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深く考える間もなく取引先へと到着したことは 剣心にとっては有り難かった。
あれ以上煩わしい会話が続けば 馬鹿にしていると本気になって左之助を殴っていたかもしれない。そして自己嫌悪に更に落ち込んだことだろう。
車を一歩降りれば営業用の笑顔へと変わる。眉間の辺りに漂っていた険悪な影は 跡形もなく消え去っていた。
「おはようございます。新津機工です。」
典型的な町工場の中に 所狭しとひしめくように置かれた機械の間をすり抜けながら、奥で作業をしている経営者へと爽やかな声を掛ける。
今日の1件目は里中精密工業だ。左之助の担当にしてからは ここへ顔を出すのは初めてだった。
「やぁ、緋村さん。ずいぶん久しぶりじゃないか。」
「社長もお元気そうで何よりです。ずいぶん血色がいいようですね? と言うことは商売繁盛で結構なことですね。」
「なんの、なんの。この不景気で青色吐息で明日の支払いも頭が痛い始末だよ。」
小太りの機械焼けした丸顔をほころばせながら 語尾はアハハと大きな口を開けて笑っている。その様子から上手く不況を乗り切っているのは 想像に容易い。
「また、またぁ。状態を見れば判りますよ。ここはいつも賑やかに機械が動いていますからね。今日はご注文頂いたチャックのお届けと油圧プレスの点検に来ました。」
「ああ、いつもすまないね。新津さんはきちんと整備をしてくれるので故障知らずで助かるよ。」
「よっ、親父さん。あれからタップの調子はいいかい?」
剣心の後ろに立っていた左之助が 頭越しに気軽に経営者に話しかけた。
「よぅ、相楽君。調子よく動いてるよ。何と言っても急ぎの仕事が入ってたからねぇ。お陰で納期にも間に合ったし、本当に助かったよ。」
と、こちらもいかにも気さくに受け答えをしている。里中精密の社長はあまり細かいことにはこだわらない温厚な人柄だが、友人にでも話すような左之助の話し方が剣心には気に障る。
「こらっ、相楽。もっと口の利き方には気をつけろ。」
振り向いて左之助だけに聞こえるように小声で注意をしたが 機械の喧噪の中でも里中の耳に届いたようだった。
「アハハハ。緋村さん、かまわないよ。相楽君は気楽に話してくれるんで こっちも物事を頼みやすいしね。この間も急にタップが壊れちまって困ってたら 丁度顔を見せた相楽君が気軽に直してくれてね。大助かりだったよ。」
相好を崩しながら説明をする里中は 一向に気分を害していないようだ。左之助の人柄を好意的に受け止めてくれている。しかし、社員教育の責任は 上司である自分にある。得意先の人柄に甘えるようでは 情けないと思う。
「すいません。もし失礼があったらいつでも叱ってやって下さい。」
恥を忍んで剣心は軽く頭を下げた。
「ああ、そんなことをいちいち気にしてちゃ、今時の若いもんを使えないからね。それよりもいい仕事をしてもらう方が先だよ。」
と、里中の受け答えは鷹揚だ。その言葉に救われた気分で 剣心は左之助の所為で掻いた今日最初の冷や汗を拭った。


大きな油圧プレスのカバーを二人がかりで外し、中のオイルの量や油漏れなどを点検する。作業を進めながら剣心が先ほど聞いたタップの修理について左之助に問いかけた。
「タップが壊れたって、どこがイカれてたんだ?」
「ああ、頭がガクッと落ちて空滑りしてたんだ。見たらギアーを留めてるネジ穴がバカになっててさ。だからもう一度ネジ穴を切り直して ちょっとでかいネジで留めてやったら快調に動き出したんだ。どうも若いヤツが面倒くさがって ギアーを変えずに大きな負荷を掛けたらしいぜ。」
「そのタップってアレか?」
油圧プレスに並んで置いてある何台かの機械の一番端を 目で指しながら剣心が問う。
「ああ、アレ。」
気楽に答える左之助の返事に 剣心の眉は少しばかり曇った。
「アレならドリルをつっこんでも問題ないけど あの機種のもう一つ新しいのになると後ろに配線が通ってるから 穴開けなんかし直したら大変なことになるぞ?」
「ウン? 知ってるぜ。でもあの型なら壁の鉄板が厚いから 少々大きな穴をぶち開けても大丈夫だろ?」
さらりと言ってのけた確かな知識に裏打ちされた左之助の返答を聞いて 剣心は目を瞠った。
整備のイロハは教えたし、簡単な修理ならば左之助一人でも出来るようにはなっているが、それぞれの機械の構造上の特性までは教えた覚えはない。いつもチャラチャラして仕事もいい加減だと思っていたが それなりの努力はしていたらしい。これは左之助という人物を見直さなければならないなと思うと同時に どうやら人並みに仕事をこなしてくれそうだという微かな期待が 剣心の胸を明るくする。
「どうした? 一人でニヤニヤ笑って。」
うっすらと微笑を頬にのせた剣心を見て 左之助が訝しがった。
「いや、何でも・・・お前もやる時にはやるんだなと思って・・・」
「何だよ、そりゃ。それじゃ俺がいつもやる気がないみてぇじゃないか?」
「みたいじゃなくて、そのものじゃなかったか?」 
「ちぇーっ。見くびられてんなぁ。俺って。ちゃーんとやることはやってんぜ?」
「フフ・・・どうやらそのようだな。」
「どうやらじゃなくってそうなの。」
「はいはい。まっ、今後のお前に期待してるよ。」
「ああ、任せな! 大船に乗ったつもりで居てくれよ。」
果たして言うことは大きいが、実際はどうなんだろうと剣心はまだ半信半疑だ。だがそれも少し信じてもいいような気になった。

大した修理箇所もなく作業は30分程で終わった。
整備点検の書類にサインをもらい、新しい機種の説明とパンフレットを置いて次の得意先へと向かう。
部品を届けるだけの所もあったし、少し手こずる修理もあった。最後には必ず新しいカタログを出して 新機種を売り込むことも忘れない。そうして次から次へと作業をこなし、八件程回ったところで日が暮れた。
左之助の態度はどこでも横柄であったが、そしてその度に剣心はひやりとしたが、総体的に左之助のウケはいいようだ。ひとえに経営者の人柄の良さに救われているのだろうと胸を撫で下ろすと共に いつものように言葉遣いの注意だけは上司らしくした。が、これも効き目はなさそうで、期待薄ののらりくらりとした返事が返ってきただけだった。

社に戻ってから他のメンバーと明日の打ち合わせをし、その後、左之助に今日の伝票整理を言いつけようと思ったら、もう姿はどこにも見あたらず、さっさと退社してしまったようだった。

まったく・・・・せっかく見直す気分になっていたのに、やっぱり相楽は相楽じゃないか!

剣心は憤懣やるかたない。
また左之助のための大きな溜息を吐いて 束になった伝票を一人で繰り始めた。




その日は朝から会議や部長との打ち合わせが有り、剣心は社内で仕事をこなしていた。
午後になって自分のデスクでPCに数字を打ち込み、企画書を作成していたら 外回りから戻ってきた左之助が勢いよく飛び込んできた。真っ直ぐに剣心のデスクへと向かう。
「けっ・・」
剣心と名前で呼びかけて その気配を察した剣心にジロリと睨まれ「マネージャー」と慌てて言い直す。
「どうした? そんなに慌てて。」
「やっりー! 俺、初めて大物が売れそうなんです。」
「ほぉー。いったい何を勧めてきたんだ?」
「中古だけどレーザーっす。RE0755型。ほらっ、工場に転がってたヤツです。」
「へぇー。ちょっと大物だな。」
「でしょ?」
「で、いったいどこが買うって?」
「山中製作所です。」
「ふーん。あそこにそんな物が要るのか?」
「それがなんでも新しい取引先からの注文で使うらしいんで。でもこの不景気だからもう少し値引きしてくれって言ってますけど。で、俺ならせいぜい820万が限度かと思って。後色々加えればかなりな金額に成っちまうから マネージャーに頼めばもうちょっと何とかなるんじゃねぇかと思って。それで慌てて引き返して来たんです。」
「向こうは幾らでって言ってる?」
「750ぐらいにならねぇかって。」
「あれなら何とかなるんじゃないかな。ちょっと待ってろよ。」
モニターに原価表を呼び出して 剣心の指は器用に数字の上を飛び回る。仕切り書を睨みながら煩雑な計算をこなし、合計金額をはじき出した。
「設置料と運搬費、整備費すべて込みで780でどうだ?」
「ヒュー。さっすがぁマネージャー。親父さん、きっと喜ぶぜ。」
「じゃ、これで見積書を作成して交渉してこい。それから工場へ行って工場長の坂田さんに納期の確認も忘れるな。」
「OK。先に行ってきます。」
気持ちが逸るのか 返事をした時にはもう踵を返し左之助は扉口へと向かっている。
「あっ、相楽! 0が多いからな。絶対に桁を間違うなよ。」
思わず言ったひと言が 事務処理をしていた女子社員の笑いを誘ったが、それすらも気にならないらしい。背中越しに指で輪を作ってOKサインを出し、そのまま廊下へと飛び出して行った。

まったく、台風のようなヤツだな・・・
でも、嬉しいんだろな。これで少しは自信をつけて 営業の方も頑張ってくれるといいんだが・・・

風のように飛んで行くその背中を 頬に微笑をのせて剣心は見送っていた。 




交渉はすんなりと纏まり、無事契約書にサインももらった。
もとより相手が山中製作所では 難航することなどあり得ない。それと言うのもリビルドサービスが受け持つ取引先の中で 一番付き合いが長く、一番懇意にしているからだ。

剣心は山中に会うと いつも観音様に似ているなと思う。男の山中に観音様というのも変な話だが、ほっそりとした体躯に眼鏡の奥でにこやかに微笑む目が 幼い頃、養父と過ごした家の近くの寺の観音像を思い出させるのだ。近所の子供達とかくれんぼをしていて 本堂の中に忍び込み、隠れる場所を探しているうちに いつもなら閉じられている本尊を納めた扉が開いているのに気が付いた。子供の好奇心で何が入っているのか知りたくて覗き込むと 黄金色に輝く観音像が 穏やかな表情ですっくりと立っている。母親の居ない剣心には その表情があまりにも優しげに見えて 母を慕う気持ちからか 時を忘れて何時までも見入っていたことがある。そして、それは誰も知らない秘密を知ったようで 何時までも剣心の胸の中に仕舞われていた。
今日も山中はその笑顔を見せて 契約に来た二人を迎えてくれた。
これと言って愛想を言うわけではないが、山中自身が持つ雰囲気が温かく、見尻に刻まれた皺でさえ その人柄を顕すように柔和に和んでいる。
だから、あまり人付き合いのしない剣心ですら 釣りが趣味だという山中と連れだって 海へ出かけたことがあるぐらいだ。
だが、山中も平々凡々と人生を過ごしてきたわけではない。何もないところから奥さんと二人で昼夜を問わず働いて、やっと今の工場を築き上げたのだ。そして息子二人も成人し、後は息子に譲ってこれから楽が出来ると思った矢先に 昨年、下の息子を交通事故であっけなく亡くした。その気落ちの所為か、今度は奥さんまで倒れ、今も入院中と言うことだ。
不幸続きの山中の境遇に 剣心も言葉をなくし、心から同情した。
だがそんな境遇の中でも山中の温かみは変わらなかった。
山中の裏表のない親身な話しぶりが 剣心は好きだった。
そんな人柄だから頭の痛い左之助の担当には 一番にここを選んだ。ここならば多少のことには目を瞑ってくれ、左之助の人柄にも理解を示してくれるだろうと思ったからだ。
今では左之助自身もその人柄を慕い、頻繁に顔を見せているようだ。
そういった付き合いの山中製作所との契約だから、形式的に書類を取り交わし、必要事項を確認したに過ぎない。後は近況を語り、雑談に花が咲いて笑顔で工場から引き上げた。

「親父さん、嬉しそうだったな。」
帰りの車の中で助手席から話しかけてきた左之助は 山中以上に嬉しそうだ。
「ああ、今までそんな余裕もなかったろうけど やっと釣りにも出かける気になったようだな。元気になられたようで良かった。」
入院中の奥さんの様子もかなり落ち着いてきたから また釣りに行こうと山中が誘ってくれたのを そんな心のゆとりも出来たのだと剣心は喜んでいた。
「んとに、何であんなにいい親父さんの所にばかり不幸が押し寄せるのかねぇ。」
「そうだな。下の息子さんに続き、奥さんまでも倒れるし、本当に気の毒だった。でも、この不景気の中で新しい展望が開けるようで それもようやく厄払いが出来そうだな。」
「ああ。俺の売った機械で じゃんじゃん金儲けをして 楽してもらいたいよな。」
「本当に。そうなるといいな。」
顔を輝かせて言う左之助に 剣心もそうなればいいと心から頷いた。
左之助も山中にはすっかり心酔してしまっている。まるで実の親子のように遠慮のない左之助の話しぶりに少し肝を冷やしたが、山中もそれをニコニコと嬉しそうに許していた。壁を作らない左之助の性格は 山中などには好もしく見えるようだ。自分が思うよりもうまく人と付き合っている左之助を見て 頭痛のタネが一つ消えて行くのを剣心は感じていた。

「なぁ、剣心。」
「ん?」
「俺の初の大契約の祝いで 今日、呑みにいかねぇ?」
剣心と呼ばれても今日ばかりは咎める気にはならない。契約が無事纏まったことも、左之助を見直したことも、そして何より山中の笑顔が 剣心をすこぶる上機嫌にしていた。
「ダメ。お前の残した書類の整理で残業がある。」
滅多と付き合うことのない剣心だが 今日ぐらいは左之助の誘いを受けてもいいとも思う。少し残業をしておけばやり残した仕事は 明日でも間に合う。頭の中で素早く算段するが、たまには事務処理も真面目にやれと釘を刺しておく。
「ちぇっ、俺の所為かよ。でも今日ぐらいいいじゃん? 親父さんの新しい仕事が上手く行くように 二人で前祝いをしようぜ。俺も手伝うから。」
「お前が手伝うのは当たり前。」
刺した釘は効いていないようだった。
「が、まっ、たまにはいいだろう。祝ってやるよ。その代わり、お前の書類の手直しは自分でちゃんとしろよな。そうすれば早く終われる。」
「わかったよ。やりゃぁいいんだろ。やりゃぁ・・・俺には向いてねぇんだよ。あんな細かい数字とにらめっこはよ。何でいちいち報告書とか稟議書とか書かなきゃいけねぇんだろうな。」
「そう言うな。それも仕事のうちだ。」
「へいへい。」
社に戻ってからのモニターとのにらめっこを想像して 左之助は口をへの字に曲げていた。
「どこへ行こう。」とか「何を食おう。」と今夜の相談をしているところへ 剣心の携帯が鳴った。素早く車を脇に寄せ、携帯を取る。相手は常磐特殊工業へ修理に行っていた 部下の佐々木からだった。持っていった部品だけでは足らず、また予想以上に修理箇所も多く、相当手こずっているとの連絡だ。
「わかった。じゃぁ、社に戻ったらすぐに在庫を確認して 有ればそれを持ってそちらに向かう。それまでの間、出来るところはやっておいてくれ。」
てきぱきと指示をして電話を切り、左之助に向き直った。
「すまない。どうやら今夜はお流れだ。今日中にどうしても直してくれって言ってるらしいからな。」
「どこがイカレてるって?」
「クラッチブレーキだけかと思ったらシャフトもだそうだ。コンロッドがイカレてるって。ちょっと時間が掛かりそうだな。」
話している時間も惜しいのか、サイドブレーキを降ろすとすぐに車を発進させ、急いで社へと向かう。
「ちぇっ、しかたねぇ。」
「また今度、時間を作るよ。どこかいい店を探しといてくれ。」
「必ずな。」
「ああ、約束する。」
先ほどまでの浮かれた表情は消え、剣心の目はもう真っ直ぐ前を見据えていた。

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