねぇ。」
「ああ、親父にしたら珍しい。よっぽどお前のことが気に入ったのかもな。早速茶でも煎れるか。」
「そっちじゃなくって、こっちの方だよ。」
そう言ってにへらにへらと笑いながら手にしていたのは 同梱されていた長いロープだ。
「さ〜〜の〜〜!!」
「ええ? いいじゃんかよ。この間は浴衣の紐でもあれだけノリノリだったんだぜ? モノホンのロープならさぞかし・・・うへへ。」
ロープを見ただけで頭の中をどピンクに染めた左之助は 早く試したくって仕方がない。剣心を腕の中に閉じこめて何とか巻こうと試みる。
「コラッ! 止めろって!」
「えへへ、ちょっとだけ、な!!」
「お前そんなにロープが好きなのかよ?」
「ああ、もう好き好き。ずっと使い続けたいくらいだ。」
「もうっ!! よぅくわかった・・・・仕方ない、じゃ、協力してやるよ。」
「おっ、サンキュ!そうこなくっちゃな。あんなに感じてたんだから、やっぱオメェも良かったんだ。んじゃ早速。」
涎を垂らさんばかりに嬉々として 手にしたロープを左之助は剣心に巻き付けに掛かった。



それから1時間後・・・・
「なぁ、剣心。そろそろ解いてくれよぉー。」
ベッドでぐるぐる巻きになって とどよろしくのたうち回って情けない声を出す左之助の側で ビールを片手にポテトチップスを頬張り、テレビを見ながらアハハと剣心は笑っていた。
二人へと送る荷物の荷造りをしながら比古が 坊主じゃ荷が重いかもしれねぇけど上手く飼い慣らせよと呟いていたとは もちろん左之助は知らない。
「ん? だって使い続けたいんだろ?」
「だからぁ、俺が悪かったって。もう何度も言ってるだろ? 腕が痺れてきてんだよぉ。それにそろそろトイレにも行きたいしよぉ。ビールも飲みてぇ!」
「お前言ったよな? トイレは我慢するんだなって。何なら俺が飲んでやろうか?」
「テメェ、剣心! いい加減にしねぇとぶっ殺すぞ!」
「アハハハ・・・・その格好でやれるもんならやってみろよ。そうだ、おイタもしなくっちゃだな。マジックで落書きでもしてやろうか? そうすりゃ俺も欲情するかもな?」
「ぐっ!・・・・くそぉ・・・・」
言葉に詰まってしかめ面をする左之助へとむかって剣心の大きな笑い声が部屋中に響き渡る。窓から差し込む日差しを受けた赤い髪が 剣心が笑う度にキラキラと光って揺れる。涙を零さんばかりに笑った剣心が振り返り、とびっきりの笑顔を向けた。
「左之。」
「何だよ!!」
「愛してるよ。」
そう言ってウインクをよこす。
脈絡もなく滅多と言わない言葉を口にされて 自分の状況も忘れ、呆けたように剣心を見つめてしまう。そして少し照れた。
からかわれていると判っていても 天使のようにあどけない笑顔を見せる小悪魔に見惚れてしまう自分が情けない。
ややあって今の自分の状況を思い出し、またムカついた。
「コラッ!!剣心! 愛してるなら解きやがれ!!!」
「縛り続けたいほどに愛してるって事さ。」
しゃあしゃあと言ってのけ また高らかな声を上げて笑う。
悪魔の子はやっぱり悪魔だと今更ながらに左之助は思い知った。そしてその親は更にパワーアップしていた事を思うと 自分の将来が思いやられる。だけど惚れてしまったものは仕方がない。
「もう縛るなんて言わねぇから、頼む! 解いてくれ。剣心〜。」
ロープ姿の剣心を思い出し、たっぷりと未練を残しながら、許しを請う。
今日の所は失敗したが、いつか必ず縛ってやる、覚えていろよと密かに固く心に誓い、哀れ、左之助はまたのたうち回った。


                                了   2004.9