〈 1.2.3.5.6.7


週が開けると社内の誰もが 多忙となった。
縁が契約を結んだ諸星精密の岡山工場の起ち上げが 翌週から始まるからだ。
製造責任者達はもちろんのこと、整備、企画、運搬、資材と各部署からメンバーが寄せ集められ、チームを組んで当たることになっている。剣心の部署からも4人のメンバーが抜けることになり、その期間のための顔つなぎや後任者への申し送りで その週丸々を使うこととなった。
もちろん、左之助も今までのように なるべく楽な取引先ばかりというわけにはいかなくなった。初めて回るところには 一度も触れたことのない機種もあり、相当の知識と経験を要する物もある。そのため剣心は 左之助が担当することになる取引先を受け持つ岡田を呼んで 顔つなぎの時に難しい機種の整備は先に済ませておくように指示を出した。
岡田が抜けるまでのこの一週間で 出来る限りまでやっておいてもらえれば 剣心の手も取られずに済む。それでなくても新しい機種に戸惑い、手こずるメンバーが続出するだろう事は想像に難くない。
訓辞が終わり、新しいシフト表を手渡されると それぞれ後任のメンバーを連れて 三々五々社を飛び出していった。

剣心も発注書を手に 1階の資材課へと向かう。エレベーターの扉が開くと4階から乗り込んでいた縁と出会った。
「おいっ。」
そう言って乗り込んできた剣心の肩に手を掛けたきり黙り込む。それで言いたいことのおおよその見当は付いたが、他の社員の手前、黙っているのだろう。が、肩に置かれた手には力が籠もり痛いほどで 縁の怒りが相当であることを物語っている。
ようやく1階へと到着した途端、凄まじい形相でロビーの隅へと引っ張って行かれた。
「おまえー! いったい何やってんだ!」
すれ違う人々に聞かれないように声は潜めているが、語気は荒い。
山中製作所へと納品したことが 縁の耳に届いているようだ。
「何って・・・・さすがに早いな、お前の情報網は。どこから聞いたんだ?」
「そんなことを心配している場合か! お前、この始末をいったいどうつけるつもりなんだ!」
「心配しなくても 責任は取るつもりだ。せっかく教えてくれたのに お前には済まないと思ってるよ。」
「ったく!! 俺が何のためにしたくもないデートをしてきたと思ってるんだ! 不二電気のことを小耳に挟んだ時に お前の部署に関係すると思ったから わざわざ俺が聞き出してきてやったんだろうが!」
「えっ!? じゃぁ、わざわざ俺のために・・・?」
まくし立てる縁の怒りをよそに 縁が自分のために動いてくれたことの方に気を取られた。よもや縁からそんな親切を受けるとは思ってもみなかったからだ。
人の幸も不幸もまったく気にすることもなく、自分が不利となるなら平気で他人を切り離す冷徹さを持っている縁が 従兄弟とはいえ自分のために骨を折ってくれるとは。確かに時折自分の得た情報を教えてくれたりはするが、それは社内での噂話だったり、世間一般の話だったりで 直接剣心とは関わりのないことがほとんどだった。だから、今回も何かのついでに得た情報だと思っていたのだ。
「人の苦労を無駄にしやがって。ホントに、お前ってヤツは。もういい! 勝手にしろ!」
「すまない、縁。」
剣心は縁の骨折りに 心から詫びた。が、縁の怒りはそれで収まるようなものではない。
「いいか! 自分の始末は自分できっちりつけろよな。俺の足を引っ張るなよ。」
最後の一言は 恩を売った事への縁のフォローだろう。そんなプライドの高さも縁らしい。口早に言いたいことだけ言うと さっと踵を返し、怒りも露わに肩をそびやかして遠ざかる。その後ろ姿を見送っていると 縁に悪いことをしたという思いと やはり自分のやったことは褒められたことではないのだという思いが寄せてくる。

今回のことで もう、自慢の剣心ちゃんでなくなるんだろうな・・・・

そんなことをふっと思って、あまりに場違いな考えに自嘲した。



陽が落ち、どの会社のシャッターも閉まる頃、ようやく剣心は社に戻った。
部署に残っているのは数人のメンバーだけだ。いつものように積み上げた部品を 片っ端から手に取っている片山と 翌週からの出張のために資料を揃えている4人のメンバー、そして、今日、不慣れな機種に早速頭を痛めることとなった田中が 図面と格闘している。
剣心が席に着くが早いか 岡田が寄ってきた。
「マネージャー、アイツすごいですね。」
岡田は顔を輝かせて 興奮気味に剣心へと今日の報告を始めだした。
「アイツって?」
「相楽ですよ。今日、一緒に回るように朝言ったじゃないですか。」
「相楽が何かやったのか? まさか得意先を怒らせたんじゃないだろうな?」
「いやだなぁ。マネージャー。違いますよ。」
相楽と言えば剣心が危惧することを知っている岡田は 髪をかき上げながら陽気な笑い声を上げる。
「もっとも、マネージャーが心配する気持ちは分かりますけど。でもそんな心配も 今日限りですよ。」
「どういう事だ?」
「ほらっ、先に手の焼くヤツはこなしておけって言ってたじゃないですか。それで、板垣マシナリーに今日寄ったんですよ。あそこに置いてあるFT005型って調整がなかなか難しいし、俺もいつも泣かされるんですよ。それにあそこの経営者って神経が細かくって 小さな事にもうるさいじゃないですか。」
「ああ、そうだな。新人の相楽を回してもいいものかどうかと悩んだんだけど 他へのシフトを考えるとどうしようもなくってな。」
「で、取りあえず、俺も2ヶ月間留守をするもんですから 今日は本腰を入れて 気になるところをすべてこなそうと思ったわけですよ。丁度相楽に見せておくのもいいだろうと思って手伝わせてたんですが、やっぱりかなり手こずりまして なかなか思うように調整がいかないんです。そこへ板垣さんが来ていつものように あそこがああだ、ここがどうだと言い始めたんです。ただでさえ手こずってるのに もううんざりですよ。板垣さんの言う通りにしてたら 丸1日あっても終わるかどうか分かりませんからね。苦労して調整が終わったと思ったら もう1mmストロークを長くしろとかどうとか言い出すんですから。でも、出来る限りは希望に添うようにと思って 俺も頑張ってたんです。そうしたら相楽が『俺にやらせてくれ。』って言い出して。無理だろうとは思ったんですが、此処へ顔を出すなら また触ることもあるだろうと思って、教えながら作業を進めればいいと思ったわけですよ。」
「ほぅ。それで?」
左之助にすれば珍しい。自分と組んでいる時は 「やってみろ。」と言わない限りは ただ見ているだけで 手を出す事は一切しない。いつも自分が一方的に こうだ、ああだと説明するだけだ。
「で、まずは簡単なところからと思ったんですが、いきなりモーターの設定に取りかかり始めたんです。いくらなんでもそりゃ無茶だろうと思っていたら、なんと!!」
「まさか・・・?」
「そうなんですよ。あれって、リンク機構の採用でフィードバック制御が困難になってるでしょ? それを俺の目の前で 見事にやってのけたんですよ。もう驚いたのなんのって。俺でさえなかなか上手くいかないってのに。板垣さんも文句なしですよ。いっぺんに相楽のことを気に入っちゃいまして。『岡田君の留守の間も 心配要らないな。』なんて言われる始末で、俺の立場もないですよ。
マネージャー、いつのまにあそこまで相楽に教えたんですか? 俺、ちょっと悔しくって・・・とにかく、今日ほど驚いたことはありませんでしたね。」
岡田は左之助を賞賛すると共に それを教えたであろう剣心にまで 賛美の視線を送る。だが、剣心にすれば もとよりそんなものを教えた覚えはまったくない。岡田以上に狐につままれたような表情をつくって 目をみはるばかりだ。
「本当に、マネージャー、ずるいですよ。相楽にばかり。今度、出張から帰ってきたら 相楽に教えたように俺にもそのコツを教えて下さいね。」
驚きのあまり言葉を失っている剣心をどう誤解したものか 岡田は剣心が左之助に必要以上に手をかけていると決め、その教授まで迫る。
「あ、いや・・ああ。俺で良ければいつでも・・・」
「本当ですか? 絶対にですよ。」
曖昧に返事をする剣心へと念押しをして 岡田は口の中でまだ左之助を賞賛しながら 席へと戻っていった。
だが、まだ信じられないのは当の剣心だ。
教えた覚えのない機種を なぜ左之助がいとも簡単に調整してしまったのだろうか。自分で図面を見、解説書を読んだとしても 長年の知識と経験がなければ自ずと限界は知れている。
そして、何より驚いたのは あの左之助がそれを成し得たことだ。一応真面目に働いてはいるが、ほとんど定時に帰り、考えることは女のことばかりで 残業なんてとんでもない。用事を言おうと思った時には いつも姿をくらましている。今図面を睨んでいる田中のように 何かを覚えようなどという可愛らしい姿は 一度だって見たことがない。
その左之助が何故・・・・・ 
その答えを探して 仕事も忘れ、腕を組んでしばらく考え込んでしまった。



翌朝、剣心の姿は倉庫の2階にあった。
いく列にも並んだ棚には 表書きに品番が記された大小様々な箱が並べられていたり、一塊りの金属片や大きな歯車などが 並べられていたりする。その棚の間の通路を一つ一つ覗きながら 目的の人物の姿を探す。6列ほど超えたところでその探し人は 腰をかがめて棚の中を覗き込んでいる姿が見えた。見知ったその背中へと近づきながら声を掛けた。
「藤崎さん。」
「おや、緋村。お前さんが来るとは珍しい。」
声の主が剣心だと分かると 藤崎は動かしていた手を止めた。その手にはノギスが握られている。何か部品のサイズを測っていたようだ。
作業を止めてしまったことを申し訳なく思いながら 剣心は再び藤崎に話しかけた。
「おはようございます。ちょっとお時間を取らせてもらってもいいですか?」
「どうした? またなんか手を焼いているのか?」
修理か何かの相談だろうと思った藤崎は いつもの愛想の良い笑顔を浮かべて 剣心へと向き直った。
「いえ、今日は機械のことじゃないんです。実はうちの相楽のことをちょっとお聞きしたいと思いまして・・・」
相楽と聞いて藤崎の目がしばたいた。だが すぐにすまして
「相楽?・・・さて、誰だったかな?」
と とぼけた。その表情から 剣心は自分の勘が正しかったことを知った。
昨日、あれから左之助と藤崎を結びつけて考えるまで 相当の時間を要した。左之助が剣心の部署に配属された時には 藤崎はもうこの倉庫番になっていたから 直接の面識はないはずである。同じ社の人間だから 顔ぐらいは合わせているだろうが、特に親しいと左之助から聞いたこともない。
左之助がFT005を調整したというのは 決して勘やまぐれではないはずだ。一見ちゃらんぽらんに見える左之助が いつのまにそこまでの実力を身につけたのか、或いは元々実力がありながら隠していたのだろうかなどと疑問が湧き、様々な可能性を考えてみた。だが、左之助が入社した時には 簡単な機械工具の取り扱いを知っている程度で 確かに素人同然だった事を思い出せば、これまでの期間に相当修練を積んだとしか考えられない。では、何故、何のために、そして誰がいったい・・・
この短期間に 要領よく教え得るのは やはりそれ相当の知識と技量を持った人間でなければならない。考えあぐねて思い至ったのは やはり藤崎以外にはなかった。

しらを切ろうとする藤崎の表情を注意深く見ながら 剣心は説明を始めた。
「相楽というのは うちの部署では一番の新人なんです。まだほとんどの機種にはおぼつかなくて 簡単な修理と手伝いが関の山かと・・・」
「ほぉー。まぁ、新人ならそんなもんだろう。気長な目で見てやることだな。」
藤崎はあくまで知らん顔を続けるつもりのようだ。
「いえ、それが、昨日新しく回った得意先でFT005型の調整を見事にやってのけたそうです。」
「へぇー。あれをねぇ。そりゃたいしたもんだ。一緒に組んだヤツが相当手を掛けて教えたものと見える。」
いつまでもとぼけ続けようとする藤崎に 何故自分に隠そうとするのかと剣心は焦れた。
普段なら藤崎は そんな姑息なことはしないはずである。
「とぼけないで下さい。藤崎さん。俺はそんな物を教えた覚えは有りません。この短期間にそこまで教え込める人は あなた以外には居ないと思うんですが。」
「なんだ、バレちまってるのか。」
詰め寄る剣心に観念したのか 藤崎は悪びれもせずに あっさりと認めた。
「昨日、その報告を聞いた時には にわかには信じられませんでした。あの相楽が、と。でもあなたなら有りうる話だと・・・何故なんですか?」
質問を重ねる剣心に 藤崎は少しすまなさそうな顔をして言った。
「俺は決してお前さんを出し抜こうとか思っていたわけじゃないよ。緋村。」
「それは充分、解っています。責めているんじゃないんです。でも、俺の目から見た相楽は そんなに仕事に身が入ってるとは思えなくて。あなたにわざわざ教えを請うほど 一途に一生懸命だとはどうしても・・・」
「いや、アイツは一生懸命だよ。緋村。」
庇うのでもなく、見たまま、感じたままを口にした素直な藤崎の言葉に 剣心は目を瞠った。
「どういうことでしょう?」
「相楽からお前さんには言うなと口止めされてたんだけどねぇ。まぁ、俺とお前さんの仲だ。別に今更 隠し事をしても始まるまい?」
「言うなと言うのでしたら ここで聞いたことは一切他言はしません。」
「そうかい。じゃ、相楽には知らん顔をしてやってくれ。」
「ええ。」
剣心が頷くのを確認すると 藤崎は懐かしむような表情で 記憶の糸を手繰り始めた。
「もう7.8ヶ月も前になるんじゃねぇかな。3ヶ月の新人研修を終えて、そしてお前さんの部署へと回ってきた。それから更に3ヶ月が過ぎた頃だ。ある日突然にここへのりこんできて『藤崎って親父はいるか?』って 大声で叫び回るんだ。見たこともない顔だったから なんかタチの悪いのが来たなと思って 『俺が藤崎だが何の用だ?』って ちょっとドスを効かせて聞いてやったのよ。喧嘩なら買ってやるぜと思ってな。そうしたら 『俺に機械のことを教えてくれ。』って 言うじゃねぇか。ありゃ、人にものを頼む態度じゃなかったが、威勢のいいのが面白そうだと思ってちょいと興味を覚えてな。どこの部署だ?って聞いたら お前さんの所に配属になったばかりだって答えた。だから、『お前の所には緋村が居るだろう? 俺の知ってることは全部アイツに教えてあるから アイツに聞け。』って言ったんだよ。そうしたら『それが出来るぐらいなら わざわざあんたを訪ねてこねぇ。』ってぬかしやがった。」
「えっ? 何で? 俺じゃ頼りにならないと・・・」
狼狽の色を浮かべ、慌てる剣心に 藤崎は苦笑を滲ませた。
「そう先を急ぎなさんな。話は最後まで聞くもんだ。」
藤崎の目は穏やかに笑っている。その目を見て、早合点した自分を 剣心は恥じた。
「すみません。」
「謝る事じゃねぇよ。けっこういい話なんだから。で、何で出来ないんだ?って聞くと お前さんが忙しすぎるからだ。と言ってね。『俺は数字が苦手なんだよ。だから、計算もしょっちゅう間違えるし、報告書や見積書なんかもよくミスをやらかすし。上手くやろうと思って家でパソコンを触ってみたりしたけど どうもかったるくてやる気が起きねぇ。でも、そんな俺のためにマネージャーは 黙っていつも残業をしてるんだ。俺だけのためじゃねぇ。残業時間って上から何時間って言われてて それを越すとサービス残業になるじゃねぇか。他の部署ではそんなの当たり前で どのマネージャーも社員のサービス残業なんか気にも止めてねぇ。でも、アイツは違うんだ。出来る限り自分で何とかやろうとして 余程のことがない限り、どの社員にも残れって言わないんだ。何でもかんでも一人で背負い込んで。だから、俺、何とか力になりたくて。でも、俺に事務処理なんか到底無理だしよ。だったら、整備の方だけでも早く一人前になって アイツを助けてやりてぇ、そう思ってさ。でも、だからってアイツにこれ以上 時間を取らせたくねぇし。だから、頼む。俺に教えてくれ。』って、こう言ったんだよ。」
「相楽が・・・そんなことを・・・」
まさか自分のために藤崎に頼みに行ったとは・・・
左之助のそんな気持ちを 今の今まで知らなかったし、知る由もなかった。
剣心にとっての左之助は いつも頭の痛いヤツ、悩みのタネで 上司だとすら思ってもらえてはいないと 気鬱の一原因でしかなかったのだ。
その左之助が、と思うと かつがれているのではないだろうかとさえ疑いたくなる。
だが、藤崎がそんなタチの悪い冗談を言う人間ではないことは 誰より剣心自身がよく知っている。
茫洋とした心のまま 藤崎の口元を眺めていた。
「だから、『それなら、お前の部署には片山や他の先輩達が居るだろう? 何でそいつらに教えてもらわねぇんだ? 部署の違う俺の出る幕じゃねぇ。』って言ってやったら、『そいつらじゃダメだ。』って頑として聞かねぇ。その理由を聞いてみたら ここへ来て日も浅いくせに 見る目だけは持ってやがるようなんだ。片山はそれなりに知識も経験もあるが、一切、人の目を見て話をしねぇだろ? そう言うヤツとはソリが合わないんだとさ。他のヤツらは手順が悪いとぬかしやがった。教えてもらう以上は お前さんを越えれるようにならねぇと価値がねぇ、なんて言いやがってな。俺のことはどうやらお前さんから聞いたらしいな。前の上司が詳しい人で 自分もその人から教わったとか。それで俺を当て込んで来たようだった。『どうせこんな所でゆっくりしてるんだったら 時間はあるんだろう?』って ぬけぬけとぬかしやがってな。あの面の厚さには 恐れ入ったぜ。」
口では左之助のことをけなしながらも 話すその目はやけに楽しそうだ。藤崎は左之助のことをいっぺんに気に入ったのだろう。
「まぁ、意気込みだけは立派だが、どうせ3日と持ちゃしねぇだろうと思っていたんだ。ところが、次の日から退社時間になると さっとここへ顔を見せ始めたんだ。アイツの粘り勝ちだよ。俺も歳だからそう長い時間は付き合ってやれねぇ。8時か9時ぐれぇで勘弁してくれって言ったんだ。そうしたら、時間がもったいねぇと言って 終わるとすぐにここへ飛んで来やがった。それからは毎日だ。
工場が終わるまでは ここで部品の講習会をしてやって、そして工場が空くとそっちへ行って 実際に触らせてた。結構、中古物販も役に立ってくれたぜ。時々、坂田が何で部品が散らばってるんだ? って訝しがってたけどな。まぁ、それもご愛敬だろう。」
「俺、全然知らなくて・・・ご迷惑をおかけしてしまって・・・・」
「いいんだよ。相楽が言う通り、俺も昔と違ってここで暇にしてるし、たまには機械いじりもしとかねぇと勘が鈍っちまうからよ。アイツも言ってることは今の若いもんの代表みたいに浮き足だったような所もあるが、その割りにはなかなか根性もあるみてぇだし、それに若いもんと一緒に汗を流すってぇのは気持ちのいいもんだ。」
そう言って笑う藤崎は 左之助との時間を心から楽しんでいるようだった。
「そう言って頂けると 俺も気持ちが楽になります。」
その笑顔につられて剣心も微笑を返し、頭を下げた。
「そうそう、相楽がこんな事も言ってたな。 『お前は何でそんなに緋村に肩入れするんだ?』って 一度聞いてやったのよ。そうしたら、お前さんの目がいいんだとさ。」
「目、ですか・・・?」
「ああ、見たこともねぇ機械を あっという間にバラバラにしたかと思うと丁寧に整備して プラモのようにさっさと組み立てる。それで、ガタピシ言ってた機械が滑らかに動き出すと お前さんがニコッと笑うんだそうだ。その時の目が何とも嬉しそうで 自分もそんな満足げな顔がしてみたいんだそうだ。」
「はぁ、そうなんですか・・・どうも自分のことは分からないもんですね。」
少し照れて言う剣心を 藤崎もまた嬉しそうな顔で見つめている。
剣心が入社してからというもの その勘の良さを高く買い、自分が手塩に掛けた後輩が立派にやっていっていることに満足しているようだ。
だが、温かみに満ちたその目が 急に気遣わしげな色に変わり、緩んでいた頬を引き締めたかと思うと神妙な顔つきで 剣心へと語りだした。
「なぁ、緋村。お前さんのしてることを ちゃんと見ててくれるヤツもいるんだぜ。それで力になってやりてぇってヤツも。だから、自分一人で何もかもやろうなんて 思うんじゃねぇぞ。」
慈愛に満ちた 温かい言葉だった。
藤崎はいつもそうだ。その思いやりには涙が出そうになる。
「ありがとうございます・・・・でも、俺、本当に力がなくって、藤崎さんのようになかなか上手くやれなくて・・・」
「何もかも最初から上手くやれるヤツなんかいやしねぇよ。俺は年食ってただけだから それなりにみんなが労ってくれたんだろうがな。だが、緋村には緋村の良さがあるんだから 同じようにやろうなんて思わねぇで、お前の思う通りにやりゃぁいいんだよ。歳とか、先輩とか そんなもん、いちいち気にするな。人なんて後から勝手にくっついて来るもんだ。相楽がいい見本じゃねぇか。」
「えっ、ええ・・・」
「あんまり気張るんじゃねぇぞ。」
藤崎はそう言って 励ますように剣心の両肩に 軽く手を添えた。

この人には敵わない。
剣心はいつもそう思う。
一度たりとも藤崎に愚痴を言ったりしたことはないが、いつも自分の気持ちを先読みし、気遣ってくれる。剣心が何を気にし、何に苦悩しているのか すべてお見通しのようだ。それも藤崎が長年に渡り、責任者として数々の苦労を経験しているからかもしれない。その荷の重さを嫌と言うほど知っているから 年若い剣心の苦労を思い量ってくれるのだろう。
その優しさ、温かさにはいつも頭が下がる。
そして、自分が藤崎ほどの歳になった時には 後輩たちに同じように温かい目を向けられるようになるのだろうかと思う。
「本当に・・いつもありがとうございます。気に掛けて頂いて 嬉しいと思ってます。でも、俺、大丈夫ですから・・・おっしゃったことを肝に銘じて もう少し俺なりに頑張ってみます。ですから、今しばらくの間、相楽のことをお願いします。」
「ああ、そっちの方は心配するな。当分の間、ちょっと忙しくて来られないなんて言ってたが、 また来たらビシビシしごいといてやるからな。」
「よろしくお願いします。」
剣心は藤崎の労りに 深々と頭を下げた。


言えないな。と思った。
藤崎の前を辞してから取引先へと向かう道すがら、藤崎の言葉を思い出していた。
こんな自分へと期待をかけてくれている藤崎に 辞めようかと思うとは とてもじゃないが言い出せないと思う。
山中製作所の一件を知れば 藤崎は何と言うのだろう。
「馬鹿やろう!」と言って怒るのだろうか。それとも何も言わず 悲しそうな顔をするのだろうか。
いずれにしても自分の立場では 正しい判断をしたとは言えない。
剣心はまた一つ、重荷が増えたような気がして、溜息を吐いた。
それから左之助のことを考えた。
「お前さんの目がいいんだとさ。」
藤崎の言葉を思い出して くすっと笑った。

アイツ、そんな目で俺の作業を見ていたんだ・・・

二人で作業を進めている時の 左之助の笑顔を思い出していた。
「おい、手伝えよ。」
剣心がそう声を掛けるまで 大概は側で何か話しかけながら ニコニコと笑っているだけだ。
「眺めてばかりいないで 仕事しろよな。」
「えっ? ちゃんと仕事してるぜ、俺。」
「さっきから側で話してるだけじゃないか。全部俺にやらせてさ。」
「俺はお前のやってること 見てるのが仕事だろ? 早く手順、覚えなきゃ、だろ?」
「屁理屈言ってないで、手を動かして覚えろよ。」
「だって、お前楽しそうじゃん。手を出しちゃ悪いかなぁと思ってさ。これでも遠慮してるんだぜ?」
「誰が! ほらっ、さっさとここの油を拭く! そしてパッキンを換えとけよ。」

いつもそんな風だった。
手も出さず、見ているばかりの左之助に もうちょっと自分から仕事を覚えるようにしろよな。と、いつも思っていた。
退社時間になるとさっさと姿を消す左之助を 典型的な5時から男だと思っていた。
いったい自分の見ていたものは 何だったのだろう。
好む好まざるにかかわらず、ある日突然、役職になどつけられて、それまで同僚達と同じ目線で居たはずなのに 自分一人だけ遠く離れた場所に移されたような気がした。上への気遣い、下への配慮、客からのクレーム処理、部署の采配、数えればきりがないほど やることは次から次へと山積し、何とか円滑に進めることだけに忙殺されてきた。目前の仕事をかたづけることにばかり囚われて その向こうにいる「人」を忘れていたのかもしれない。
藤崎が気に掛けていたのはこういう事ではなかったかと思うと 自分の愚かさを見たような気がする。

こんな俺の力になってやりたいなんて・・・
俺は何も見えていなかったのに アイツは俺のことを考えていてくれたなんて・・・

あの相楽が。と思うと感動さえ湧き起こる。
だけど何故なんだろう。
前に好きだとは言われたことはあるが、猫のついでのような話だったし、何と言っても男の自分に とても真面目に告白しているようには見えなかった。軽い左之助のノリで 単にからかわれただけなんだろう、馬鹿にしているとあの時はずいぶんと頭に来た。
それにキスまでされて・・・・・
と、そこまで思い出したとき、突然頭に血が上った。

そうだよ。
すっかり忘れていたけど、何でアイツ、キスなんかしたんだ?
普通、男が男にキスなんかするかよ?
そりゃ、尊敬する人や好きなヤツの力になってやりたいって気持ちは分かるけど、キスしようなんて気には更々なれないぞ。

あの時の驚きと呆けた自分が蘇り、知らずと口がへの字に曲がってしまう。
あれから左之助からは何も言ってこなかったし、二人の付き合いもいつも通りで 話すことと言えば、仕事に関連したことばかりだったから 日にちの経つがままにすっかり記憶の中から消えていた。だが、思い出せば、その度ごとに赤面させる左之助に腹が立つ。
それでも、今しがた藤崎から聞いた話がその怒りを和らげ、左之助の気持ちを考えてみようかという気にさえなる。
剣心にとってはどうにも理解しがたい左之助の行動に じゃぁ、相手が女だったらどうだろうと考えてみる。
今は好きだと思う人もつきあっている彼女も居ないので なるべくキスしたくなるような秘書課の美形を思い浮かべてみる。が、左之助のように残業のついでにキスしていくような軽薄さは 生憎持ち合わせてはいなかった。

やっぱり、判らないよな・・・

十も年下の新人類の考えていることは 自分にはどうも理解し得ない気がする。

相楽ってやっぱり変なヤツ。

そう思うことで片づけてしまうことにしたが、いつのまにか相楽という名前が剣心の心の中にどっしりと居座り、棲みついてしまったことにはまだ気づいていなかった。


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