【130Rの向こう側】 〈後編〉                                    《前編
                                                〈  〉


京都に帰ってからの二人は 上辺は変わらずの日常を過ごしていた。そして剣心が仕事に出かけてしまうと 左之助は独りもの思いに沈んでいた。
丹後の海での出来事は左之助の心を居心地の悪いものにしていた。
京都へ出てきてからというもの 剣心と過ごす日々は楽しく、甘い想いは左之助を有頂天にさせていた。だから、時折見せる剣心の身を躱すような態度も 照れから来るものだろう位に考えていたのだ。
自分が剣心にのめり込むほどに 剣心もまた同じ気持ちだろうと信じて疑いはしなかった。
腕の中に抱く剣心は心の傷を隠そうとはするものの その全てで左之助を受け入れ、寄り添っているように感じた。愛されていると確証が持てた。なのに、左之助が思うように 剣心は決して甘い未来を思い描いていたわけではないと思い知らされることになったのだ。

剣心の言葉を反芻し、その意味を考え 何故と思う。
答えを見つけようと 家中を家捜ししてみたりもした。が、手掛かりになるような物は何も見つけられなかった。
ただ、この家に来た時に思った違和感の正体が何であったのか、今ははっきりと認識していた。生活感が感じられないと思ったのは 綺麗に片づいていたからでも 几帳面だったからでもなく モノが欠けていたからだ。バイクに関するモノが 徹底的に足りなかった。
例えば、左之助の部屋などでは 交換して使い道のないブレーキパッドが テーブルの上に転がっていたり バイク雑誌が散らばっていたりする。それは単に片付けの問題ではなく 友達(つれ)の家に行っても片づけられた雑誌は 大事そうに書棚の中に並んでいたりする。それが、この家には全くなかった。僅かにオイルの缶が ガレージの片隅に置かれているだけだった。
あんなにバイクに跨っている剣心はしっくりと馴染んでいると思えるのに こんなにも避けているかのような日常が 左之助にはどうにも不自然に感じられた。
いったい何が剣心をここまで頑なにバイクから遠ざけているのか、そして自分の未来の幸せをも否定しようとするのか、剣心から聞いた事故の話だけではないような気がした。


思いあぐねていると 左之助の携帯電話が鳴った。
「あ、左之さん。一体どうしてたんすか? 何度架けても出ないし 心配してたんすよ。」
「ああ、修か。わりい。ちょっとツーリングに出てたんでな、携帯忘れちまってた。」
「携帯も要らないぐらい 彼女としっぽりですかい? 女ども泣きますぜ。」
「まぁ、当たらずとも遠からずってとこだな。」
「えーっ? マジっすか?」
「嘘だよ。んなぁことより何か分かったのか?」
「そうそう。そのことで架けてたんっすよ。大体のことは判ったんすけどね。カワサキのショップで時々会う親父さん居たでしょう? 中村さん。」
「ああ、あの生き字引。」
「そうそう。その親父さんが結構詳しくて 色々教えてくれましたよ。京都にほど近い高槻(たかつき)って場所で 店を開いている『ホンダmiburo』のオーナーが肩入れしてたみたいですぜ。そこのオーナーも元々は 腕のいいライダーだったらしいんですが 事故で怪我してからは もっぱら後身の育成に励んでるようなんです。でも変わった人みたいすよ。」
「どういう風に変わってるって?」
「ホンダのテストドライバーや TeamCABINの監督とかもしていたようで 随分メーカーに顔が利くようなんですけどね。新人を育ててはすぐに他のチームに紹介しちゃうんすよ。それでまた新人を捜しては育てる、それの繰り返しで自分の所にもチーム『Miburo』があるくせに 全然囲い込まないんだそうですよ。」
「一種の道楽か?」
「さぁ、そこまでは判りませんけどね。そのオーナーが本腰入れて 最初にずーっと面倒見てたのがその緋村ってレーサーらしいですぜ。彼にだけは自分のチームの看板を背負わせていたみたいっすねぇ。とりあえずそんな風っすからよそのチームからは非常にありがたがられている存在みたいっすねぇ。」
「ふーん。おい、住所とかは判るのか?」
「ああ、判ってますよ。言いましょうか?」
「ああ、じゃあ、メールで送ってくれよ。」
「分かりました。大体こんなもんで良かったすかねぇ?」
「ああ、大助かりだぜ。世話ぁかけたな。」
「これ位のこと、構いませんぜ。中村さんに聞いただけだし。所で左之さん、
何時帰って来るんすか? 女達が五月蠅くって俺、辛いんすけど。」
「ああ? まだ纏い付かれてんのかよ? お前にやるからよ、全部まとめてお前が面倒見な。」
「そんなぁ、左之さん。俺殺されちゃいますよぅ。」 
「ハハハ・・・じゃあ、引き続き行方不明にしといてくんな。帰ったら何とかするからよ。頼んだぜ。」
「なるべく早く帰ってきて下さいよ。頼んます。」
「ああ、分かった、分かった。んじゃ、な。」
色々と調べてくれた修の情報で 何か手がかりが掴めそうな気がした。
「さて、どうするか・・・」
自分のなすべき事、これからの行動を考え一人呟くと ゴロリとそのままソファーに横になった。



翌日左之助は修から聞いた店へとバイクを飛ばしていた。国道171号線に沿って建っているその店は ガラス張りのショーウィンドウが大きく取ってあり、よく磨き込まれたレース仕様のバイクが光を受けて輝いていた。店の中は明るく コンクリートの打ちっ放しの壁に レーシングスーツが何着か掛けられている。その下の棚には バイクの部品や用品が見やすく並べられていた。
隣のピットでは 何台かのバイクが置かれ 幾つかの修理を待つバイクが無惨な姿をさらしていた。
歩道の脇へバイクを停め、重いガラスの扉を引いた。しばらく店内を見回した後、カウンターの中にいた一人の男に気がついた。痩せた狼のような目をした男が 愛想を言うでもなく左之助を見ていた。客商売のくせに 人を寄せ付けないような雰囲気は それだけで充分異様な感じを受ける。少し気後れを感じながらも 思い切って声を掛けてみた。
「あのぉ、あんたがこの店のオーナーの斎藤さん?」
「ああ、だったら何だ?」
客に向かって愛想笑いもせず、何だもないもんだと思いながら取りあえずは用件を切り出した。
「ちょっと頼みたいことが有って来たんだけどよ。」
「レーサー志望ならお断りだ。間に合ってる。」
随分気が短い男なのか、それともレーサーを夢見て訪ねる男達が多く、その対応にうんざりしているのか ろくに人の話を聞こうともしないで冷たい視線を走らせる斎藤に いささか手強そうだと気合いを入れ直した。
「ちげーよ。人の話は最後まで聞けよ。」
「何だ、違うのか。」
「あんた、緋村剣心って知ってんだろ?」
その途端に斎藤の眉がぴくりと動いた。
「知らんな。そんなヤツは。」
「嘘だろ? あんたの顔に知ってますって書いてあんぜ。こっちも調べて来てんだからよ。しらばっくれんのは無しだぜ。」
勝ち誇ったような左之助の顔を一瞥すると さも五月蠅そうに溜息を吐いて
「だったらなんだ? 今更何の用があるんだ?」
ギロリと横目で睨んだ。
「へへ・・そう来なくっちゃな。俺は相楽左之助。今、剣心とこで世話んなってる。」
「その居候が何の用事だ?」
「そうせっつくなよ。今から言うからよ。」
「俺は忙しいんだ、手短に話せ。」
「忙しいったって他に客は居ねえじゃねぇかよ。」
「嫌ならいいんだぞ、べつにこちらは聞きたいわけでもないんだからな。」
「わあったよ、単刀直入に言ってやるよ。剣心をもう一度鈴鹿で走らせてやって欲しいんだよ。」
その言葉は斎藤を驚かせるには充分だったらしい、ひどく慌てて身を乗り出した。
「アイツがそう言ったのか?」
「いや、俺がそう思ってんだ。」
左之助の返答は 斎藤を落胆させたようだ。大きく息を吐くとさも面倒臭いとばかりに左之助に向かって言った。
「何だ、お前の勝手な思いこみか。」
「思いこみじゃねえぜ。一緒に居てりゃ アイツが走りたがってんのは誰だって気がつくぜ。」
「本人が走りに来ないでどうやって鈴鹿を走らせる? 馬鹿も休み休み言え。阿呆が。」
「俺が引っ張って行ってやる。アイツが置き忘れてきた思いを 拾わせてやりたいんだよ。」
「はん? どういう事だ?」
「アイツが事故で恋人を亡くした話は聞いてんぜ。それからサーキットを走れなくなったって事もな。突然にバイクへの思いをぶち切られて それは今もアイツを苦しめてる。好きなくせにまるでバイクに乗ることが 罪悪でもあるかのように 日常から切り離してんだよ。ずーっとそうやって苦しんでんだよ。だから、自由にしてやりてぇんだ。」
「ふん、めでたいヤツだ。心理療法士か何かでも気取ってるつもりか? 8年間も後生大事に抱えてきたトラウマを 一度や二度 鈴鹿を走ったくらいで取り除けるとは思えんな。」
「だけど、何もしなければアイツは何も変われやしないんだ。未来だって描けねぇ。俺だって・・・」
「はぁん、そう言うことか。」
何かを悟った風に横目で睨む斎藤の言葉に思わず顔が赤くなった。
「なんだ、図星か。」
「だったら何だってんだよ! あんただって剣心に惚れて 面倒見てきたんだろう?」
「阿呆! 俺が惚れたのはアイツの走りだ。お前と一緒にするな。」
「どっちだって構やしねえよ。練習走行で構わねぇから頼む。あんただけしかこんな事頼める相手は居ねぇんだよ。」
「お前、レース経験は?」
「無いけど・・・何か?」
「じゃあ、ライセンスは?」
その言葉に 両手をあげ手のひらを見せて首を振る。否定の意味を表すと斎藤の眉がまたも寄った。
「話にもならんな。俺は忙しい。もう帰ってくれ。」
「ちょっと待ってくれよ。なんなんだよ 急に。」
「ガキのお遊びに付き合っている暇はない。」
「ライセンスと剣心とどういう関係があんだよ?」
「フンッ、何の目算があるわけでもなく 思いつきのガキのお遊びには付き合えんと言うことだ。」
「じゃあ、ライセンスを取ってきたらいいのかよ?」
「話は終わりだ。さっさと帰れ。」
取り憑く暇も与えず話を打ち切ろうとする。
「くっ・・・なんなんだよ、まったく・・・」
冷たく顎で出口を指し示す斎藤に これ以上は無駄かと思い今日は引き下がることにした。
「分かったよ、また出直してくらぁ。」
「何度来ても同じ事だ。」
「生憎だが 俺は打たれ強いんだよ。ちょっとやそっとじゃ諦めねえぜ。」
「フン。」
横を向く斎藤に 精一杯不敵に笑うと扉を押して外に出た。停めたバイクに向かいながら
「あんの野郎・・・絶対うんと言わせてやるからな・・・」
負けず嫌いの根性が顔を見せた。


ブツブツ呟きながら バイクからヘルメットをはずしていると 後ろから不意に声を掛けられた。
「あの・・・・君・・・」
振り向くと 先程斎藤とのやりとりの最中に カウンターの後ろの扉から姿を見せ思案気な顔で二人を眺めていた女性だった。ストレートの黒々とした長い髪が印象的だ。鼻の辺りに少しばかりの険を感じるが それを除けばなかなかの美人だった。
「何か?」
「えっ・・と・・名前なんだっけか・・・?」
「相楽・・・相楽左之助。」
「そうそう、左之助君、ちょっと時間ある? そこでお茶でも・・・」
「ナンパかよ?」
「馬鹿ね。男には不自由してないわよ。剣さんのことを言ってたでしょ? それで・・・」
「ああ、わかった。そう言うことなら時間はいくらでも大丈夫だ。」
「じゃあ、そこのコーヒーショップにでも行きましょう。」
誘われるまま女性の後に続きながら店の中をちらりと見たが もう斎藤の姿は見えなかった。


席に着くと 女性は恵と名乗った。斎藤の妹らしい。
「あんたと剣さんはどういう知り合いなの?」
「どういうって・・・友達(ダチ)だけど・・・」
「ただの友達じゃ無さそうね。フフフ・・・」
「何だよ、いきなり・・・」
「ハハ・・・、ごめんごめん。ちょっとね、何処まで話していいものかと思って。」
「おう、何だって頼むぜ。何だって知りてぇんだよ。」
「好きなのね?」
「なっ、・・・」
唐突に聞かれて顔が火照った。
「あら、案外純情・・フフフ・・・」
「おめーら兄弟、いったいどんな性格してんだ。」
「ウフフ・・・まあ気を悪くしないで。ところであんた、事故のことは知ってるんでしょうね?」
「剣心が恋人を亡くしたってぇ事か?」
「そう、それについて何か聞いてる?」
「練習走行で隣に走ってたヤツが転倒して その巻き添えで剣心のバイクが その恋人に当たったんだろ?」
「ええ、そうなんだけど・・・」
「何だ?他に何かあるのか?」
「あまり剣さんにとって いい事じゃないから・・・・」
「言ってくれよ。俺、何がアイツを苦しめてるのか知りてぇんだよ。俺で力になれるんだったら何でもするからよ。」
「そうね。あんたなら力になれるかもね・・・あんなに頑なだった剣さんが家に置くぐらいだものね・・・・
剣さんに無二の親友が居てたって知ってた?」
「いいや、親友どころか友人の一人も知らねぇぜ。その辺がずっと引っかかってんだけどよ。」
「相変わらず誰も寄せ付けてないのね。無理もないけど・・・」
「どういうこった?」
「飯塚って言ってね、剣さんとは幼い頃からの友人だったのよ。家も近くだったそうだから 両親の居ない剣さんをそこのご両親も可愛がってくれて 実の兄弟のように育ったのよ。本当に仲のいい二人だったわ。趣味も好みも二人ともよく似ていたわ。バイクに興味を持つようになったのも二人一緒でね、その頃はうちの店も京都にあったから 学校が終わると二人でうちの店にやって来るのよ。夕刻遅くまで兄とよく雑談してたわ。」
そこ迄話すと恵は遠い目をして昔を懐かしんでいるようだった。左之助に話の先を促され、コーヒーをひとくち口に含むと古い記憶をたぐり寄せるようにまた話し出した。
「剣さんが免許を取ると二人でバイクを改造しだしたの。最初は50ccのバイクで兄に色々聞きながらやってたわね。兄もレースを止めて丁度店を持ったばかりだったし、昔の自分を見るような気がしたんでしょうね、よく面倒を見てたわ。」
先ほどの無愛想な人物とは とても同一人物とは思えない恵の話に左之助は首を傾げるばかりだった。
「そして、その50ccで小さなレースに出たのよ。結果は結構良くてね、その辺りから味を占めて 二人はどんどんのめり込んでいったわ。最初の内は勝ったり負けたりで いいライバル同士だったの。そのうちに明らかな差がつきだしたのよ。それは決して飯塚さんが遅いのでは無かったんだけど、剣さんは天賦の才って言うのかしら、一度コースを廻ってくると的確にそのコースの癖とかマシンの癖を飲み込んでしまうのよ。少し兄がアドバイスをすると 次にはより的確なコース取りをする。だからレースに出てもすぐに頭角を現したわ。」
左之助には剣心のあのフォルムが 目の前に浮かぶような気がした。信州で見た 求めて止まないあの走りが左之助の瞼一杯に広がった。
「剣さんがGP250に出る頃にはその差は歴然としていたのよ。兄は喜んだわ。レース中の事故で腰を打ち、もうレースには出られないって思っていたから自分の夢を託したのね。剣さんがレースに夢中になるほどに 兄も剣さんに付きっきりだった。あらゆるコネと伝手を頼って 最高のマシンを用意し、レースに送り出したわ。そして剣さんは兄の期待に見事に応えたのよ。あっという間にトップレーサーに躍り出たわ。それを誰も不思議に思わなかったのよ。剣さんなら さも当然って。飯塚さんも剣心は俺の自慢だって言ってたのよ。それを誰も疑わなかったの。それほどに二人は何時も仲が良かったのよ。」
「その飯塚って野郎の話は分かったけど それで?」
話の先が見えない左之助は 話に出てくる飯塚に 嫌な感じを覚えた。それは嫌悪なのか嫉妬なのか自分でも判別の付かない感情だった。
「剣さんが本格的に活躍する少し前頃に 玲奈ちゃんと知り合ったのよ。」
「玲奈って?」
「事故で死んだ彼女の名前よ。」
「玲奈って言うのか・・・」
本の間から見つけたあの日の写真が瞼の裏に浮かんだ。幸せそうに微笑む 屈託のない笑顔が眩しく、左之助の心を妬いたひとコマが思い出される。
「パドックで何度か隣り合う内に 親しくなって付き合うようになったわ。剣さんは容姿があんな感じだから 女の子には随分騒がれていたんだけど 全然相手にもしなかったの。それが、玲奈ちゃんだけは顔見知りの気安さからか すぐに打ち解けて 楽しそうにバイクの話なんかしてたわ。お日様みたいな娘でね、居るだけで周りを明るくするって言うか ほのぼのとした感じがするのよ。レースで張りつめた神経が休まるような娘だったわ。」
写っていた彼女の周りの誰もが 笑顔を見せていた。向日葵のような印象は
正しく彼女を表現していたらしい。
「彼女は剣さんにぞっこんだったようだけど 彼女を好きなのは剣さんばかりじゃなかったの。何事にも趣味の合う二人は 女性の趣味も同じだったのよ。でも、飯塚さんが玲奈ちゃんを好きだなんて 誰も知らなかったわ。仲の良い二人を見て 『俺も早く彼女を作らなきゃやりきれない。』なんて笑ってたから、まさか、飯塚さんがなんて思いもしなかったの。だけど、彼の心の中にはバイクに関しても大きく差を開けられ、好きな女の子は剣さんにぞっこんで
やりきれないものが溜まっていったんでしょうね。彼の欲しいモノは 全部剣さんが持って行ってしまうのよ。そして、周りも剣さんなら当然と思っていたし・・・。飯塚さんがGP250で入賞した時には 剣さんが誰よりも喜んでね、二人で打ち上げだって朝まで飲み明かしてたりしたし、剣さんはあんなだからいくら有名になっても 鼻に掛けることもなくて 少しも変わることがなかったわ。そんなだから 二人の友情も変わらないように思ったのよ。 だけど、飯塚さんは 剣さんを裏切ったのよ。」
やりきれない思いを吐き出すように恵は言った。思い出せば彼女自身もまた、やるせない思いに包まれるようだった。苦虫を噛みつぶすような表情で アイスコーヒーを飲み干し そしてまた話し出した。
「急に頭角を現した剣さんには ライバルも多かったわ。みんな努力をしてしのぎを削っているんですもの、当然快く思わない者も居たのよ。あんな若造にって・・・鈴鹿の8時間耐久のペアーの申し込みなんて 剣さんには山のようにあったわ。言い換えれば組まない相手はみんなライバルだもの。そんな中で最も有力視されてたライバルチームに 飯塚さんは剣さんを売ったのよ。自分のスポンサーに付く交換条件で。」
「売ったってどういうこった?」
「あの事故は仕組まれたものだったって事よ。」
「それじゃあ犯罪じゃねぇかよ。」
「証拠がないのよ。みんなおかしいって最初から言ってたわ。でも、コーナーでこけることなんて日常茶飯事だもの。ブレーキングをミスったって言われたら それまでだもの。」
「話がよく見えねぇよ。もう少し詳しく話してくんな。」 
「私も事故の現場を目撃した訳じゃないから 聞いただけのことになるんだけど・・・
あの事故の日は久しぶりに剣さんや玲奈ちゃん達3人が揃って レジャー気分だったわ。飯塚さんは新しいバイクを持ち込んでたのよ。そもそもそれがおかしかったんだけど・・・あんなに自分のバイクの整備にうるさい人が、いつものは調子が悪いとか言って 改造は加えてあったようだけど公道用を持ち込むなんて・・・でも、久しぶりのことだから 遊び感覚なんだろうって思ってたのよ。走行が始まると飯塚さんは玲奈ちゃんに張り付いてたわ。ぴったり後ろについて・・・剣さんが絶対横に並ぶだろうって 読んでたみたいね。何周か回った後、130Rに差し掛かる手前で 剣さんが後ろから張り付いてきたのよ。その時に飯塚さんがフラフラっと・・そう本当にフラフラっと剣さんの前に倒れ込んだらしいわ。目撃した何人かによると 何であんなこけ方したんだろうって。玲奈ちゃんの後ろに居たぐらいだから そんなに無茶なスピードは出ていない筈だったんだけど・・・
飯塚さんのバイクは狙い通りに剣さんのバイクに接触したわ。でも、玲奈ちゃんまで巻き込むとは思ってなかったようね。運が悪かったのよ。大事故を起こしても怪我ひとつしない人だって居るのに・・・・
飯塚さんは剣さんを怪我させるように頼まれていたようなのよ。レースに出させないためにね。それも後で調べて判ったんだけど・・・」
「何か証拠はないのかよ?」
「ないわ。私達も おかしいって思ったから必死で調べたんだけど、飯塚さんも怪我してたし 新しいバイクで取り回しに慣れてなかったって言えば ああそうですかしか言いようがないでしょう? 何か細工をしたわけでも無し、単に転倒しただけなんだから・・・・憶測の域を出ないのよ。」
「きったねえコトしやがるぜ。まったく。」
「そうね、でも酷いのはその後なのよ。」
「まだ何かあんのかよ?」
「ええ、翌日の玲奈ちゃんのお通夜でね 剣さんも怪我を押して出てきたんだけど みんなの同情が剣さんに集まったのよ。飯塚さんには反対に 飯塚さんの所為だって非難が集まってね、みんなヒソヒソと噂話をしていたわ。それを小耳に挟んだんでしょうね。玲奈が死んだのはお前の所為だって 飯塚さんが剣さんに言い出したのよ。俺の玲奈を返せって。」
「どういう事なんだよ? 玲奈って女は剣心の彼女なんだろ?」
「そうよ。だけど飯塚さんが言うのには お前が玲奈をほったらかして バイクにばかりうつつを抜かしてて、彼女の気持ちなんてこれっぽっちも顧みなかったじゃないかって。海外に行ってる間 俺がずーっと慰めてたんだって。お前にはもうとっくに気持ちが離れていて 玲奈もお前と別れて 俺とやり直すことになっていたって言い出したのよ。」
「ホントかよ? ひでぇ女だなぁ。」
「信じられないのよ。嘘だと思うわ、多分・・・玲奈ちゃんは本当に剣さんが好きで好きで堪らないように見えたし、誰も飯塚さんの言うことなんか信じられなかったわ。でも真相を聞こうにも本人は棺の中だし・・・」
「剣心は? 剣心はどうしてたんだよ?」
「真っ青になって拳を握って 瘧(おこり)のようにブルブル震えてたわ。」
「だろうな・・・信じてたヤツにそんな酷い裏切り方されたんじゃ 誰だって気がおかしくなっちまう。」
「だけど一言も言い返さないで 黙って出て行ってしまったわ。兄も酷く怒ってしまって、『二度とお前のツラなんか見たくない』って飯塚さんに殴りかかったのよ。本当に酷いお通夜だったわ。」 
「・・・堪んねえな・・・・」
「それからの剣さんは ずーっと部屋に籠もりっぱなしで 誰にも会おうとはしなっかったの。自殺でもしやしないかって随分心配したわ。剣さんには決してあなたの所為じゃないって言ったんだけど 飯塚にあそこまでさせたのは やはり自分の所為だって言ってね、結局俺は自分のことしか考えてなかったんだ、玲奈の寂しさも飯塚の気持ちも少しも分かってなかったって自分を責めるのよ。兄も心配して 少し経ってから無理矢理にサーキットへ引っ張っていったのよ。だけど剣さん、サーキットに立つと真っ青な顔をして吐くのよ。何度も。それで兄も諦めたわ。しばらくそぅっとしておこうって。そしてその間に飯塚さんの背後関係を調べたの。あの後彼は余所のチームに移って行ったわ。そこでバックアップもしてもらったみたい。飯塚さんが移ったグループのチームが その年の8時間耐久レースに優勝したわ。色々な噂が飛び交ってたけどどれも確証となる物はなかったの。」
「その飯塚って野郎は今どうしてるんだよ?」
「死んだわ。」
「なんで?」
「その後何度かレースにも出たみたいだったけど どれも成績は良くなかったみたい。焦ったのかどうかは判らないけど レース中に無理をして事故を起こしたの。その事故の怪我で左足が動かなくなったようだった。二度とバイクに乗れないって解った時、自殺したわ。遺書には『これでやっと楽になれる』って書かれていたらしいわ。」
「死んじまったのか・・・」
左之助には剣心の悲しみが 救いようのないもののように思われた。複雑に絡む人間関係に憎悪が入り交じり ほどけない糸となって剣心をがんじがらめにしている、そんな風に思えた。重い息を吐き出し顔を上げると
「つれぇな・・・・俺に何が出来るんだろう・・・・」
そうポツリと呟いた。
「しばらくして剣さんのマンションに出かけた時はもうもぬけの殻だった・・彼のおじさんって人の所にまで尋ねたんだけど 『途中で逃げ出すような意気地なしの野郎は 追いかけたって無駄だぜ。』って言われたわ。その後は風の噂で 大学を出てから剣さんがおじさんの紹介でコンピューター会社に就職したって聞いたわ。
彼にとってはその方が良かったのかも知れないと思ったの・・・あんな忌まわしい世界よりも・・・おかげで兄は道楽者って言われてるけどね。」
「何でお前の兄貴が 剣心の所為で道楽者になんだよ?」
「フフフ・・・・兄はね、剣さんが忘れられないのよ。あんな胸の空くような走り方をするヤツは居ないって・・・それで、新人を育ててはコイツも違う、アイツも違うって すぐにみんなをほっぽり出すの。そしてまた、新人を育てる・・・その繰り返しよ。業界ではありがたがられているけどね。みんないいレーサーを紹介してくれるって言ってるわ。おかげで、ここのところうちのチームの戦績はさっぱりよ。レーサー志望の子達は うちへ来ればレーサーになれる、いいところへ紹介してくれるって思っているようだけどね。」
左之助の顔を見た途端に「レーサーは間に合っている」と言った斎藤の顔が思い出される。アイツも剣心に惚れ込んで面倒見ていたという左之助の読みは 間違いなかったようだ。これだけ聞けば、斎藤を何とか口説けるのではないかという期待が胸に持てた。
「アイツ、今でもサーキットには立てねぇのかな?」
「さあ・・・なんせ、8年も前のことだから・・・・そんなことはあんたの方が詳しいんじゃないの?」
「信州のツーリングの時によ、すんげぇいいワイディングが有ったんだけど、アイツ走りたいって言って かっ飛んで行っちまった。だから、きっと大丈夫だな。」
「血が騒ぐのかしら・・・」
「ライダーなら誰でもな。」
「フフフ・・確かにね。」
「俺が考えていたよりも 話は複雑そうだけどよ、尚更剣心を鈴鹿へ引っ張って行かなきゃなんねえ気がするぜ・・・・俺じゃダメかな?」
「どういうこと?」
「アイツが130Rに落としてきた物を 俺じゃ与えてやれないかなっと思ってよ。」
「あんたがダメなら誰がするのよ。ねぇ、あんた、鈴鹿を走りなさいよ。」
「へっ?何だよ、突然に。」
「いくら剣さんを鈴鹿へ引っ張って行ったところで 一人じゃ絶対に走らないわよ。だから、あんたが一緒に走りなさいよ。それなら剣さんも走るんじゃない?」
「俺が?・・・・」
斎藤がライセンスは?と聞いた言葉が思い出され、アイツはそれが言いたかったのかと気づいた。
「だけど、お前の兄貴は聞く耳持たねぇって言ってたぜ。」
「あら? ライセンスを取るように言ってたじゃない? あの人はちょっと臍曲がりだから 普通に言わないけどね。フフフ・・・」
「大分の間違いだろ? そうだな・・・俺はそいつとは違うって証明してやりてぇし、俺に出来ることはそれぐらいかもしんねぇ。」
「じゃあ、決まりね。早速ライセンスを取るための手続きをしなさいよ。」
「ああ、国際A級でも何でも取ってやるぜ。」
「フフフ・・・馬鹿ね。そんなに簡単に国際A級ライセンスは取れないわよ。まずは講習を受けて 鈴鹿の走行許可をもらってきなさいよ。それと、ロードレース用のバイクは 市販車とは違うところもあるから慣れてもらわなくっちゃならないし。剣さんと一緒に走るって言うなら 腕も磨いてもらわなくっちゃね。」
「腕なら自信あんだけどなぁ。
でもそうだな、アイツは半端じゃねぇからな・・・」
「しごいてあげるわ。」
「あんたが?」
「何よ、その疑いの目は・・・これでも多くのレーサーを見てきてるんですからね。レーサーほど走れなくてもアドバイスなら出来るわよ。」
「ホントかよ? まぁ、それじゃヨロシク頼むわ。」
左之助のバッタのようにぺこりと頭を下げる仕草に 恵が朗らかに笑った。
人懐こそうな笑顔で ニッと笑い、恵に言った。
「親切だな、あんた・・・」
「ばっ、馬鹿ね。私達も少しは責任を感じてるからよ・・・」
頬を赤らめて 思い出したように窓の外を見る恵に この人もずっと剣心が好きだったんだと思った。
細かな打ち合わせをし、連絡先を教えると左之助は恵と別れた。
家路に着いたが そのまま真っ直ぐ家に帰る気がせず、途中鴨川の土手に腰掛ける。
剣心が言った「人の心は変わる」という言葉が頭の中に渦巻いた。
夕暮れが迫るまで 左之助はずっと川の流れを見ていた。


   〈 Next 〉