〈 ... 〉


休みが明けてからの剣心は 仕事に忙殺されていた。納品済みのプログラムに不具合が見つかり チームを組んで修正に当たっているようだった。帰宅時間も遅くなり 左之助と過ごす時間も余り取れなかった。左之助はその間 斎藤の店に入り浸っていた。
そして恵の時間の都合が付く夜には 峠へ走りに出かけた。
左之助のコース取りを眺めては 細かにアドバイスをする。恵の言うように 伊達に選手の練習に付き合ってきたわけでは無いようで、そのアドバイスは的確だった。最初は恵が乗るNSRに軽く引き離されたが その差もそのうちに縮まった。
剣心は相変わらず忙しいらしく、帰宅できない日も何日か続いていた。
その間に秋を運ぶように台風が通り過ぎた。

暴風が過ぎ去った翌日、左之助は電話で恵に呼び出された。
顔を見せた左之助に 斎藤は相変わらずの無愛想さで声を掛ける。
「なんだ? またお前か・・・何しに来た?」
「俺は客だぜ。何しに来たはねぇだろう?」
「何か買ってから客だと言え。」
「ちぇっ、よくそんなんで客商売が出来るよな。」
「お前に心配されずとも 店は繁盛している。用事がないなら帰れ。」
「あんたになくても俺にはあんだよ。恵さん居るかい?」
「恵に宗旨替えか? 忙しいことだな。」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ!」
とうとう左之助が堪らずに大声を出したところで 恵が奥から笑いながら現れた。
将軍塚も五月山も行き飽きて、六甲山(ろっこうさん)へ行こうと誘われた。台風が通り過ぎたこんな日は ことに夜景が綺麗だという。
「コースも最高だし、夜景も楽しめて一石二鳥よ。」
「六甲山と言えば 関西では走り屋のスポットだと聞いたことがあるぜ。今夜は楽しめそうだな。」
「この辺りの走り屋は 六甲山で腕を磨いた輩が多いわね。せっかく神戸へ行くのだから南京町かベイエリアでご飯を食べましょうよ。あんたの奢りで。」
「何で俺が・・・」
「授業料よ。世話してんだからそれぐらいは当然でしょう?」
「ちぇっ、ちゃっかりしてやがんの。まぁ、しゃーねぇか。」
「何よぉ。もっと嬉しそうにしなさいよ。デートしてあげるんだから。」
「はいはい・・・」
渋々返事をした左之助は恵に引きずられるように 店を後にした。


神戸のベイエリアでは 若いカップルがあちらこちらで愛を語り合っていた。
仲むつまじく寄り添うカップルを横目で見ながら 客船の停泊する埠頭に座り海から山を眺めた。
眼前の海には 向かいに建つ白いホテルの窓の灯りが波の間に揺れ 観覧車のネオンが彩りを添えている。
「今からあの山へ登るのよ。」
恵が指さした山は海に迫り、中腹までダイアモンドをちりばめたような灯りに包まれていて、少し西の方には頂上近い付近に大きく赤々と錨形と神戸市のマークの灯りが浮き上がっている京都とは違ったエキゾチックな雰囲気に包まれた街だった。

表六甲を一気に頂上まで駆け上がり、眼下を見下ろす。さっきまで座っていた場所も 今は箱庭の片隅の景色となって街の中に溶け込んでいる。スカートの裾を広げたような なだらかな斜面に沿ってちりばめられた星屑は 赤や青い光を放っていた。その星々を縫うように高速道路の灯りが東西に走っている。西には明石大橋がライトアップされ 海の中に大きく横たわっていて その先には淡路島の淡い光りが、南には関西空港の小さな瞬きが夜空の中に滲んでいた。
「あんな小さな灯りのひとつに 俺たち暮らしてんだな。何か、あくせくすんのが馬鹿らしいぜ。」
「また・・剣さんのことを考えてたの?」
「ん?・・ああ・・俺、このでっけえ空になりてぇと思ってな。アイツの苦い思いも何もかも飲み込めるぐらい。」
「あんた・・・結構いい男じゃない。」
「何だ、今頃気づいたのかよ。俺はずーっといい男だぜ。」
「お世辞よ。馬鹿ね。」
「かわいくねぇヤツ・・・その口直さねぇと嫁のもらい手が無くなるぜ。」
「生憎もらい手には不自由してないのよ。さっ、走るわよ。行きましょう。」
踵を返す恵の後に続き、有料道路を駆け巡った。ブレーキングポイントや重心の移し方など細かな注意をされたが それでも表六甲は気持ちよく左之助のバイクに馴染んだ。夜も更け帰ろうと言う恵に もう少し走りたいからと先に恵を帰した。



翌日の昼下がり、少し時間の取れた剣心が 着替えを取りに帰宅すると左之助の姿は見えなかった。
剣心が家を空けがちにしている間は 大学の友人が京都の実家に帰っているので そちらに遊びに行くと言って左之助も家を空けていた。
手早くシャワーを浴び 髪の毛の滴をバスタオルで拭き取りながら 冷蔵庫の中を物色する。ソーセージとアイソトニック飲料を手にすると ダイニングの椅子に腰掛けようとした。その途端に カシャンという音と共にテーブルの上から左之助の置き忘れた携帯電話が床に落ちた。うっかりしてバスタオルの端に引っかけたらしい。慌てて取り上げ何処か故障はないかと調べた。通和音は鳴っている。まず大丈夫だろうと思いつつ 左之助の電話にメッセージを残しておこうと思いついた。メールの項目を開き、もしおかしかったら自分の所為だからと打ち込んでおいた。送信して、着信する。剣心にすればちょっとした悪戯心だった。着信の確認をしようとしたその時、もう1通のメールを着信した。誤って開いたメールには
「昨日の夜のあんたは 熱くなるほどステキだったわよ。また一緒に神戸に行きましょう。見せたい物があるの。早く来て。by Megumi」
と有った。

心臓が鷲掴みにされたようだった。
耳の奥に鼓動が響く。
見なければ良かった・・・・・
力無く電話をテーブルに置き 重たい体を椅子に投げ出した。
思考の止まった頭の中に 
ああ、そうなのか・・・・
その言葉だけが現実味を帯びていた。 



夕刻近くに店に現れた左之助に 恵はメールを見なかったのかと尋ねた。
「えっ? 俺、昨日から家に帰ってないんだよ。携帯は家に忘れたままだぜ。だから見てねぇ。」
「昨日からって・・・あんた今まで何処にいたの?」
「あれからまた走ってよ。明け方近くになって疲れたから 公園のベンチで横になったら 目が覚めたのがさっきだった。」
「まるで浮浪者ね。」
「何か用事だったのかよ?」
「そうそう、あんたに貸してあげるバイクの整備が上がってきたから 見せてあげようと思ってメールを打ったのよ。」
「ひょぅー。そいつは今何処にあんだい? 隣のピットか?」
「そうよ。いい感じに仕上がってるから きっと気に入るわ。」
ピットの中には 赤と白に塗り分けられたロードレース用のバイクが輝いていた。エンジンを掛けると 快い唸り声を発する。
「あーーー、堪んねぇなぁ。早くコイツに跨りてぇ。」
「来週には行けるわよ。しっかりコースを走って体で覚えなさいよ。」
「サンキュー。」
軽く礼を言うと後は恵の言葉などまるで耳に入らず 何時までもバイクを撫ぜていた。


その後も剣心とは すれ違いの日々が続いていた。左之助は恵達とサーキットに出かけたりしていたし、剣心は帰ってきても深夜だったりした。左之助が眠った頃に帰り、目覚める前に出て行く。たまに左之助が起きて待っていても疲れているからと言って早々にベッドに潜り込んでしまう。まるで左之助と口を利くのを避けてでもいるかのように感じられた。そんなことが2,3度続き、堪らず左之助が剣心を抱きしめようとした時 するりと腕をすり抜け、
「疲れているんだ。止めてくれ。」
と冷たく言い放った。
「そんなにつれなくすんなよ。ずーっとお預けだぜ。」
おどけて言う左之助に
「なら、他を当たればいい。」
予想もしない返事が返ってきた。
「他って、どういう意味だよ。」
「そのままの意味さ。お前のことだ、女には不自由しないだろ?」
「お前・・・本気で言ってんのか?」
「ああ、本気だ。」
剣心の言葉に青ざめていく。何故、急にこんな事を言い出すのか理解も出来ないままに 怒りだけが込み上げてきた。
「なんで・・・何で他の女を抱かなくちゃならねぇ? 俺は自分の欲望を満たすためだけに お前を抱いたんじゃねぇ。お前に惚れて・・・」
「空しいぞ、左之助。」
「どういう意味でぇ?」
「俺の居ない間に女とヨロシクやってるんだろ? 惚れたが呆れるぞ。」
冷たく唇の端だけで笑う。
「俺が何時女とヨロシクやっていたと言うんでぇ!」
「お前の携帯だよ。見るつもりはなかったが、落としてしまった時にメールを開いてしまった。悪いが読んでしまったのさ。生憎だったな。隠していただろうに・・・」
うっかりしていたが そう言えばに剣心の伝言のメールの後に 恵のメールが入っていた。アレかと思い当たったが 今剣心に説明するわけにもいかない。悔しさに唇を噛み 黙っていると
「左之助・・・怒ってやしないさ。お前ぐらいの年なら当たり前だろうからな・・・だけど・・・もう、俺に構うな。」
言うなり左之助の横をすり抜けようとした剣心の手首を掴み 振り向かせると言葉を継いだ。
「待てよ、剣心。勝手に誤解すんなよ。」
「誤解・・・?」
信じられないといった表情をありありとその面に表して 目で訴えかける。
「つまり・・・その・・・」
言い淀む左之助の腕から手首を振りほどくと
「いい加減によさないか。俺に愁嘆場を演じさせたら気が済むのか? 俺は御免だ。」
そう言い残して 2階へと続く階段を駈け上がっていった。左之助を拒絶するように 寝室の扉がバタンと冷たく閉まる音が響いた。
震える唇を噛みしめ 拳を握りしめる左之助が 冷たい床の上で何時までも立ちつくしていた。


暗いベッドの中で一人呟く。
左之助・・・
お前は知らない。俺がお前に愛される資格など無いということを・・・
最愛の人間を二人も死に追いやっていておいて・・・
今更どうして自分の幸せを望めようか・・・
もう、誰も愛してはいけない・・・

そうすれば・・・
誰も傷つけない。
自分が傷つくこともない・・・

お前を永遠に失ってしまったら・・・

そんな悲しみには耐えられそうもない・・・

だから・・・
もう会わないでおこう。
今なら心の片隅にでも いい思い出として残してくれるだろう?
お前に疎まれる前に さよならを言ってしまおう・・・ 



翌朝、リビングには左之助のバッグがまだあった。
あれからしばらくして、ガレージのシャッターの開く音がし、バイクの排気音が聞こえた。ベッドの中で震えながら耳を塞いだ。無音の闇が襲ってくる。そっと顔を伸ばすと 何処かで鳴く犬の遠吠えが聞こえる。まんじりともせず耳を澄ませたが 戻ってくる音は聞こえなかった。
夜が明けると睡眠不足の胃に苦いコーヒーを詰め込み 家を出た。

仕事から戻ると左之助の荷物はなくなっていた。
自分がし向けたことなのに まだ待っていてくれるのではないかという 何処か甘い期待が胸の中にあった。


これで良かったんだ・・・
いつかは手を離さなければいけなかったのだから・・・
それが少し早くなっただけ・・・

8月の残り少ないカレンダーの日付を見つめながら 心の中で呟く。
夏ももう終わる・・・・

泣くものか・・・・
唇を固く噛みしめても 頬を伝う涙は止まらなかった。



「うっす。」
店に入ってきた左之助を見て 恵は眉をひそめた。心なしか憔悴したような表情を その笑顔の中に見たからだ。店の外に置かれたバイクには 荷物が積まれている。
「どうしたの? もう東京に帰るの?」
「あん? ああアレか・・・」
気怠そうにガラス越しに外を見て 左之助が答えた。
「剣心に放り出されちまった。わりいが泊めてくれ。」
「放り出されたって・・・・喧嘩でもしたの?」
「ああ、昨夜ちょっと、な。」
「原因は何なのよ?」
「原因か?・・・・」
気怠そうにニヤッと笑うと人差し指を突き出して 恵を真っ直ぐに指さした。
「お前ぇだよ。」
「私・・・?また何で?」
「お前ぇのメールを見ちまったんだよ。」
「メール? 何の事かしら?」
「ほら、六甲山に行った翌日、昨日のあんたはステキだったとか何とか入れてただろ?」
「ああ、あれね。」
自分のちょっとした悪戯心を思い出し、クスクス笑い出した。
「笑い事じゃねぇぜ。こっちはよ。」
「アハハハ・・だって・・・よりにもよってと言うか・・・ウフフフ・・・ヤキモチ妬かれたんだ?」
「ま、な・・・」
左之助は腐りきった表情をしている。
「かわいいわねぇ。ウフフ・・・でも、剣さんでもヤキモチ妬くんだ・・・」
「何かそれだけじゃ割り切れないような気もするんだが・・・まぁ、直接の原因は差し当たってそれだろう・・・」
「ふーん。何か意味深ね? それで? あんたはどうすんの?」
「まだ休みももう少しあっからよ。こっちに居ようと思うんだけど、何せ俺、此処には知り合いが居ねぇしな。だから泊めてくれ。」
「困ったわね。私は一人暮らしだし・・・兄さんの所にでも行く?」
「んがぁ? わりい冗談だぜ。」
「じゃあ、そこのソファーしかないわよ。それでもいいの?」
「ああ、上等だぜ。すまねぇが寝かせてくんな。」
そう言うと カウンターの奥にある扉の中へとさっさと入ってしまった。6畳ぐらいの部屋に ソファーベッドとテーブルが置かれている。壁際には小さなテレビとコーヒーメーカー等が所狭しと並んでいる。接客の合間の休憩のために利用されている部屋を陣取ると どっかとソファーに横になった。



当て所もなく走っていた。
ガレージから引きだしたバイクにキーを差し込んだ時は 東京に帰ろうかと思った。腹立ち紛れに夜のハイウェイを飛ばしていると このまま暗闇の中へ溶けていきそうに思える。
剣心と出会う前の自分に戻るだけだ・・・・

キャンパスで笑う修や他の友達(ダチ)の顔を思い描いても みんなセピア色に染まって千切れていった。

寂しい・・・
ふとそう思った。
剣心の居ない生活を考えると どうしようもないほどの寂寥感が胸に迫る。
このまま残して帰れやしない・・・

悔しさや怒りはいつか、悲しみに色を変えていた。



3日ほどの間、左之助は特にすることもなく 斎藤のピット作業を眺めたり、店の片付けの手伝いなどをして過ごした。
その間に一度 剣心の家の前まで行ってみたが、明かりの灯らない家は暗く、ひっそりとしていた。
問題解決の糸口を見いだせないまま 時間だけが過ぎて行く。
「俺一度東京に帰ってくる。大学も始まるしよ。」
4日目の午後、恵にそう告げていた。
「また出てくるの?」
「ああ、その積もりだけど・・・」
「東京だと 筑波や茂木(もてぎ)が近いわね。あちらにも走りに行く時には 声を掛けるわ。」
「頼むよ。」
「剣さんのことは?」
「そのうち何とかなるだろ? 焦っても仕方がねぇしよ。」
「そうね。じゃあ、気をつけてね。」
恵の笑顔に送られて 重い心を引きずるようにバイクに跨った。


高槻のインターに入るところで気が変わった。どうせ慌てて帰ったところで
待つ相手が居るわけでも無し・・・・六甲山をもう一度走って帰ろう、頂上からの景色でも見れば 少しは気が晴れるかも知れない・・・そう思うと 西へと進路を取った。
西宮のインターで降り、43号線を神戸へと向かう。
芦屋を越えた辺りで右折をし、六甲山を目指す。左右に広がる瀟洒な住宅街を抜けると 次第に緑が眼前に広がる。
前方の信号は赤。
程なく青へと変わるだろうとの予測のもと、減速もせずに交差点に近づいた。
左之助が交差点に差し掛かる前に 予測通り信号は青へと変わった。
そのままのスピードで差し掛かった交差点で 突然にブレーキの鋭い音が響いた。長く引っ張るクラクションの音が辺りの静けさを破り、金属が擦れる音の後 左之助の身体は宙を飛んでいた。
「やっちまった・・・」
その意識の後には 剣心の顔が浮かんだ。



「緋村さん電話です。警察から・・・」
警察などいったい何の用事が・・・同僚の少し慌てた声に不審を覚えて剣心は受話器を受け取った。
相楽左之助という人物を知っているかと尋ねられた。早鐘のように打つ心臓の鼓動を聞きながら、知っていると答えると 事故を起こして病院にいるので来て欲しいという。容態を聞いても治療中なので分からない、意識はしっかりしているという答えだった。
とっくに東京へと帰ったとばかり思っていたのに 何故?そんな疑問を頭の片隅に抱えながら 場所を聞き取ると慌てて会社を後にした。
神戸までのルートを頭の中に描くと家までとって返し ガレージからドゥカティを曳きだした。キーを回すと同時にエンジン音はそこに残したまま 姿は遙か前方へと消えていた。
流れる車の間をすり抜け、アクセルは可能な限り開いたままにした。唯一点、前方を見据える目とは裏腹に 頭の中には走馬燈のように記憶が駈け巡る。
左之助の笑顔、声、温もり、そして・・・
アスファルトの上を紙屑のように舞う玲奈の身体・・・
鈍い衝撃音・・・
アクセルを握った手は いつしか汗でじっとり濡れていた。


受付で尋ねると 左之助はたった今病室へ移動したところだという事だった。小走りに長い廊下を進む。消毒薬の匂いが嫌な記憶を更に引きだした。
教えられた部屋の扉を開けると
「よぅ、剣心、すまねぇな。」
以外にも左之助の明るい声が返ってきた。点滴の管やら包帯などが痛々しいが思いの外元気そうな姿に 剣心は心の底から安堵の息を漏らした。
大丈夫なのかと尋ねると、
「ほれっ、この通りピンしゃんしてらぁ。大げさなんだよ。」
体を起こそうとして 痛てっ、と声を漏らす。
「いいから寝ていろ。元気そうで安心した。」
「わりいな、忙しいのによ。」
「構わないさ、気にするな。」
剣心の優しそうな声に安心したのか ふぅっと溜息を漏らすと事故の顛末を語り出した。
交差点に差し掛かった時に 右から信号無視で突っ込まれたと説明する。
何とか避けたものの躱しきれずに掠られ 気が付いたらアスファルトに寝ていたとおどけて言った。
「大丈夫だって言ってんのによ、相手のオヤジのヤツがビビっちまって すぐに救急車を呼ぶもんだから 警察は来るわで大げさなことになっちまったんだよ。」
「何処も打たなかったのか?」
「ああ、左の脇腹がちょっと痛むけどな。どうってこたぁねぇよ。」
強がって笑ってみせる顔には 痛みと不安が交錯している。
怪我の様子も左之助が言うほど軽くは見えず 顔や腕なども絆創膏や包帯が巻かれている。
「明日検査して どうもなけりゃ帰っていいらしいんだが・・・」
「結果は何時分かる?」
「明後日だとよ。」
「連れて帰ってやるからゆっくり寝ていろ。」
剣心のその言葉に心底安心したような表情を見せると
「ああ・・・すまねぇな。」
嬉げな声を出し、目を閉じた。
点滴に含まれる痛み止めが効き出したのかその後は 剣心に逢えた嬉しさで語っていた口も徐々に重くなり いつしか寝息を立てていた。
相当に気が張っていたのだろう、最初に見せた空元気も今はなく 静かに寝ている横顔には二十歳の幼さが伺えた。
その寝顔を見ながら剣心はそぅっと左之助の手を取ると 温もりを確かめるように何時までも優しく握っていた。


開け放された窓から吹き込む風が 病院の白いカーテンを揺らし、左之助の頬を撫でた。
ふと意識が戻ると白い天井が見えた。ここは?と思うと同時に 左之助は病院に運ばれたことを思い出した。
そうだ、剣心は・・・?
静かに首を回し剣心に声を掛けようとして そのまま声を飲み込んだ。

剣心が泣いている・・・・

俯いた顔に光るものが幾筋も伝っているのが見える。
目を閉じ、声も立てず、唯、唯 静かに泣いていた。

「心配掛けたんだな、嫌なこと思い出させちまった・・・ごめんよ。」
心の中でそっと呟くと 左之助はまた静かに目を閉じた。



本当に大丈夫だからと言う左之助の声は無視して側を離れようとはせず 剣心はその日病院に泊まり込んだ。
改めて剣心の顔を見るとこの4日ほどの間に頬は削げ、白い肌がより青白くなり 剣心の方がよほど病人のようだった。
「仕事・・ずうっと忙しかったのか?」
「ああ、あまり寝れなかったから・・・」
寝る時間が取れなかったのではなく、自分と同じく眠れなかったのだろうと思うのは あながち左之助の自惚れだけとは言えないような気がする。
何処か痛むかと聞いては身体をさすり、何か食べたいものはあるかと尋ねては買い出しに出かける。
僅かな左之助の我が儘を喜んで聞いているような素振りだった。
翌日は夕刻自宅に戻り、退院の日には車で朝早く迎えに来た。
検査の結果もたいしたことはなく、痛みが取れれば動いても問題はないということだった。
俺よりはバイクの方が重傷だと 帰る車の中で左之助はブツブツ文句を言っていた。
「直んのに十日も掛かるって言うんだぜ。 俺の方がよっぽど丈夫に出来てるぜ。」
鉄の固まりよりも頑丈だと 鼻の頭を擦りながら自慢する。そんな左之助を剣心は 嬉しそうな顔で眺めていた。


ほとんど動くのにも差し障りのない程 左之助の怪我も回復しているようだったが、家に帰り着いてからも剣心は何くれとなく面倒を見る。
風呂に入れず気持ち悪いだろうから体を拭いてやると 剣心が濡れタオルを用意した。所々痣の残る左之助の身体を気遣いながら優しく拭いていく。心地よさに身体を預けていると 剣心の肌の香りが鼻先を擽った。
そっと手を伸ばし抱き寄せる。重ねた唇は左之助の意識を溶かし、夢見心地にさせた。
「左之、傷に障るぞ。」
剣心が優しく囁く。
「お前を抱けるんなら、腕や足の一本ぐらい無くなったって構やしないぜ。」
「それなら、そんな大きな赤ん坊を抱えた俺はやってられない・・・」
「じゃあ、傷に障らねぇようにお前が上になって動いてくれよ。」
「馬鹿さの・・・」
はにかみながら 甘えたようなくぐもった声で言う。瞳を閉じて唇を寄せながら 剣心の細い指先は左之助のジーンズに掛かっていた。


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